今日は「夏至」です♪
1年で1番昼の時間が長い日です
毎年、夏至の日までは「頑張ろう~♪」と、志し
寒い冬を乗り越えてきました
夏至を境に太陽は離れていきます
この日だけは思いっ切り太陽に感謝し
1年の後半に向け再奮起します
北海道は夏が短いので
暑い日差しが嬉しいんです
この時期になると馬に乗りたくなります
干し草は夏の匂い
これから訪れる短い夏を
謳歌したいと想う私です♪
今日は「夏至」です♪
1年で1番昼の時間が長い日です
毎年、夏至の日までは「頑張ろう~♪」と、志し
寒い冬を乗り越えてきました
夏至を境に太陽は離れていきます
この日だけは思いっ切り太陽に感謝し
1年の後半に向け再奮起します
北海道は夏が短いので
暑い日差しが嬉しいんです
この時期になると馬に乗りたくなります
干し草は夏の匂い
これから訪れる短い夏を
謳歌したいと想う私です♪
皆さん こんばんは
先週末、仕事の関係で
講習に行ってきたお話を少し・・
そこには筋ジストロフィーの
講師の方がいました
障がいを持っている人を
理解して欲しいと言う気持ちで
ある動画を見せてくれました
私はその動画を見て
涙しました
私自身には障がいはありません
でも私の回りには
何らかの障がいを持ってる人がいました
以前「ブログ」にも、書きましたが
私の叔母は知的障がい者でした
今年の夏
働いてたパークゴルフ場の上司は
パーキンソン病でした
私は彼と仕事をし
初めて障がいがある人との
仕事での関わり方や
健常者と同じく接する大切さなど
色々な場面で勉強になることばかりでした
彼の部下になれた事
とても感謝しました
車いすと携帯電話は放すことが
できない上司でした
そして今、働いてる事業所の
理事長もパーキンソン病です
とても優しくていつも私に
ガンバってるねと褒めてくれます
彼ら全般に言えることは
みんな思いやりがあり
誰よりも他人のことを
慈しみ尊重し優しさの中で
人を包み込むおおらかさがある
と言うことです
この出会いを大切にしたいと思っております
外は雪が積もり白い景色
こんな綺麗な季節は冬だけです
時には非常に冷たく
時には息を飲む寒さ
でもフワフワと舞い降りる
純白の雪を触ると
彼らと過ごした日々が思い出されます
クリスマスです
私が講習で見た動画を
皆さんにも紹介したいと思います
人は皆 誰かに支えられて 生きてる
人は人を支えて 初めて人に支えられ 生きていける
では 温かなクリスマスを
お過ごし下さいませ
今日の道内は 寒冷前線により
雪が降り とても寒い1日でした
街の あちらこちらでは
クリスマスに向け 綺麗に
イルミネーションが 飾られてます♪
雪が降れば この光彩も
よりいっそう 輝きを増し
寒さを 忘れさせてくれるのです
今回の お話しは
私が幼少時代に あった話しを
書いてみたいと 思います
今、フジテレビ系で 毎週火曜日22時に
草なぎ剛さん 主演による
「僕の生きる道」が、放送されてます
初回を 観ました
遠い昔 想い深い人が
私の身内にも いました
ドラマ内容を 簡単に書くと
草なぎ剛さん 演じる「大竹 輝明(31歳)」は
先天性な障害の為 10歳くらいの
知能しか無い「自閉症」なのです
社会に出て けなげに頑張ってる姿
「純粋な人の心」の 生きかたを伝えてます
話しは 私の母の姉
ちぃ叔母さんに 戻りますが
ちぃ叔母さんは 生まれた時から
脳に障害を持ち 当時45歳でしたが
6歳の知恵しか 無かったのです
今で言う「知的障害者」なのです
私達 家族は
毎年 夏休みになると
ちぃ叔母さんが居る
「乙部町」に 帰省してました
私は当時 10歳ほどで
夏に乙部町に行くのが とても楽しみでした
楽しみなのは 汚れ無く
緑深き山が あり
そして何よりも いつも純真無垢に
笑って 迎えてくれる
ちぃ叔母さんに 逢えるからなのです
帰省すると ちぃ叔母さんは
いつも 誰も居ない海岸線を
手を繋いで 連れてくれました
砂浜に落ちてる 貝殻を拾い
海に入っては 岩に付いた貝類を採ったり
泳いでみたり 潜ってみたり
山に行けば 秘密の小道を
散策したり 木の実や
虫を 追いかけたり
1日中 真っ黒になるまで
ちぃ叔母さんと 遊んでいました
そんな ある日
いつものように ちぃ叔母さんと
階段に腰掛ながら 昔話をしてました
そこへ数人の 子供達が来て
ちぃ叔母さんに向って 言ってきたのです
ー あいつ馬鹿なんだよ!馬鹿が来た~! -
10歳の私は 何故!?
