「桑の木」
養蚕の盛んな本州では、一年間に2度、3度とお蚕(かいこ)さんを育て繭を出荷していました。
「蚕(かいこ)」と呼び捨てにせず、「お蚕さん」と呼んで大事に育てました。
養蚕は農家の生活の主な収入源となっていました。本州の養蚕業の農家の家は家屋の真ん中の一部が突き出て吹き抜けになっているのが特徴です。
蚕で得られた絹糸は貴重でしたので、戦時中には北海道でも養蚕農家が見られるようになりました。
札幌に「桑園」と言う地名があるのは、札幌でも養蚕業が行われていたことの証しです。
北海道開拓の村の農村の展示場にも、養蚕農家が昔ながらに移転され、むかしの姿を知らせています。
〇我が家の庭に結構大きな桑の木がありますが、鳥の糞に交じって我が家の庭に生きぶいたものと思われます。
あの小さな桑の種子がこれまでの大きな木になるのは不思議に思えるのです。
今年も桑の木が花を咲かせました。昨年も同じに花を付けたのですが、桑の実は付けませんでした。
「桑の実」
戦時中当時は食料も十分でなかったこともあり、子供たちは野山の桑の実を食べに桑の木に登りました。
実は熟すると濃い紫色をし、甘さがあり子供たちの小袋を満たしました。食べると口の中まで真紫になり、家の人にも桑の実を食べに行って来たことがばれました。
今でも札幌の郊外に出ると桑の実を見つけることが出来ますが、貴重な木の実となっています。焼酎漬けにも良いと聞きますが、まだ漬けたことがありません。
桑の実の季節はこれからです。いつもワラビ採りの季節と同じです。
はじめ実は白色で、次に赤くなり、そして紫色になり食べごろとなります。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます