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眺めのいい城~枡形山城跡

2020-03-08 | おでかけ
川崎市の生田緑地・・・

日本民家園や、藤子・F・不二雄ミュージアム、岡本太郎美術館などがあります。
専修大学や明治大学のキャンパスも隣接、
文化施設の集まる、緑豊かなエリアです。



この一角にあるのが枡形山城跡
前々記事、現在の広福寺を屋敷としていた、源頼朝の重臣・稲毛三郎重成の
築城とする説もあるようです。

この説によると、重成は、麓にある現在の広福寺を住まいとし、
多摩川を天然の堀に見立て、
枡形山の山頂を詰めの城としたのだとか。

重成・築城説は、ちょっと厳しいそうですが・・・



築城者は、さておくにしても・・・

伊勢宗瑞(北条早雲)が立河原の合戦(永正元/1504)に陣を敷き、
武田信玄の侵攻(永禄12/1569)時には、土豪・横山弘也が籠城・・・など
この城は、たびたび、利用されてきました。

標高84m、山頂が、ほぼ100m四方の正方形で、
周囲が絶壁だったことから、「枡形」の地名が付けられたのだそうです。

西股総生氏によると、「大きな普請を加えなくても、布陣地や臨時の城砦として
利用することは可能だったのであろう」と、地形上の利点を述べておいでです。
(『神奈川中世城郭図鑑』 25頁)



確かに、現在の展望台からは、東京タワーやスカイツリー、↑
横浜のランドマークタワーに新横浜プリンスホテル↓、富士山なども
よく見えました。



現代で、この状況なら、鎌倉時代や戦国時代などは
はるか遠くまで見渡せたはず・・・!

今、城跡らしい遺構は全く分りませんでしたが・・・
いにしえの武将気分で、展望台からの眺めを楽しんでまいりました♫



この展望台の柱には、十二支の動物のオブジェがついています。
方角を示しているんですね♫
今年はねずみ年なので、子の方角、つまり北側の撮影をしてみました。↓



天候にも恵まれ暖かな1日。

かつての城跡では、子ども達が歓声を上げて走り回っていました。
突然の休校に、みんな、時間とエネルギーを持て余しているんですよね・・・
稲毛三郎重成も、伊勢宗瑞も、びっくりでございましょう・・・w


◆参考
○西股総生 松岡進 田嶌貴久美 『神奈川中世城郭図鑑』 戎光祥社
展望台内の案内も、簡潔でわかりやすいものでした。

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お読みいただき、どうもありがとうございました。
勝手ながら、もうしばらくの間、コメント欄は非表示にさせて下さいませ。

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