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おとぼけたぬき♪

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おとぼけ狸の「ピッカピッカ新1年生☆初登校!」初めましてのパトロール!?

2006年04月07日 | 自然と人間の環境

今日の道内は 朝方は 

吹雪きましたが 午後から 

晴れ間も出て 

まずまずの 天気でした 

まだ寒いですが 鳥達のさえずりで   

春らしい気配を 感じるようになりました 

 

            今日 子供達が 

             新1年生が 

         初めて 登校した日です 

          初めての ランドセル

           初めての 通学路 

          初めて 1人での通学 

 

そして私も 朝 

初めて 会う 

新1年生達に 

「おはよう~!パトロールの おばさんだよ~! 

初めまして!よろしくねっ!」と 

声をかけました 

 

初登校の日は 子供達も 

ワクワク・ドキドキです 

そして初めて 1人で 

学校までの 距離を 

お母さんから 離れ  

大冒険するかのように 

ちょっと不安な 気持ちもあります 

 

そんな顔をした 子供には 

「毎朝、おばさんが ここに立ってるからね! 

何かあったら おばさんに言うのよ!」 

そうすると 子供達は 

「うん!」と、言います 

「さぁ~!ここから 坂道だよ~! 

頑張れるよね?足が強くなるよ~!」と、言い 

子供達を 見送ります 

 

私の パトロールしてる通学路は 

学校が 山の近くにあり 

ひたすら登る 通学路です 

軽登山のような 通学路を 

子供達は これから毎日 

6年間 通うのです 

いいえ「登る」と 

言った方が いいでしょう 

ひたすら 山に向かい 

まっすぐに 登って行く 

新1年生には 過酷な環境かもしれません 

そして今朝は 吹雪いてました 

風雪に向かい まだ小さな子供達が 

一歩・一歩 頂上にある 

学校を 目指して 

ひたすら 進んで行きます 

 

中には 心配・不安に思う 

お母さんの 連れそう 

姿も 見られます 

お母さん達も ピカピカの 

新1年生の お母さんです 

「おはよう~ございま~す! 

寒いし 坂道だから心配でしょう?」と聞くと 

「えぇ・・そうですね~」と、苦笑いし答えます 

「私も毎朝、ここに立ってますから 

何かあれば、お母さんに連絡しますよ~ 

大丈夫ですよ~」と 

少しでも 安心して 

もらえたらと 思います 

 

私の子供も 初登校の時は 

「大丈夫かな?学校まで行けるかな?」と 

心配したものです 

まして今年は 新1年生が少なく 

1年生のクラスも 1学級少なくなりました 

 

           この子達 全員みんなが 

             事故にも 遭わず 

             病気にも ならず 

          事件にも 巻き込まれず 

          無事に小学校を 卒業し 

          そして新しい 制服を着て 

 

また「おはよう~!」と 

逢えることを 心から願い 

また 今年も 

この子達が 卒業するまで 

パトロールを 続けようと思い 

4年目の春を 向かえました 

 

子供が好きだから?出きるのでは?と 

思われる方も いるでしょう 

確かに 子供は好きです 

自然・動物も 好きです 

それとなにより 人間が好きです 

もちろん 自分が 

子供を持って 思う事はあります 

それ以上に 理由など無いのです 

何故なら パトロールをし 

毎朝、子供達に 会うことで 

私は 子供達から 

限り無い 希望と未来 

そして元気を もらっています 

 

         子供達の輝かしい 未来を守り 

                そして 

          この子達が 大きくなったら

             今度は 何か 

         大切なものを 守って欲しいと 

              願うのです 

 

           限りある この地球に 

         限りない 子供達の未来を・・ 

 

 

今回は おとぼけ狸のシリーズ期間終了 

「ピッカピッカ新1年生☆初登校!」 

初めましての パトロールを 

お届けしました~! 