ちぃ叔母さんが
- 馬鹿 -
と、言われるのか 解からず
ただ ただ 腹が立ち
言ってきた 子供達に
「何で!そんな事 言うのよ!!」と
涙目で 反論したのです
でも ちぃ叔母さんは
怒りもせず 笑って言いました
ー 馬鹿・馬鹿って言う方が 馬鹿なんだよ -
その表情や 言葉には
怒りも 憎しみも
ありませんでした
ただ ただ ククッと笑う
ちぃ叔母さんでした
私は反対に 悲しくなりました
ちぃ叔母さんには
「馬鹿」と、罵られる意味も
解からなかったのでしょう
でも 10歳の私には 解かりました
それでも ちぃ叔母さんは
純真無垢な 笑顔でした
ムキになり怒った 私の方が
ちぃ叔母さんが「馬鹿だ」と
言われた事を 認めたのです
もしかすると・・私の心が狭く
ちぃ叔母さんの辛さを 理解できず
自分自身の ふがいなさに
泣いてしまったのです
悔し涙を流してる 私を見て
ちぃ叔母さんは 笑って言いました
ー 言いたい人には 言わせとけ
言ってるのは 子供なんだから - と・・
ちぃ叔母さんは
いつも 子供達に
言われてたと 思います
今なら 差別用語で
問題になるでしょう
当時は ちぃ叔母さんも
そうですが 社会に出る事さえ
難しい時代だったと 思います
あれから 十数年
「知恵遅れ」と 言われ
回りの理解も 得られず
それでも 日陰の中
逞しく 生き抜いてきた
ちぃ叔母さん達が いたからこそ
今の「自閉症」を
ひとつの 個性として やっと
認められたのだと 思います
病気は 他にもあります
心(精神)の病い 身体の障害など・・
病気は自分が 経験しないと
なかなか 相手の苦しみや
大変さを 頭で理解できても
心では 解からないものです
しかし 私達にも
ちぃ叔母さんと 同じ寛大な
心を持ってる ハズです
話しは 長くなりましたが
私が ちぃ叔母さんに
教えてもらった事は
優しい心が あるなら
強い心も あるのです
弱い人の立場に 自分の心を一度置き
心から 理解し 励まし
純真無垢で 損得の無い
笑顔で 受け入れる事だと
思いました
それが ちぃ叔母さんが
私に 教えたかった
同じ人として 平等に生きる
私が「歩きたい道(心)」なのです
Everybody is Perfect
障害だって 個性と言える
世の中に なって欲しい
生んでくれて、ありがとう。
(僕の歩く道より引用)
いつの日か
ちぃ叔母さんと 歩いた砂浜
腰掛けて昔話した 階段がある
「乙部町」に、行きたいと 思いました
ちぃ叔母さんは けん玉と
お手玉が とても上手でした♪
誰よりも・・
週中の お仕事
お疲れさまでしたっ
今日の道内は ここ数日
強風と 激しい雨が降り
悪天候が 続いてます
外で 仕事をされる方
車を 運転される方
また 大雨による
災害の危険も あるので
充分に 気を付けて下さいね♪
で!今日は 前回
体調が思わしくなく ブログを休み
お見舞いのコメントを 頂きまして
本当に ありがとうございました
お返事が 遅くなった事を
お詫び 申し上げます
それで 今日は
昨夜、フジテレビで
放送された 内容が
とても感動・涙したので
ちょっと 書いてみます(実話)
「奇蹟体験:アンビリバボー」(6月15日放送:PM20時)
ある1組の 老夫婦が居ました
ある日 夫が「胃がん」になり
入院するのですが
妻の寝ずの 献身的な看護に
夫は「申し訳ない」と
思う気持ちに 苦悩してました
次々と 夫の体を襲う癌と
戦っていた ある日
妻が「若年性アルツハイマー」になったのです
妻の記憶は どんどん無くなり
一時は 夫が妻を連れて
「自殺」を試みるのですが
記憶を 無くした妻が
突然 歌いだすのです
記憶が 無くなっても
笑顔と歌声は 無くなってない妻を
夫は ギュと抱きしめ
夫婦で 病いに向かい
生き抜く 決意と
妻を愛し抜くと 誓ったのです
その後も病気が 進行するにつれ
妻の奇怪な行動は 増えますが
何度も 何度も
妻をギュと 抱きしめるのです
そうすると どんなに暴れても 泣いても
夫に 抱きしめられた妻は
静かに 安心したように
夫の腕の中で 笑顔だけを
消えた 記憶から
呼び覚まして いるのです
夫は妻の 笑顔を見るたびに
「妻が愛しくて 愛しくて しょうが無いんです」と
そして「愛してると言葉では 言えないけど・・」
抱きしめては お互いの愛を深く感じ
妻は 享年65歳と言う
若さで 亡くなりました
最後まで 夫の愛を
心一杯に 受けた妻
また夫も 妻の笑顔のお陰で
妻に ありったけの愛を
惜しみなく 与えてきたのです
ギュっと 抱きしめて・・
どっちが先に「愛」を与えたのか?
どっちが先に「愛」したのか?
どちらかが「先」にと、言う事でなく
一緒に 信頼し 尊敬し 慈しみ 思いやり
その積み重ねが お互いに
ー 幾つになっても 永遠にあなたを愛する -
そう思いました
感動し ポロポロと
泣きながら 観てました
とても 良い番組でした
人を 愛する
人を 愛し続ける
ー 病の妻に 捧げた愛 -
自らも癌に 侵されながらも
1人の人を 愛し尽くしているうちに
夫の体から癌は 無くなったそうです
「愛」は もらうものでなく
「愛」は 無償で与えるもの
1人になった 夫の所に
戻って きたのは
「癌」も 無くなり
妻の為に 生きてきた体験を元に
これからは 同じ病気で
苦しんでる人の 力になりたいと思う
「生きる力の(生命力)素晴しさ・愛する事の偉大さ」を
伝えれる場を
亡くなった 妻が
与えてくれたのです
そして たとえ愛する人の
記憶が 無くなっても
愛してる 心(想い)までは
無くならないと
教えてもらいました
今日は雨が 降ってます
心の雨を降らし ピュアな心になった感じで
昨夜、見た番組を 忘れずに
子供・親・兄弟・友人
人を愛する 純粋な
心を 無くさないように
人として 幾つになっても
人を 好きでいられる
自分で ありますように・・と
本当に 素晴しい
夫婦の 実話でした!
悪天候の中
お仕事、ご苦労さまでした
男性から見て女性が羨ましいと思うところランキング - goo ランキング
今日の道内は 朝から穏やかな天気でした
午後からは 曇りましたが
気温は高く 雪解けが進み
草が見えるように なりましたね
もうすぐ 彼岸入りです
「暑さ 寒さも 彼岸まで」
春の便りも各地で 聞こえてきました
さて今回は 以前から気になってた
「gooランキング」を、書いてみたいと思います
「男性から見て女性が羨ましいと 思うところランキング」
男性の本音編を 取り上げてみましょう
堂々の 第一位になったのが!
「レディースデー・レディースプランがある」
これは・・男性なら?そう思うでしょうね
映画館・ホテル・レストランなど
よく見かける プランですね
それと 第4位にも輝いた
「おごってもらえる機会が多い」
でもね!男性諸君!
女性が男性の 羨ましいと思うランキング
6位では「お給料が 高い」と、なっております
これは~現実・・どんなに頑張っても
男性と女性が 同時に
同じ仕事を スタートしたとしても!?
ほとんどの男性諸君に 給料の軍杯が
上がるのでは ないでしょうか?
女性が社会でも 男性と同じか
それ以上の 給料をもらえる女性は
数パーセントでは?と、思うのです
いや 男性と女性では
仕事のポスト(責任)が、違うと
思われてる 男性もいるでしょうが
中には男性より 仕事能力がある
女性も 沢山います(男性には失礼)
その割には 女性の方が
給料に反映されない 部分もあるので
ここは 太っ腹で(笑)
いぇいぇ広~い心で 黙認して下さいませ!
圧倒的に男性のほうが 給料が高いので
ここはスマートに「おごってあげて下さいね」
また さりげなく会計で 精算してる姿は
たとえお金が無くても!?素敵です
将来、家族を養う 役目のある男性陣?の
予習にもなりますので 頑張って下さいませ
だからと言って 全ての女性が
男性に おごってもらうのが
当たり前だとは 思ってませんよ~
やはり 有り難いと思ってます
ある人が こんな事を言ってました
「恋にはお金がかかる 愛は生活がかかる」
女性は本能で「身も心も満たされたい 生き物」
男性は本能で「出したい 生き物」なので
この自然界の生理学を 理解すれば
男性もいたしかた無いと 思えるのでは?
