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けっぱれラピット、どろ亀さんに負けるな。ウサギとカメとの競走です。随想、旅行記、日記など、雪の降る街からのお便りです。

てんでんこ 釜石で児童生徒の命救う

2012-04-10 15:48:51 | 教訓
「てんでに」は、「てんでんに」の音変化で、「めいめいに、それぞれに、各自」の意味で、「てんでんこ」は、「てんでに」に東北弁の「こ」を付けて、『てんでんこ』とした言葉と言います。この言葉の言い伝えが、釜石の児童生徒を今回の大津波から、多くを救ったのでした。それにしても日ごろの訓練も生かされたのでしょう。

東日本大震災の時は、悲惨な話が数多く報道されています。石巻市立大川小学校の例はそれは悲惨そのものでした。児童108人の内の大半が死亡したり、行方不明になりました。先生も大半は亡くなり、一人だけが助かっただけでした。
その一方釜石市内の小中学校では、2923人の内、死者、行方不明者は5人、そのほとんどが学校を休んでいた子供でした。

なぜこの差が出たのでしょうか。それは、釜石市に伝えられていた『津波てんでんこ』の言葉だったのです。
ウィキペディア フリー百科事典によると、「少なくとも1896年(明治29年)の明治三陸地震までに『津波てんでんこ』は成立したと考えられる」としています。
1933年(昭和8年)の昭和三陸津波襲来時も「津波てんでんこ」は云い伝えられ、実行されたと言います。東日本大震災(2011年平成23年)3月11日の時は「津波てんでんこ」は「釜石の奇跡」と言われるほど、人的被害を少なくしました。
地震の津波の場合、自分の命は自分で守る。家族それぞれが無事逃げとおすという、家族相互信頼の裏に「津波てんでんこ」の言葉がありました。家族の安否を思い迎えに行く、品物を取りに行って命を亡くした人が多い事への反省の言葉だったのです。

多くの新聞記事を読みましたが、特に次の内容の記事には考えさせられました。
津波が押し寄せてきていました。ご主人が運転して避難の途中、年寄りが何人か固まって逃げていました。この時奥さん「私は元気だから、お年寄りを乗せてあげて」と車からおり、年寄りを乗せました。年寄りたちは無事避難場所にたどり着き、その後ご主人は急いで奥さんを迎えに車でひきかえました。その時、津波に襲われ、夫婦二人とも亡くなりました。悲惨な話です。親切があだになり、取り返しがつかないことになったのです。

この記事を見て、災難に遭った時、どこまで他人に親切にすべきか考えさせられました。


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