早く暖かくなれば 良いですね 

寒い中での お仕事 

ご苦労さまでした♪ 

 

 

 

 

 

 

 

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「生命の尊さ」ウサギの死を無意味にしないよう・・

2006年02月21日 | 自然と人間の環境

今日の道内は 昨日に続き 雲ひとつ無く 

風が頬に気持ち良いほど 暖かく 

春の陽射しが溢れた 良い天気でした 

 

今回は「人・動物の生命の尊さ」を

ある悲しい事件があったので 

考えてみたいと思います 

 

先週gooニュース・テレビでも 報道された事件なのですが 

これから書く文章を 読むにあたって  

ひとつ心に置いて 頂きたいのです 

 

まずは「事件の容疑者は未成年」と、言うこと 

被害にあったのは「小動物だった」と、言うこと 

そして少年達は「エスカレートする 気持ちを止めれなかった」の 

3視点を心に留めて 欲しいのです 

 

事件の内容は 

18歳の少年3名が 小学校で飼育されてた「ウサギ」を 

公園で「サッカーボール」のように蹴り続け 殺してしまった

3名は動物愛護法違反の疑いで 逮捕された 

少年達は「ゲームのつもりで 面白半分にやった 

      そのうちエスカレートして 蹴り殺してしまった」 

そのうち1人が「かわいそうだから 止めよう」と 

泣きながら訴えたが 聞き入れてもらえなかった 

 

と、事件のおおまかな内容を 書きましたが 

ここで胸が痛むことが 数点ありました 

もちろん読まれた人・事件を知ってる人は 

「ひどいことをする 少年達だわ・・」と、思うでしょう 

いわゆる「動物を殺生する=冷酷・人道的で無い」 

もっと掘り下げると「今の子供は・若者は=怖い・悪い」で 

終わってしまう しかしその後が無く 

少年達の犯行で 済ませてしまう 

少年達の行動を否定して 書くのでは無くのです 

もちろん被害に遭われた 

児童のショックも 心に受け入れてます 

 

まず少年達が「ゲーム感覚で うさぎを蹴った」 

残酷だと 思いました 

でもこの少年達も最初から いいえ 

この世に生まれた時から 命の大切さを 

知らなかったわけでは 無いと思うのです 

突然変異で「生き物を殺すように」と 

インプットされて 無いはずです 

この少年達が このような行動をとるようになった原因は? 

また少年達が いつから他の生命を軽視するようになったのか? 

この少年達だけが 加害者とも思えないのです 

親・大人達が彼らに「人として最低限 やってはいけない事」を 

小さい時から誰も 教え続けなかったのか? 

また彼らの混濁した心と 行動に気付く 

親・大人達が 居なかったのか? 

そして「ウサギ」を公園まで抱いて 

持っていったのでしょう 

その時に「ウサギの体温」を 感じなかったのか? 

いいえ「感じれなかった」のでしょう 

それが「ゲーム感覚で」と、いう発言に現れてます 

とても悲しいことだと 思いました 

彼らも生きて体温はあるのに 他の生き物の温かみを 

感じれない子供達に なってたのです 

これは彼らだけの責任では ないと思いました 

彼らは確かに 悪い事をしましたが 

彼らも現代の 豊かな日本の象徴

「親・大人達・環境」の、被害者でも あると思いました 

彼らに「生き物の暖かさ」を、感じれる「心」があれば 

そんなことを しなかったと思います 

いわゆる「心が冷えてる」ので 僅かな温かみすら 

感じれない「心」に なってしまったのです 

人の心が冷えることは 瞬間的に誰でもあると思います 

ただ「冷えきる」までには それなりの環境もあったと思います 

少年達の心を 受け止めてくれる人が誰も居なかった 

少年達の心が迷う時に 手を引いてくれる人が居なかった 

少年達の心の叫びを 誰も聞いてくれなかった・・ 

 

そして「エスカレートして 蹴り続けてしまった」 

本来なら そんな事をしないので  

彼らの気持ちを 想像出きないと思います 

「エスカレートする衝動」誰にでもあるでしょう 

それが今回は「ウサギ」が、ターゲットになりました 

これ以上すると「痛い・死」と、いう感覚も見失う衝動 

理性を超えた 衝動をとるとき  

人は心が闇に包まれ 周りが見えなくなるのです 

そんな時に 事件を起こした少年達だけでなく  

若者・子供の「灯台になり 心の道しるべになる」 

親・大人達が存在しないと いけないと思いました 

 

親・大人が 心に余裕が無いから 

子供が物を欲しい言えば 与えるだけ 

親・大人は子供が もう大きいから(体) 