ちょっと話しは 飛躍しましたね
1位と4位ランキングで 終わってしまいそうです
他に 面白かったのは
「スカートがはける!?(オシャレできる)」
「出産が出きる」
へぇ~!?男性も子供を 産んでみたいのですね
大変ですよ~!(命がけの出産とも言われてます)
「娘と仲良くできる」
これは 納得しますね~
女の子は大きくなり 結婚・出産をすると
どうしても?経験者である 母親の元に
帰ると言うか、戻るのですが
お父さんには 寂しい光景でしょう
女のお子さんは「お父さんが好き」って
心の中で 思ってますよ(たぶんね)
で!よく言われてるのが
「理想の男性像は(無意識に)父親」
「好きになる男性のタイプは 父親似」など
生まれて初めて見る?付き合う男性が父親なので
「どうも・・好きになるタイプが・・父に似てる」と言う
女性もいます(反対に男性にも言えます)
文字数に限界が・・
そんなことで
「男性から見た!?女性の羨ましいと思うところランキング」を
書いてみました
ちなみに女性から見た 男性の羨ましいランキング
ダントツ第一位は「生理がない」
女性の皆さ~ん!「生理痛」で
辛い思いをした 経験ありますよね~
本当は「生命のタマゴ」を
排出する 生理は
女性ならではの 喜びと辛さを
感じる時期でも ございます
体調がすぐれない 彼女・奥様が
生理の時は 優しくしてあげましょうね
あらまぁ・・何か男女の生理学の
対応法を 書いたみたいですね
男性は守り 甘えたい(父性本能)
女性は守られ 甘えられたい(母性本能)
男女の本能と 思えば
お互い無いもの ねだりに
憧れる気持ちは 解かります
話しが ゴチャゴチャになりましたが
今回は「男女の羨ましいランキング」を
動物界の生理学者 たぬきが
役割分担 兼生理学の
違いに例えて ご紹介しました!
あらら・・?私って・・
守られ 甘えられて・・無いじゃない
(野生=野放し=一匹たぬき=笑えない)
今回は少し 恋愛について
書いてみたいと 思います
以前テレビで「ニューヨークの恋人」が放映されました
観られた人なら 大体の内容を知ってると
思いますので 省略したいと思います
観てない方は 私が映画記事をよく観に行く
のんさんのブログに 映画の内容が
解かり易く 書いてますので
そちらを読んで頂ければ 嬉しいです
私もテレビで 観ました
主人公は「メグ・ライアン=ケイト」
お相手の男性は 18世紀で生きる!?
「ヒュー・ジャックマン=レオポルト」
ひょんなことから 時代を越えて!?
ケイトの生きてる 21世紀に
18世紀で生きてる レオポルトが来たのです
そして 現代に生きるケイトと
18世紀で生きてた(過去)レオポルトとの
時代を超えた 恋愛が始まるのです
と、簡単に時代を 背景にした恋愛を
ロマンティックかつ コミカルに表現した映画です
私はこの映画を観て 思ったことがありました
ー もしかしたら?今、愛した人は
過去でも愛してた人 だったのかな? ー
そして ー 今(現在)出逢い 付き合いはしたが
結婚まで出きなかったのは 過去に
出会いだけを約束して 別れたのだろうか?-
なら ー 今(現在)愛が 叶わなかったとしても
生まれ変わったら 未来では(来世)
一緒になろうと 無意識のうちに
お互いに 約束したのでしょう -
約束された 運命の人なのか?
何世紀も 時代を架け
お互い違う 容姿かもしれないけど
何処かで 出逢ってたのかもしれませんね
愛する同志が お互いに
「何百年後のここで 再会しようね」と
約束を覚えているなら 時間が経っても
たやすく 再会できるのでしょうが
生まれ変わりを 繰り返してきてる間に
大切な約束を 忘れてしまったのかも・・
もし?今(現在)とても愛する人が いたとしましょう
ー 結婚した 結婚出きなかった -
ー 別れたくなかったのに 別れてしまった -
に関係なく それは
時をすれ違いながら 出逢い(再会)が遅くなり
お互いに違う場所で 違う相手と過ごしてきた・・だけ
ー 心から彼(彼女)しか 愛せれない ー
と、想う人が「時代・時間を架けた相手」で
遠回りしながらも 生まれる前から(前世)
約束してきた 二人だから
無意識に 心で呼び合って
いたと想うのです
それはきっと誰にも 止められないでしょうね
何時間もかけて 約束してきた愛なので
いつかは 成就するのだと思いました
ある日 偶然ひょんな事で
知り合う事になった 相手が
もしかすると・・
「ここで こんな風に 逢おう(再会)」と
過去から 約束した人かも しれませんよ
そう考えると 今あなたの側にいる人も(親・兄弟・友達)
偶然の関係では なかったのでは?
「この世に 生まれたときから
私は(僕は)愛する人を探すために
生を受けてきました だから彼(彼女)以外の
異性とは 付き合わない」と、なれば
人生ある意味では つまらないですよね
色んな人と 付き合い 別れ
そして 出会いを繰り返し
最後に 何世紀前から
約束してた 最愛の人に
出逢えるのかも しれません
「ニューヨークの恋人(2001年公開)」は
時代も時間も架けた「最愛の人に巡りあう」映画です
「ヒュー・ジャックマン」は、公爵から
「X-MAN」ではミュータント役へ!?
「メグ・ライアン」は 数々の
ラブ・ロマンス映画に 出演してますが
「男が女を愛する時」
彼女の傑作映画・演技だと 思っています
この映画は 次回ご紹介したいと思います
12/2に「会いたい気持ち」と「逢えない心」を
書きましたが
ー いま逢えない 心の相手 -
時代・時間を 越え架けると
いつか逢えるように なるのかも・・ね
そして・・
あなたが 気が付いてないだけで
永遠の愛を 誓った相手と
何処かで すれ違ってるだけ かもしれませんよ
お互い 約束を 忘れてるだけで・・
永遠の再会と 永遠の約束を信じて
愛情の方程式レベル3
永遠の愛の 存在を信じてる
パーソナリティー狸が
「時代を越えた愛・時間を架けた愛」を
ファンタジィー&ロマンティックに
お届けしました
今日の北海道は また今シーズン1番の
寒気に覆われ 最低気温もマイナス10℃以下
最高気温でも マイナス8℃と寒い1日でした
今日は「節分」です
暦の上でも春に入る「立春」前の
二十四節気の一つなんですが
北海道では春が来るのは まだ後になります
今日は自宅で「豆まき」を、した人もいるでしょう
だいたいは何故か!?毎日、家族の為に働いてる父親?が
「鬼役」になり「鬼は外!福は内~!」と
外に出されたり(私も鬼です寒いのに・・)
奥さんも日ごろの鬱憤を!?晴らすためか?
