
30余年前、
両親と、親しくしていた上海出身の青年と
三人で旅した敦煌の話、最終話です。
インターネットなんて知らず、
中国が、今ほど豊かではない時代のこと・・・
実は、案内役の青年にとっても、
初めての大きな旅行でした。
彼が行きたがったのが、
「玉関門」(ぎょくかんもん)。
敦煌からタクシーを飛ばして出かけた、
そこは、万里の長城の西の端。
シルクロードの関所です。
万里の長城は、
北方からの異民族の侵入に備え、
紀元前に築かれ、拡張と修復を繰り返してきた城壁。
私も、同じ頃、
八達嶺を初めて見て、仰天しました。
日本人の私ですら、
ましてや北京に近い、長城・八達嶺で
あれほど感動したのですから・・・
私よりも更に若かった、中国の青年は、
いったい、どんな気持ちで
長城の最終地点を見つめたことか・・・
その後、彼は日本に留学し、
今や、上海でバリバリ働くビジネスマンです。
母と、ご夫婦のおつきあいは
今も続いています。
折ある毎に電話をくれて、
来日のときには、必ず食事をしているんですよ♥
両親の「敦煌」の旅は、これにて終了いたします。
なんせ、母の手持ちの写真が少なすぎて・・・😫
実家を処分するとき、終活のつもりで
手当たり次第に捨ててしまったのだから
仕方ありませんね~
(終活もほどほどがよろしいようで・・・😅 )
思うに任せない記事でしたが、
おつきあいいただき、どうもありがとうございました。
どうぞ「優しい風が吹きますように」
★玉関門は、万里の長城の西端ではないとの見方が、
現在では有力です★