お金が欲しいと言えば 渡すだけ 

説明もなければ 感心も無い 

そして 触れ合う事すら無いので 

心が冷え込むのは 当たり前だと思いました 

渡されたのは「ぬくもりの無い物」だからです 

数年前から「抵抗できない小さな子供・動物」を 

おもちゃのように また自分の心の欲求を満たすだけの 

残忍な事件が 増えてきてます 

バブル時代から 増え続ける残忍な事件 

その時 大人達は狂喜乱舞し 

次の世代の子供達に 

「命の尊さ」を、伝える事をしなかった 

いえ 甘い砂糖水の海に 溺れてしまい 

浮き上がれなくて 出来なかったのでしょう 

1番大切なことを 伝えなかったツケが 

今の「残忍な事件を 引き出したのでは」と思いました 

彼らも時代の 被害者なのだろう・・と

 

こういうニュースが 流れるたびに胸が痛みます 

彼らが悪い事をしたのは 事実です 

現実は それで終わらせる 

彼らがこんな事を してしまう 

原因すら考えない 今の大人達・環境 

それが如実に 解かるのが 

「ゆりちゃんと語ろう」で書いてある 

捨てられる犬達の行方も 同じだと思いました

こちらも併せて 読んで頂けたら有り難いと思います 

 

被害に遭われた 学校と生徒達は とても悲しみました 

校長先生は「いつかは帰ってくる」 

       「何処かで 飼われてる」と、児童達を励ましてた 

でも「ウサギ」が 蹴り殺された事を知り 

「それ以上 何もいえない」と、書いてました 

ここで「ウサギは亡くなりました 原因は人が殺してしまったのです」 

と、もし先生が言えば(殺し方までは言わなくてもいいと思います) 

聞いた児童は ショックを受けるでしょう 

でもですよ・・事実を伝え時に 

聞いた児童は 初めて 

「誰も 人・生き物の命を奪う事は できない事なんだよ・・ 

 君達が悲しんだ心に「ウサギ」がいるなら 

 命の大切さを 忘れてはいけないんだよ」と・・ 

教えていかなければ また事件が起こる気がするのです 

そして命の尊さを 身を持って伝えた 

ウサギの「ゆきのすけ」の為にも 

忘れてはいけない・伝えていかないと・・ 

そう思い 書きました 

 

被害に遭われた学校・児童達には 

お悔やみの言葉と共に 悲しみを乗り越えて 

「命の大切さ」を心に刻んで 欲しいと思います 

そして少年達には まだ若く未来もあります 

これを機会に「人間の尊厳・生命の尊さ」を、学び 

これから 立ち直る事を願い そして 

彼らを取り巻く 親・大人達にも同じ思いで・・ 

 

今回は重い内容で 申し訳ないと思います 

でも・・残忍な事件を 見て見ぬふりは出きず 

自分自身にも 我が子にも 

「誰にも 人・動物の命を奪う事は できないのよ」と 

伝えていかなければと 思いました 

 

         「ゆきのすけ君(ウサギ)」の死が 

         無意味なまま 終わらないように・・ 

         ご冥福をお祈り 申し上げます 

 

                          動物界代表たぬきより 

 

長文を読んで頂き ありがとうございました 

 

 

 

 

  

  

 

  

 

 

 

 

 

  

 

 

 

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タイム・スリップ!あの頃の私達「1980年代へHere we go !」

2006年01月27日 | 自然と人間の環境

今日の道内は 午前中晴れましたが 

午後から雪が降り始め 今夜から明日にかけては 

大雪になる 地域もあるようです 

少しづつですが冬至より 昼が長くなってきてます 

12月は日没も16時台でしたが 今は17時まで明るく 

日が長いと 1日が得した気分になります 

 

今日は人の環境が どのように変わってきたのか? 

12/16「環境」では「1970年代」でしたが 

今回は「1980年代は どんな時代だったのか?」 

薄い記憶を探りながら 回想して書きますので 

多少の間違い・誤差がありましたら 

指摘して下されば光栄です 

 

では!1980年代の私達は どんな環境・時代を 

過ごしてきたのでしょうか? 

私が10代後半~20代中盤でした 

この時代は日本が少し代わり 今の時代の基盤にも 

なった年代ではないでしょうか? 

1980年初め 1番記憶にあるのが「車=改造車」です 

今とは違い 車も発展途上なんでしょうか!? 