ここぞとばかりに思いっきり マメをぶつけたりと
各ご家庭では 楽しい豆まきをしたでしょう
あ~でも、お1人の方も恥ずかしいかもしれませんが
「今年も福を呼ぶ」為に この日を機会に窓からでも
ちょっと厄払い気分で 豆をまいてみてはどうでしょうか?
えっ?凍って窓が開かない?ですって?
そうでしたね 外は氷点下10℃以下ですものね
それでは 玄関を開けて まいて下さいませ!
もし夜空が晴れていたら 東の空に春の星座
かに座に土星が接近し その明るさで都会でも肉眼でボヤーッと
よく見えるのが この2月なんです
豆を外にまく時に 土星とプレセペ星団が接近した
夜空を眺める 絶好のチャンスですよ
ちょっと話しが星座まで 飛んでしまいましたが
何故?鬼退治に「キジ・猿・犬」を連れて行くのでしょう?
有名な鬼退治の童話に「浦島太郎・桃太郎」
などがありますね
誰もが知ってる お話しなんですが
今日は豆まき・鬼退治の日なので
「桃太郎」のことを書いてみたいと思います
桃太郎は3匹の動物を 仲間に入れて鬼退治に行きます
桃太郎が本当に強いなら 1人でも大丈夫だと思いませんか?
でもあえて「キジ・サル・イヌ」を仲間に選んだのです
どう考えても!?鬼に勝てそうな 仲間では無い感じですよね
ところが3匹は桃太郎に 必要不可欠な役目があるのです
まずは「キジの役目」
鬼を退治するには 鬼の情報を調べないといけません
鬼がどれくらいの数が居るか?どんな武器を持ってるか?
キジは勇気を持ち 知らない場所:鬼の居る所まで飛び
空から鬼のことを 調べに行きます(情報収集)
次に「サルの役目」
キジから得た情報を元に 退治の仕方・作戦を考えます(知恵)
そして「イヌの役目」
キジからの情報と サルからの作戦を聞き
実際に鬼に向って(行動力)行きます
桃太郎の話しで 大切なことは
この3匹の「情報・知恵・行動力」が合わさって
とてつも無く大きな鬼に 勝つことが出来るのです
この鬼は現代なら「他人=人」かもしれません
職場・学校・地域など 自分の前に立ちはだかり
生きてるなら「困難な事・嫌な事・面倒な事=鬼」に、例えたら
この3匹を(仲間=友達) 人生と言う長い道のりに
お供にしては どうでしょうか?
もちろん主役「桃太郎はあなたです」
もちろん桃太郎なので
「よく調べ(情報)よく考え(知恵)実際にやってみる(行動力)」を
兼ね揃えることも 大切だと思います
またあなたが誰かの「キジ・サル・イヌ」に
なってあげる事も 大切だと思います
今日は節分:豆まきです
「鬼は外~!福は内!」
人生の鬼退治に「桃太郎のキジ・サル・イヌ」を
ちょっと思い出して 話してみませんか?
またお子さんが居る ご家族なら
「桃太郎」が何故?数ある動物の中で
「キジ・サル・イヌ」を選んだのか?
絵本を読む機会があれば 少しアレンジして
「昔・むか~しあるところにね~!
おじいさんとおばあさんが居てね・・・そして
あなたが大きくなったらねぇ~
よく調べて・よく考えて・行動してね!
そして迷ったり・困った時は
キジとサルとイヌの 友達を作るのよ~!」と
このお話しは 子供だけではなく
大人も生きていれば どんな鬼が襲うか解かりません
でも心強い仲間・友達がいれば「鬼に金棒」です
心強く豊な気持ちになる「キジ・サル・イヌ」を
人生のお供に(仲間・友達) 作りませんか?
あ~私は狸ですからぁ・・(狸寝入りが得意)
冬は弱いので・・(仮冬眠状態)
節分・豆まきの日は 童話の「桃太郎と 心強い仲間達!」
動物界を代表して「キジ・サル・イヌ」を
たぬき昔話ナレーションの 狸がご紹介しました
でも~本当の敵(鬼)は 己の中にいるんですよ~
今日でようやく週末が来ました
北海道は日を重ねるごとに 寒さも厳しくなってきました
昼間は晴れていましたが 夕方から吹雪だし
本格的に冬将軍が到来しました
北国はこれからが厳しい冬との戦いです
そんな厳しい寒さを吹き飛ばそうと思い
今回は切なくも少しロマンチックな 内容でお送りしたいと思います
「会いたい気持ち」 いつでも 何処でも 誰にであるでしょう
「家族に会いたい・友人に会いたい・好きな人に会いたい」など
「会いたい」とは 気持ちの表現の ひとつでもあります
この気持ちは悪いことでは無いので 会いたい相手に連絡をして
「会う」機会を約束すれば 比較的簡単に会えるのです
とても好きな人がいて 会う機会が無くても
「会いたい」気持ちを持ち続けると 会うことは難しくないのです
そして自分の心に偽ること無く 正直な気持ちなので
心にストップを掛けること無く 自然と気持ちと体が
「会いたい」と、思う相手に向って行けるのです
だいぶ前にトレンディ・ドラマで 高視聴率を取った番組がありました
1991年の夏に放映された「101回目のプロポーズ」なのですが
「武田鉄也」演じる「達郎」は 何をやっても上手くいかない
もてない 自信ない 情熱がない 何も無い 落ちこぼれの中年男性が
お見合いで出会った綺麗な女性 「浅野温子」演じる「薫」という
女性に一目惚れしたことから ドラマの話しが始まるのですが
そのドラマの1シーンの中で 達郎が素直な気持ちで薫に「会いたくて」
泣きながら言う 台詞があるんですが
「心が泣いてるんです あなたに会えないと思うと
心がピューピュー泣くんです」 とても印象的な台詞でした
このドラマの「達郎の気持ち」と、同じだと思いました それは悪い事でなく
「会いたい気持ち」とは、自分の心が真直ぐ 相手に行く感情なのです
では「逢えない心」は「会いたい気持ち」と、どう違のか?