パワー・ウインドウ パワー・ステ エア・バック 四駆など 

高級車もなく?ファミリー・カーが普及し 

スポーツ・カーがたくさん 出てきた時代でもあるでしょう 

「フェアレディZRX-7スカイライン」の 

改造車対決もあり!?暴走族とはちょっと違い!? 

速く走るために オリジナルに改造したものです 

エンジンをチューン・アップ(排気量を上げる) 

ターボを付けたり・キャブレターをウエーバーorソレックスに交換 

マフラーをストレートorデュエルにしたり などなど 

書いたらこれで終わりそう~ 自分の好みに車を 

改造できたのです(今は違法ですよ~) 

ハンドメイド・オーダーで車を造る そして街が眠る夜になると 

どこからともなく集まる 自称ゼロヨンレーサー達 

信号が青になると一斉にスタート! 

ゴールは次の信号機が 赤になってる所まで! 

いわゆる加速とギリギリまで ブレーキを踏まないで速く走るだけ  

自ら改造した愛車の性能に満喫 エンジン&マフラー音に酔い 

陽が登ると みんな家に帰る 

その後 道路交通法が厳しくなり 2~3年後に彼らは消え 

その反対に乗用車の性能は 改造しなくても良いほど 

私が初めて車を改造したのは「箱型のブルーバード」 

クラリオンから初めて「カーコンポ」が出た時でもあります 

「シティ・コネクション」のCMに食いついたほど 

ちょっと車のことで 熱く書き過ぎてしまいました~ 

 

またシャネルズの「ランナウェイ」が流れた時は 

日本の音楽シーンに 新たな風を起こしました 

ドラマでは「3年B組 金八先生」校内暴力・未成年の妊娠 

「俺達は腐ったみかんじゃない!」 

世相を表す 強烈な台詞は社会現象になったほど 

そして今の時代に 反映されてるかのよう 

この番組を見て 緊迫感を感じたのか? 

文部省では「ゆとり教育=週休2日制」を 

決めましたが(1990年代頃から実施) 

これが子供達の学習に 大きな負担になったのも事実 

今までは6日間で 教えてた教科も短縮され 

短期間で覚えなければなく 授業はどんどん進み 

解からない子は 授業に置いていかれ・・ 

学校で足りない学力を夜 塾に行き補ってるが 

友達と遊ぶ時間は 確実に減ってきてる 

それを追い討ちを かけるかのように1983年に 

アーケード・ゲームから 家庭用ゲーム機 

「任天堂:ファミリー・コンピューター」が登場 

大人もハマったが、子供もハマったゲーム機! 

この頃から自宅で1人 遊ぶようになり始めたと思います 

その風景は 四半世紀たった今でも変わらず 

ゲームも携帯化され(DS・PSP) 

何処に行っても ゲーム機は持っていく 

少しずつですが「人と人の直接的なコミニケーション」は 

何かの機械を介して取り 時代の始まり今に至る 

まぁ~私も「マリオ・ブラザーズ」を、やりたい為に 

会社をズル休みしました~! 

あ~文字数に限界が・・ 

では時代背景を簡単に! 

ITでは企業に コンピューターが登場 

インターネットは 出来ませんでしたが 

タイプから ワープロに進化 

私もシャープの書院を買いました(当時16万くらい?) 

これからIT機器も 日進月歩 

 

歌謡界も色んな歌が出てきました 

松山千春さんの「長い夜」(81年)大ヒットしました 

アルバイト先で 毎晩スピーカーから流れてました 

山下達郎さんの「RIDE ON TIME」も、聴きました~(車内で) 

アイドル全盛期でした! 

また海外では80年「イラン・イラク戦争」 

20世紀は「石油戦争」と言われたのも この頃から? 

同年 イギリスの至宝「ジョン・レノン」が、射殺 

日本に外国のミュージックを 広がせた「ビートルズ」 

84年 毒入りチョコ事件もありました・・ 

85年 日航機が墜落・・ 

どれも大きな事件として 報道されてました 

 

1980年代の前半だけでも 

生活スタイル・環境が色々と 変り初めてきた年です 

まだ現在みたく スピード化ではありませんが 

少しずつ時代の変化は 速くなってきました 

この時代は まだ就職もあり 

学力重視・受験戦争も 激しくなく 

家庭・家族の存在も かろうじてあったと思います 

この時代に生まれた方は 少し豊な国に生まれ 

生活・物品は程よく揃い 貧しい家庭ではなかったのでは? 

まだ人達の心は 物や速さに支配されてなく 

そして日本人最後の 心の豊さと引き換えに 

お金・物に支配されていく国民が 誕生し始めるのです 

 

次回は1980年代後半 

「バブル経済企業誕生?日本株式会社」です 

やはりこの時代が「大きなキーワード」と、なったと思います 

こうして書くと 時代の流れ・変化を経験し見てきた 

40代以上の人は 時代の速い流れに 

ついて行くので 精一杯だったかもしれませんね 

これが戦争を経験した 高齢者の人なら(70代) 

ポリシーを持ち 自分を見失う事なく 

堂々と生きて きたのかもしれません 

 

私も時代の速さに ついて行けなかったかもしれません 

時代の速さに 追われることも無く(パトカーには数度ありますが)

時代の速さを 追うことも無く(追いかけるほどの恋愛もなく) 

やはり・・狸はたぬきでした! 

でも・・この5年間が 1番青春してたかも~!? 

 

1980年前半 あなたは何処で  

何を観て 何をして 何を感じましたか? 

 

長文を読んで頂きまして ありがとうございました! 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

 

 

 

 

 

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タイム・スリップ!あの頃の私達「1970年代へHere we go !」

2005年12月16日 | 自然と人間の環境

今日は1日中曇りで 少し雪が降ってました 

ニュースでは本州の日本海側で大雪になる模様と流れてましたが  

大変な週末を向えそうなので 気を付けて下さいね  

まだ12月なのに気温の低い日々が続いてます 

今年は大雪から始まって猛暑・残暑・暖かい秋・そして寒波など 

気象状況も変わってきたのかな?と、思いました 

 

今年も残り2週間となりましたね 

1年がこんなに早く終わると感じるのは 歳のせいでしょうか?(苦笑) 

そんなことで以前「人間の環境」を、書きましたが 

その時に私の「子供時代の環境」は、どうだったのか? 

「そうだ!思い出してみよう!」そこで35年前の「1970年代」を 

振り返ってみたいと思います ただ記憶がおぼろげなので 

勘違いして書いてる部分がありましたら ご指摘下されば有り難いです 

「1970年代」 私が小学校~中学生でした(これで年齢がバレました) 

道路は砂利道で 電信柱(電柱)は木で出きており  

夏に触ると黒い油みたいなの(コールタール?)が、手にべた~っと付き 

テレビ・写真は白黒? 高度経済成長とはいえ 我が家に初めて 

車が来たのは73’年ごろ 

当時の遊びは石けり・縄跳び・竹馬・缶けり・メンコにパッチ? 

どこの家もドア(引き戸)は開いていて いつでも気ままに? 

覗けるし入れる状態 もちろん車の通る数は今の十分の一 

道路で遊んでいても車が来ないから避ける事はなく たまにバイクが通る程度 

よく「隣りから醤油を借りてきて~」と、親に言われ 

「醤油貸して下さ~い」なんて事はしょっちゅう 

今そんな事を頼んだら白い目で見られますが・・ 

酒屋さんでも「ツケといて」 本人がクレジットカードみたいなもの 

いわゆる「月賦(ローン)で、払うから」そんな口頭での約束 

信頼関係が無いと出来ないこと 今では本人よりカードの方が信頼あり!? 

友達同士が喧嘩することがあっても イジメは無く 

番長みたいな男の子がいたけど 弱い者を助ける役目 

貧しくて物は無かったけど 無くても心豊で楽しかった時代 

テレビがカラーになった頃から情報はテレビから入る 

でも1家に1台のテレビ チャンネル権は親にあり 

観たい番組は1時間だけ そこで必ず家族が茶の間に集まる 

自分の部屋など無く 寝るときは家族が川の字  

「プライバシー」なんて言葉は無かったような 

テレビの報道で思い出しましたが 

当時ライブで(生放送)報道されてた「あさま山荘事件」 

我が家の視聴率は100㌫の状態! 

子供心に「警察が突入した」シーンは忘れもしなく衝撃的でした 

それともうひとつは 子供の頃に読んでた小説作家の自殺事件 

「三島由紀夫事件:割腹自殺」ショックで今でも覚えてます 

オイルショックもありました 母がトイレットペーパーを買いだめしてたような!? 