この「逢えない心」とは 自ら「逢いたい気持ち」を偽り 抑え込む心理状態で
本人にはとても辛い 心の状態に置かれているのです
それなら 気持ちを抑え込まず 逢いに行けばいいのでは?
そう思うでしょう 「逢えない心」には 自分の気持ちより「逢いたい相手」を
想うからこそ 自らが「耐えよう」と、心に歯止めを掛けてしまうのです
「逢いたくない」のではなく「逢いたいけど 逢うと相手の為に良くない」
心で想う気持ちとは裏腹な心理で なおかつ自らを苦しめてしまうのです
でも その苦しい気持ちは辛いでしょうが 「逢いたい相手」を
思いやる優しい心なので いつかは自らの幸せにも繋がると思いました
「逢えない心」が 逢いに行く自らの行動も 止めてしまいます
でも悲しまないで下さい 心だけは
「逢いたい相手」に向って行ってるのです
少し切ないですが ロマンがある心です
そう考えると 「逢えない切ない気持ちは 相手を想うロマン」
何となく 切ない部分もありますが 心が豊になりませんか?
「逢いたい心」を 「逢えない心」に置き換えるのは 辛いでしょうが
「逢いたいけど 逢えない相手」を、想う心は
永遠にあなたの心の中に 良い記憶として残るでしょう
ー 会いたい 会いたい ただ訳もなくて
会えないとわかってても 忘れるなんて出来ない
二度とあの日に戻れないけど 会いたい 会いたい
でもあなたの為に 会わないと決めてもなお 苦しくて溢れだすの
満ちて欠ける想いは 今夜はとてもまぶしい
ココロの奥を照らす 三日月のように
夜明けが来ても 消えたりはしない
手は届かないけれど・・・ ー
「天国の階段」エンディングテーマ
「会いたい」よりSONG BY SONA
この週末 あなたなら 誰に会いますか?
それとも 「誰に逢いたい」ですか?
そんな私は 「あなたに」 逢いたいです
週末のお話は 愛情の方程式レベル2 切なくてロマンティクな
「会いたい気持ち」と「逢えない心」を、お届けしました!
パーソナリティーは ロマン溢れる狸でした~
では よい週末を・・
今日は青く晴れわたる大空に 眩しい太陽がより
暖かさを増し 良い天気に恵まれましたね
特に朝焼けは 空を朱色に染めて幻想的でした
今回は以前から気になっていた 某自動車メーカーのCMのフレーズで
「物より 思い出」に、ついて書きたいと思います
確かに「物」よりは「思い出」のほうが 大切だと思います
でも「物」をくれる相手が 自分の愛する人からの「物」なら大切にし
心の中にいつまでも色褪せること無く 「思い出」として残ります
形が残る「物」ならいいのですが 形がなくなってしまう「物」もあります
たとえば 子供が小さい時に使っていた三輪車などは
大きくなれば使えなくなり リサイクルで人に譲りますが
当時小さかった 我が子の懐かしいし しぐさや行動など
三輪車という「物」を通して 「いい思い出」と、なり心に残ってます
今では大型の自転車に乗る我が子を見て 成長しても懐かしいです
世の中は 「物が全てではない」と、思われる方もいると思います
もちろん私も「物だけが全てでは無いし 思い出にしがみ付く」
つもりはありません よく「過去は過去」と、振り向かない考えの人もいます
私は 過去の辛い事・悲しかった事・楽しかった事・嬉しかった事
これら全ての「過去の思い出」が心の中に 活かされているから
今の自分の姿があり 明日に向かえる機動力になってると思っています
男性などは付き合い始めた頃 なんとか自分の気持ちを
受け入れてもらいたい為に 一生懸命に「物」をプレゼントしたりしますね
決して悪い事ではないのですが(微笑)その後が困りもの!(笑)
いわゆる「釣った魚に エサはやらぬ」 そんな事があるのでは?
そうかと言われても 「毎回、プレゼントをあげるのは厳しい」と、
思うのも解かります お金もかかるし 一番の理由は
「お互いに好きな気持ちが確認でき 安心感が出て 緊張感が無くなる」
そんなところに 彼女の誕生日すら忘れてた~!と、怒られたりと
苦労してる?男性も多いのではないでしょうか
特に女性は「甘い言葉 甘いしぐさ 甘い食べ物」に、弱い生き物です
どうすれば「物」を 気持ちよく受け取ってくれるか?
その「物」が その人にとってよりいい「思い出」になるか?
本人が望んで欲しかった「物」なら それは喜ぶでしょう
しかし 嬉しいと思う感情は そう長く続かないこともあります
「物」が「良い思い出」になる為には 「物」を渡すまでの過程にあると思います
たとえば 「高価な物」でなくても 相手の為に一生懸命探したり
相手の為に喜んでもらいたいと 想いやる気持ちが自分の行動を
無我夢中にさせ「やっと見つけた~!」と、経験した事はありませんか?
心がこもった「物」は 相手がどんな想いで 努力して
自分の為にプレゼントしてくれたのかしら? そう考えると
感謝をし 心が嬉しいと感じ 自分にとっては「大切な物」となり
送る方も もらう方も「いい思い出」になるのではないでしょうか
私の友人に 仕事で地方に行く機会の多い人がいます
その人に行った先の風景の写真を 送ってもらうことがあります
私は遠くまで行けないので その方から頂く写真は とても嬉しいです
特別、高価な物でも 珍しい物でもありませんが
私はその写真を観ては 自分もそこに行った気持ちになれるのです
心から嬉しいと思った「物」には値段を付けられないのです
「竹取物語り」の「かぐや姫」ではありませんが(苦笑)
「私の為に ここまで真心をかけてくれたのね!」そんなプレゼントほど
嬉しい物です たとえそれが高価な宝石よりも
気持ちを込めた1輪の花のほうが ずっと価値があるのです
宝石は形として残りますが 1輪の花は枯れても
「思い出」として心に残ります
「物より 思い出」と、言うフレーズが伝えたいのは 高価な物より
「心に残る想いの物」を、言いたいのだと思いました
形に残らない「思い出の物」ならたくさんあると思います
恋する人達が一緒に観る風景は カメラで撮ることを忘れても
心のシャッターが瞬間的に何枚も撮って 心に思い出として残っていますよね
「物を大切に いい思い出として残す」
そんな「心が喜び 良い思い出になる物」を戴きたいものです
私も1度だけ 心のこもった「思い出の物」を、もらった事があります
1個は くれた人に返しました 残りの1個は私の思い出の場所に
置いてきました 今でもそこにあればいいと思ってます
時を刻みながらも 自然に風化することを願い
なんとしてでも 好きな人の気持ちを自分に 振り向かせようと
毎回!? プレゼント(物)をあげてるあなたに
何度あげても相手の気持ちが 自分に揺れないのは「ただの物」なのです
視点を変えて 相手の心に残る 思い出になるような「物」を
探してみませんか?相手を想いながら 心から喜んでくれる「物」を探して
「物より 思い出」 いい言葉です
でも探し続けて くれぐれも貢ぐタイプにならないようにね
また自分の愛を相手に押し付けるような 「物」の渡し方には気を付けて
物も 思い出も 以外と近くにある物なんですよ!