当時の事件は 今みたく子供を狙う事件は無かったと思います 

でもテロ的な事件が目立ってました 

子供の頃は外で遊んでいても 危険なのはたまに通る車かバイク 

また「歌」は、演歌からフォークへ またポップスの原点が出てきた頃 

初めて買ったレコード(CDは無い時代)が「アグネス・チャン」さん 

ところが「ピンクレディー:ペッパー警部」の、出現に胸を撃たれ 

反対では「松山千春」さんの「銀の雨」 メロディーと歌詞で感銘しました  

それと「映画」 初めて映画館で観た映画が「エクソシスト」 

映像も音楽・音響が怖すぎて 倒れるかと思ったほど 

それからホラー映画がブームになり 「ロッキー」で、スポ根に変わり 

「スターウォーズ」で、SFがヒットし 今でも近未来がテーマになってるような 

 

「1970年代」は、必要以上の物は無く 生きてく為の最小限の物だけ 

まだ人の心は「物」に支配されて無かったような 

いわゆる人の心が重視だった時代で 裕福でも無く 可も無く不可も無い 

子供の私は過ごしやすい時代でした  

塾や習い事に追われることも無く 学校が終わると友達と遊んでいました 

遊びもゲームでは無く 人と遊ぶ 遊ぶ物はそこら辺にある物 

体を使って遊ぶことがほとんどで よく走って遊んでた記憶があります 

「子供の基礎体力が落ちてきた」と、言われる現象は  

この時代の子供を見たら その疑問は解けると思います 

そしてまだ人の心に「余裕と希望」が、ありました 

それと「どこまでしたら人が痛みを感じるのか」を、子供でも解かってました 

なぜなら 親が子供を叱る時に「ゲンコツしたり 外に出されたり」 

「体罰・虐待」と、違うのは感情任せに怒らず 

本当に悪い事をした時は 身をもって「叱る」親・大人がいました 

そんな子供時代を過ごしてきた 私と同じ40代の人は 

今の子供達より幸せだったのでは? 

物を追いかける事もなく お金に支配される事も無かった 

「1970年代」は、まだ生きやすい時代だったと思います 

それと「人の心と文化のバランス」が、とれていた時代でした 

 

買い物に行くと 豆腐屋さん・肉屋さん・八百屋さん・魚屋さん それと 

1個10円の駄菓子屋さん

夏の暑さの元で鳴くセミ 冬の寒さで出きるツララ 

外を歩く野良猫 転ぶと土が傷口に入る砂利道 

何処に行ったのかなぁ・・そう思う狸でした! 

次回のタイトル「人間の環境」は「1980年代」を、お送りします 

たぬき放送局がお届けしました~! 

 

 

 

 

  

   

 

 

 

 

 

 

 

 

    

 

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不安全な時代と不在の時代

2005年12月13日 | 自然と人間の環境

今日の北海道は朝から雲ひとつ無い晴天です 

そのせいか今朝はとても冷え込みました 

雪の上を歩くと ギュギュッと雪が締まった音がしました 

それだけ気温が低いのです 

厳しい寒さと引き換えに 空気はより澄んでいました 

 

最近テレビの報道で「小さな子供を狙った犯罪」が、多く感じました 

ほぼ毎朝「まだ抵抗できない 小さい子供が事件に遭う」内容が流れてます  

これは子を持つ親だけでなく 社会的な問題ではないかと思ってます 

それは「人間環境」が、数年前から大きく歪み初めていると感じました 

被害に遭われた方は 言葉にも出来ないほどの 

精神的なショックがあり また心情を思うと報道を通して見ても 

やるせない気持ちになります 

またそれを近くで観てしてしまった子供達の心に 

消せない深い傷が残ってしまうのでは?と、思うと 

とても他人事とは思えなく 悲しい気持ちになります 

「人間不信」ならまだしも「人間嫌い=人が怖い」 

そんな時代背景で生きる 子供達が可哀そう過ぎる そう思うと 

書かざるを得ないのでした 被害に遭われた方の気持ちを察すれば 

書く事が適切なのか・・!?随分考えましたが 私が目で見て来た 

現実をお伝え出来ればと思い またこれを機会に地域の人も 

家庭も 学校も そして社会も 一つの悲劇として通り過ぎず 

国家・国民が真剣に取り組んで欲しいと願うのです 

 

私の地域も2年前から 地域と学校と家庭が一環となり 

子供達の登下校の時間帯で 出来る人は「パトロールをしよう」 

そういう安全運動が始まり 昨年には子供達に「防犯ブザー」を持たせて 

少しでも子供を不審者から守ろうと 比較的活発に初めた地域だと思います 

それは地域柄 商店街も無く 人通りが少なく 下校時になると 

校区も広いため 通学路に子供が1人になる箇所があり危険だと判断し 

「3見1体!?」(家庭・地域・学校)で、取り組みました 

パトロールの事は以前も記事で書きましたが ある日パトをしてた時 

子供達が首から「防犯ブザー」を、下げて帰宅してきました 

我が子も貰いました ピンを引けばかなりの高音が出るブザーです 

家にいても外のブザー音が聞こえる程の 大きい警笛音です 

「もしかして・・」と、思いと何気なく下校してる低学年の子供に 

「防犯ブザーを、鳴らしてみてくれる?」と、頼んでみました 

子供達は嬉しそうに「これ(ピン)引いたら、助けに来てくれるんだよ~」 

そう言いながらブザーのピンを引くと 大きな警笛音が鳴り響きました 

3分ほど鳴らし続けてましたが 誰も家から出てきませんでした 

そうです・・「家」はあるけど「人」が居ない「不在」の状態なのです 

「いつもそうなのかな?」と、思い幾度か日時を変えて 

「防犯ブザー」を、鳴らしてみましたが 誰も出て来ませんでした 

共稼ぎが増えたせいもあるでしょう 

老人の独り暮らしの家も増えました 

暗くも無い 明るい昼間なのに 人が不在なのです 

私の子供の頃(30年前)は 外を歩いても「誰か」大人が外に存在してました 

「向こう三軒 両隣り」に「誰か」大人が居たので不安も無く安心して  

何かあっても側にいる 大人に助けを求めれたのです 

ここら辺から時代の流れなのか「人間の生活環境」が、大きく変わった 

そう感じました 

そして最近では「自分の身は自分で守ろう」と、言ってますが 

まだ小学生 ましては低学年など 守りたくても守れる限度があります 

そんな事があり学校のPTA活動の時「防犯ブザー」を、付ける事は 

良い事なのに実際は 誰も出て来ない「不在」を、学校に伝えました 

「大人が不在で子供に防犯ブザーを持たせれば それでいいのか?」 

そう疑問に思い「子供110番の家」が、無いことも言いました 

それから1年前「子供110番の家」が、でき子供に何かあれば 

そのシールが玄関に張ってる家に非難できるのです 

こうして私達の地域は子供の防犯に対して  

少しずつ必要性を理解し 浸透してきました 

今度、学校のPTA活動に行く時があるので 言ってみようと思ってます 

「防災・地震訓練の他に 変質者に遭った時の防犯訓練も 

指導してくれませんか?」と・・もちろん、親として子供に教えてますが 

時代背景とはいえ あまりいい思いはしません 

むしろ空しいく思えるのです 

「何故?純粋な子供にこんな事を 教えなければならない時代なのか?」 

 

時代背景の流れを 止める事は出来ませんが 

少なくとも犯罪を未然に 止める事は出来ると思います 

それは「ひとりでも大人が子供を見守る」と、いうひと昔前にあった光景です 

いつからなのか?子供が危険な状態に遭っても 「誰」も見なく「不在」なのか 

「人間(大人)の生活環境」が、いい方に行くだけでいいのでしょうか? 

そんな中で「弱い子供や老人」は「誰が?見守る」のでしょうか? 

また「弱い立場の子供や 独り暮らしの老人を狙う」 

悪質な事件が何故?多くなったのか・・ 

次回「変わってしまった 人間の環境」を書く時は 少し時代背景を振り返り  

深く掘り下げながら 少しずつ考え書いていきたいと思います 

 

我が家も「子供110番の家」に、登録しました 

私も留守の時があります そんな時は隣りのお宅に声を掛けて行きます 

未だ子供達が何らかの事件に 巻き込まれた話しはありませんが 

「絶対にあってはいけない事」そう思い、子供達が安心して外を歩ける 

そんな時代がまた来るのを願うのです 

悲しい事ですが 悲運にも被害に遭われた ご家族の事を思うと 

お悔やみの言葉すら見付からず 心情を察する事しか出来ませんが 

たった1人でも大人の「誰か」が「子供」を見守ってくれたらと願い 

そして犯罪が起きてしまう「人間環境」に目を背けずにいられないのです 

 