愛情の方程式 レベル 1 「物より 思い出」でした!
今日の北海道の朝はセルリアンブルーの青空から
コバルトブルーに変化した清々しい青空でした
今夜は晴れた夜空になりそうです
また明日16日は 1ヶ月振りの満月で 東の夜空には赤く輝く火星も観れます
11月は星の数は多くありませんが 空気が冷えて澄んだ夜空を見ると
一日の疲れも取れる気がします そして おうし座プレアデス流星群スバルが
5~7個の小さい星を引き連れてます それと南の空高くに観える11月の星座
「うお座」も観れるのでこの2~3日は夜空を観てはどうでしょうか
月の話しが出たので今回は女男の性質の違いを
「月」と「太陽」に置き換えて考えてみました
よく男性は「女性の気持ちが解からない」と、悩んだり
女性は「男性の考えてる事が解からない」 両者とも同じ事で
意思疎通が出来ずに なんとなく険悪なムードになり 最悪な時は
会話が無くなり冷え込んでしまう事も 多々あるのではないでしょうか?
では何故?男性が「太陽」なのかと私なりに考えてみたのです
ほとんどの男性は 太陽が出てる日中に活発に活動する動物?なんです
朝陽と共に仕事と言う作業をし 日没と共に疲れて巣に戻る習性があります
また太陽が昇る日でも 雲に覆われたり 雨が降ったりと
仕事中に使うエネルギーは 夜の分まで残ってないのです
そのかわり日中の明るい時間でも交尾できる本能も持ってます
よく家に帰ると お父さんはグッタリして(笑)奥さんの話しすら
聞く力も残っていないので 奥さんの不満が積もるのも解かります
いわゆる男性は「太陽」と同じく活動するので「月」が出る夜には
役目を終えて明日の 日の出しか考えて無い部分もあるのです
ですから陽が落ちて 帰る男性は1日の役目を終えた安堵感と
疲労感しか残らないので 家に居る時は「何も考えてない」と、言うか
「何も考えれない」のです 女性はそこの部分を理解してあげると
お互いのフラストレーションも溜まらないのでは? それでも
元気のいい男性を見たいのでしたら 陽のある日中がいいでしょう(笑い)
では 女性を「月」に例えた理由は何でしょう
本来 女性(メス)は外敵の少ない深夜に出産します
また授乳なども夜に多く 男性よりは女性の方が活動的なのです
昼間はぼんやりしてる女性も 月が出る夜の方が綺麗に見えますよね
よく女性と夜デートして 「綺麗な人だなぁ~」と、勘違い?する男性もいますが
夜のほうが女性は生き生きしてるんです 月灯りに照らされるとね!
それと「月」には 満月(気分が良い時) 半月(気分が乗らない時)
新月(新たな気持ちにリセットする時期)と、見える形や気分が違います
女性の生理も月と同じ周期で 精神的な部分も多く関わっているようです
女性は月と同じく 気分も変化しますが 気持ちは変わらないのです
ですから男性が「女性の気持ちが解からない」のは「月」と同じなのだと
考えれば少しは理解に苦しむ事もないのでは?
「今日の家内(彼女)は機嫌がいいなぁ・・」と、感じた時は
(そうか!家内(彼女)は今日、満月なんだ~)と、思うと納得でき
そんな時は一言 「おや!今日は綺麗だね~」と、声を掛けてあげると
不機嫌な奥さんも嬉しくなり 女らしくなるのではないでしょうか(微笑)
少しの解釈の仕方で円満にもなりますし お互いをいたわる事も出来るので
男の人は「昼間働く 太陽なのね」 女の人は「夜に輝く月なのね」
そう思うと 少しは気持ちが軽くなりませんか?
明日16日の夜 天気がよければ満月が観れます
女性の気持ちで悩める男性は 満月の月夜を観て
「こんなに綺麗な月の夜もあるのだなぁ」 と、思えたら
複雑で繊細 かつ魅力的な女性の心も解かるのでは?
月夜に照らされた女性は 輝いて綺麗ですが
くれぐれも 魅惑的な満月の引力に 引き込まれないように
お気を付け下さいね!
今回は少し甘美な お話しでした~
今朝の北海道は良い天気でしたが
昼前には厚い雲に覆われ太陽の陽射しが無いので
寒くなりました。今の時期は雲の動きが早いので
天気が目まぐるしく変わります
「晴れのち曇り 夕方頃雨が降り 夜には雪に変わるでしょう」
いわゆる ALL Weather そんな天気です
今日で父の事をブログに書くのは終わりにします
今回は父との別れ そして笑顔の向こうに見えたもの を、書きたいと思います
2003年8月20日水曜日 晴れ 気温28度
朝5時30分 3日前から病院で付き添っている母から電話が来ました
予感はしてましたが、こんなに早くとは思っていませんでした
母は憔悴した声で「急に血圧が下がり 脈拍も落ちてきたから
今すぐ 病院にきて!」緊迫した話しぶりから「もしかして・・!?」と、思い
タクシーを呼びました 隣では「子供達と家で待ってるから・・お願いね・・
祈っているから・・」と、泣いる妹 でも私はいつもより冷静でした
タクシーが来るのを待ってる時 私は煙草をゆっくりと吸いながら
父と最後に煙草を吸ったのを 思いだしていました
5時55分タクシーが着き「間に合うから!大丈夫よ!子供達をお願いね!」
そう言い車に乗って すぐ運転手さんに「父が危篤なので1分でも速く
病院に行きたい」と、事情を説明すると 運転手さんは笑顔で
「では!飛ばしますよ!諦めないで下さい!お父さんに会えますよ!」と、
初対面の運転手さんに励まされ嬉しくなりました
私も(絶対 父に会える!父は待っててくれる!)そう信じ病院に向かいました
6時10分 運転手さんに感謝の気持ちと お礼を言い
病院の玄関に着きました ドアは鍵がかかっており
インターホンで事情を説明し中に入れてもらいました
1階のエスカレーターは止まっており 父が居る9階まで階段で行きました
6時14分 私は父の病室に入りると 母は泣いていました
看護婦さん達も泣いていました 担当の医師も涙ぐみながら
「お父さんは最後まで 癌と闘い 苦しい治療にも耐え そして何よりも
笑顔の耐えない 明るい人でしたよ 最初の診断では余命3ヶ月と
診断しましたが 本人の生命力の強さと ご家族の支えがあったから
2年以上も生きていれたのでしょう 医学ではありえない事だと思います
最後は眠るように全ての心肺機能が自然のように止まりました
午前6時04分でした・・ご愁傷様でした・・」先生と看護婦さんが全員で
父に深く礼をしてました 私も「ありがとうございました」と お礼を言い
父の顔をなでました (寝てるのかしら?)と、思うほど
いつもの父の寝顔でした 手を握ると まだ暖かく
「今日にかぎって・・遅くなって・・ごめんね・・」父は穏やかな寝顔で
「気にするな!いいんだよ」そう、言ってるように聞こえました
私は無数の点滴の後が残る 父の腕と足をなでながら
「お父さん やっと 家に帰れるよ よかったね」と、
笑顔で父に言いました 父との約束通り ー 笑顔で ー
午前7時30分 葬儀社の車で遺体となった父と一緒に 母も家に帰りました
父の入院中 担当してた医師数名と婦長さん達 全員が涙を流し
深く礼をして 父の乗った車を見送ってくれました
午前8時 退院手続きを終えた私は 病院を出ようとしたら
担当の主治医が外に出て来て「お父さんのような 明るい患者さんは
初めてでした・・」と、涙を流して言ってきました
私は「もう 病院に来ることも無くなりましたね 先生にお逢いする事も無いと
思います 寂しい感じがしますね・・先生もお体を大切にして下さい
長い間 お世話になり ありがとうございました」と、微笑み
深く 深く 頭を下げ お礼をし 病院を背にして 歩き始めました
10メートル程歩き 最後に父が過ごした9階の病室をもう一度
見ようと振り返ると まだ担当の主治医が立って頭を下げていました
(えっ!?)と私は思い 良い先生に出会えてよかったと、思うと
再度 感謝の気持ちで胸が一杯になり 涙が出て 深く礼をしました
「さぁ!父の待っている家に帰ろう!」そう、言いながら
笑顔で見上げた空には 雲ひとつ無いコバルトブルーの青空と
陽射しが暑くなってきた 夏の太陽を浴びながら
草の蒸れた香りがする空気を 大きく吸い 背伸びをしました
帰る足取りはとても軽く 何故か 心まで清々しくなれたのです
2003年8月20日 父 享年64歳 私38歳の夏でした
明日13日は 父の67歳の誕生日です
生きていたらです
明日 父が大好きだったお酒と煙草を持って 父に報告します
「お父さんの言うように 辛い時も 笑顔でいたら
私も子供も健康で元気に暮らせることが出来ました
ありがとうございます そして父の娘で幸せです」
ー 永遠に光れ 向日葵 ー
向日葵 ~一期一会の命~ よりSong By 東 真紀
人は何かを乗り越えようと 決意した時に
本人にも信じられ力が出るそうです
その力を信じて 頑張って生きたいと思います
笑顔のもとで!
今週1週間 長い文章を読んで頂きまして ありがとうございました
北海道の天気は目まぐるしく変わってます
今朝は朝焼けが綺麗でしたが
午後からは雪雲に覆われた冬の空に変わりました
今回は最後の抗がん剤治療と手術 そして 私に残した言葉に付いて書きます
2002年 新年が明け父を中心に 家族で楽しく過ごしました
でも父は病院に戻りました
これが父とみんなが過ごした 最後の正月になったのです
医師から「もう一度抗がん剤治療をしませんか?」と、お話がありました
父の癌腫瘍がまた少しづつ大きくなってきたのです
これ以上 父の体の癌が大きくなる事と、転移を避けたいのでお願いしました
2月に入り2度目の抗がん剤治療を受けました
また強い副作用が父の体を苦しめていました
なんとか乗り越えた父は さらに痩せ細り
髪の毛も無くなり 副作用との戦いで疲れていました
しかし体調が良い時はベットに座り いつもの笑顔で同室の患者さんと
明るく振舞い笑いながら話しをしていました
季節は春になり 父の容態も落ち着いてきたので 医師に週末
外泊許可をもらい みんなで車に乗り父に桜を見せに連れて行きました
父は淡い桃色の花びらを観て「綺麗だな~」と、微笑み
「みんなで写真撮ろうよ!」と、言うと照れた顔をし撮影しました
後日プリントして見た父の顔には 笑顔が無く辛そうな表情で写ってました
そして夏が来て 3回目の抗がん剤治療をしました
ほとんど骨と皮だけになった父の姿を見ては 父に悟られないように
トイレに行き 泣いてました
医師からは「もうこれ以上抗がん剤治療は出来ません。それと
お父さんの肺機能も悪いので酸素を付けて
呼吸補助しなければなりませんので ご了解して下さい」と言われました
今年の初めより確実に父の容態は悪くなっていたのです
紅葉の秋 自力で歩けなくなった父は 車椅子で移動し
車椅子の後ろには 酸素ボンベを積んでいました
ある日 父が「タバコが吸いたいな~」と、苦笑いしながら言ってきました
病棟から出ることも禁止されてた父を 私は突然
父を車椅子に座らせ ベットにある毛布を父の体に寒くないように覆い
急いで父の車椅子を押して 病院の外に出ました
「おいおい そんなに飛ばすな~」と、笑いながらも待ち焦がれてたのです
「お父さん!外に出たよ!はい!タバコ!」と、父に煙草を渡し
秋の空の下 5ヶ月ぶりに外に出た父は 美味しそうに
ゆっくりと煙草を吸いました とても嬉しい顔をしてました
私も一緒に吸い「また、退院できるからね・・!」と言うと 父は
「お前達に・・面倒かけて・・悪いな・・」初めて見る父の哀しそうな顔でした
10分ほど外に出で 二人で煙草を吸った私達 親子は
これを最後にもう二度と 一緒に吸う事は出来ませんでした
2002年 今年も終わろうとしてた時 父はまた高熱を出し
年末年始は家に帰れませんでした
2003年 父が肺癌になり 2度目の初夏 7月
父の肺と心臓に水が溜まったのです
肺に水が溜まることは 自分の体が肺の水で溺れて 死に至るのでした
医師は緊急に手術をすることを私に伝え「危険な状態になることも
あるので覚悟して欲しい」と、言って来ました
私は手術のことを父に話しました 一瞬、驚いた顔をしましたが
父はいつものくったくのない笑顔で「そうか・・」と、言い
私も「簡単な手術だから大丈夫よ!頑張ろうね!」と、言うと
父はにこリと微笑み 静かに横になりました
もちろん父には手術したら 危険な状態になるかもしれないとは
言えませんでした 何故なら 父から笑顔を失くしたくなかったからです