今回は初めて社会派的なブログを 書いてしまいましたが 

あまりにも毎日 悲惨な事件が後を断たないので 

この記事を読んで下さった方 1人でも 1分でもいいので 

外に出て「子供を見守って頂けたら」そう願って書きました 

 

我が地域 寒い時も老人がパトロールに立ってます 

もちろん我が家も「子供110番の家」ですが 

幸いのも非難して来る子供はいません 

そのかわり!?子供達が溜まる家です(苦笑) 

「それで良かった」と、子供の安全を願う母狸でした 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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野生動物も一生懸命に生きているのです

2005年10月26日 | 自然と人間の環境

最近、報道で「ヒグマ出没!」「熊の駆除対策を!」  

と、言うニュースがあまり出なくなったので 

野生動物「ヒグマ」について書きます。 

私の住んで所はヒグマが出ます。と、言うより 

ヒグマも住んでます。訂正するならばヒグマが先に住んでました 

私達はこの大地に移りヒグマアイヌ民族の場所をお借りして 

住まわせてもらった後から来た移民なんです 

この季節になると数頭が民家近くまで降りてきて食物を食べに来ます。 

微笑ましい光景を思い浮かべてしまいますが、 

実際に我が家の近くに2mものヒグマが来たら怖いでしょう。 

でも、中には生後1~2歳の子熊を連れてる姿も目撃されてます

お母さん熊は冬に向けて冬眠の餌を確保するのと 

真冬に出産する為の餌も必要になるので必死になり 

危険を承知で山を降り民家近くまで餌を探しに来るんです  

しかし人間は見慣れない動物に対して恐怖を感じます   

もちろん被害に遭われた方にも自分の家族を守る為に熊を 

駆除して欲しいと、思うのも当たり前に理解します。  

年間数十頭以上は人間を守る為に射殺されてます

そんなニュースが流れると何故か矛盾を感じたり 

哀しい気持ちになります 

お母さん熊が殺されたら残された子熊はどうなるのだろう?と・・ 

親の居なくなった子熊は1頭で生きていけるのだろうか? 

それとも子熊が大きくなるまで人間が責任を持って 

育てて山に返してくれるのだろうか? 

自分に置き換えて考えてみました 

もし私が亡くなったとしても子供は親戚などが居れば 

成人になるまでは面倒を見てくれるでしょう 

でも熊の世界には親戚・兄弟・父親が居ないので 

母熊だけが頼りなんですね 

野生動物と人間が上手く共生できる手段はあると思います 

偶然にも被害に遭われた方には大変に申し訳ない 

文章を書いて失礼をしているのは承知してます。  

でも、人間が住み易い環境を人間の為に造ると 

いつかは、狼のようにヒグマも絶滅してしまうのでは?と、危惧します。 

山は開拓され走りやすい道ができ、北海道はドライブロードとして 

素晴しい道路がたくさん出来ました。 

そのせいか年間の交通事故がワースト1です 

ヒグマが年に数頭出没し大騒ぎして射殺してしまいますが 

人間が人間を車と言う便利な乗り物で年に何百人もの命を 

奪っているのも事実です 

あなたは何か矛盾を感じませんか? 

ヒグマの親子にはせめて子熊が大人になるまでは 

強い人間が守ってあげたいものです 

そうしないといつかはヒグマも絶滅種になり 

オオカミと同じく消えていくんでしょうね 

せっかく、この狭い日本の中で1番広大で自然豊な 

土地を与えられた北海道に生きる野性動物 

大らかな気持ちで見守って生きたいものです 

「人は高等動物の中で唯一 人をも殺してしまう愚かな動物」  

とも、言われてます。 

人の命も・他の動物も・自然も天秤にかける事は出来ないのです 

なんとか射殺されず無事にヒグマには冬眠してもらいたいです  

「木を見て 森を見ずになるといつかは 

この広大な大地に1本の木だけになるのではないでしょうか?  

そんな私は子連れオオカミならぬ、子連れ狸ですが(笑) 

人や自然に迷惑をかけないよう、また争いのないように 

山里で静かに暮らしたいと願ってます   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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