手術の前日 父の病室に向かうと いつもの笑い声は聞こえませんでした
「お父さん 体調はどう?」「うん・・いいよ・・」と、言い
父の顔は微笑みながらも、声には覇気が無く そして私に話しかけてきました
「なぁ・・オレに何かあっても・・決して泣くなよ・・それと・・
お前は離婚して・・大変だったな・・オレには解かるぞ・・でもな・・
暗い顔してたら・・子供に良くないぞ・・だから・・これからは・・
どんなに辛くても・・笑っているんだぞ・・そうしたら・・お前と子供は
幸せになるからな・・わかったな・・」
「うん・・そうね・・お父さん・・私は大丈夫だから
早く元気になって・・退院しようね・・」そう、答えるのに精一杯でした
父の前では笑顔で接してた私でしたが 私の笑顔は無理に作っていると
父には悟られていたのです そう思うとこみ上げる涙を止めれませんでした
父はくったくのない笑顔で「・・おい・・泣くな・・約束したろ・・?」
「・・・うん・・・」涙でクシャクシャになった私は 笑おうとしても
涙が溢れ それでも精一杯の笑顔で父を見ました
父は最高の笑顔で「そうだぞ!」と、言いベットに横になりました
それを最後に父の笑顔は 二度と見れませんでした・・
手術は無事終わりましたが 腎不全を起こし 病室には戻れず
そのまま集中治療室に 運ばれました
意識は戻らなく 手を握っても握り返さず そして 父のケラケラと笑う声は
もう聞こえなくなりました・・
父は最後の力を振り絞って 私に残した言葉は
「辛い時こそ笑っているんだよ」 それは
父がどんなに苦しい治療の時も いつも笑って私を迎えてくれてたのです
2003年8月 街ではお盆のちょうちんが赤い灯りで揺れてました
帰り道 1人で歩くのは心細いと感じた私は 人混みにまざり
うつむきながら道路に 涙を一粒づつ落として帰りました
ー 思い切り笑って 時に泣いて 傷つけあっても逃げずにいたいの
ここで今 私が確かに咲き誇れるように -
向日葵 ~一期一会の命~ より Song By 東 真紀
明日は ー 父との別れ そして笑顔の向こうに見えたもの - です
次回で父の事をブログに書くのは最後にします
読んで頂きまして ありがとうございました
今朝 外に出たら10cm雪が積もっていました
つい2~3日前は18℃もあった気温が
昨日から5℃まで下がり 本格的な冬が来ました
登校する子供達は約半年振りの雪に大喜び
雪玉を作っては 投げて遊ぶ姿が見られました
積もった雪の上を歩くのは気持ちがいいです
ギュギュと雪を踏みしめる音は どの季節にも無い歩く自然の音です
今回は父と過ごした正月と 覚悟してた再入院を書きたいと思います
2001年8月末 父は一時帰宅ができ、5ヶ月ぶりに家に戻りました
いつも父が座っているソファに腰掛て、嬉しそうにテレビを観てました
病室ではあまりテレビを観てなかった父は、何度もチャンネルを替えてました
やはり自分の居場所に戻れたのが嬉しいのでしょう
ケラケラと笑いながらテレビを観ては私に「面白いな~!」と、
何度も声をかけてきました
私達はソファに並んで座り 煎茶を美味しそうに飲んでる父の姿を見て
(家に帰ってこれてよかった)と、実感しました
ところが10月に入り季節が秋に変わった頃
父は風邪を引いて熱が出てしまいました
季節の変わり目はどんなに健康な人でも体調を崩しやすい時期です
父が風邪を引くと言う事は 肺炎にもなると言うことなのです
今の父の体は肺炎でも危険な状態になるのです
病院に戻りたくないと言う父を なんとか説得をし
熱が下がればまた家に帰れることを約束し 父は再入院したのです
父が家に居れたのは1ヶ月だけでした これを最後に父が月単位で
自宅で生活できることは無くなりました
病院に戻った父は肺炎を起こし また高熱との戦いが始まりました
「正月には・・帰りたいな・・」そう言う父の顔には望みの笑みがありました
私は父の想いに答えるよう「絶対、帰れるから 心配しないでよ!」
そう励ましては 祈る気持ちで父の熱が下がるのを待っていました
医師らの懸命な治療と 父の持ち前の明るい性格が功をなしたのか
12月末ギリギリに一時帰宅の許可が出ました
街は真っ白い雪に覆われ 年末に向けて人々が忙しそうに歩いていました
父は正月が終わるまで家に居れるのだと思うと いつもの
明るい声でみんなに話しかけていました
それもそうです 今ここには一度バラバラになった家族が父の側に居るのです
妹夫婦と子供 私と子供 そして 別れた母が狭いひとつの居間に居て
みんなで年越し・新年を迎えることが出来たのです
父は微笑み「酒がのみたいな~」と、言うと 私達の子供が
慣れない手で「じぃちゃん入れてあげる」と、グラスに注いでました
「いい子にしてたら~沢山、お年玉あげるからな~」
子供達も父と初めて過ごす正月に喜び 父も孫に囲まれて過ごすひと時に
嬉しい顔の瞳には 涙に潤んだ父の優しい眼差しがありました
もし 父が病気にならなければ この光景はなかったかも知れません
それは私が子供の時には 当たり前のような家族の集いが
20年振りに再現することができたのです
みんなが集まったこと みんなで歳を越す みんなで新年を迎える
そんな簡単な事が出来なかった 私達家族には 夢のような光景でした
家で みんなで食事をしながらテレビを観ては 子供達のはしゃぐ声と
父のケラケラ笑う声で 居間は明るい雰囲気で溢れてました
父は癌になりましたが その引き換えに 私達にもう一度
家族が集まる大切さを教えてくれたのです
お酒が飲めない私も今夜は 父と一緒にビールを飲み
暖かい居間で 家族みんなが揃い 年を越しました
この日を機に家族みんなが 父の癌と戦い必ず完治するように願いました
窓の外を見ると 雪は静かに降り
積もる雪が 高さを増すのを見ては
父の命も降り積もる 雪の高さのように
生きていれる日が 多くなるのを願いました
たぶん父も私と同じ気持ちだったと思いました 何故なら
父がこんなに明るく笑う顔に なにひとつ不安な影が見えなかったからです
そう思うと私は また来年も 再来年も いつまでも 出来るだけ
生命が輝き続ける限り 家族が集まり 父と共に病気と闘う勇気 そして
最後まで諦めない強い意志のもと みんなが笑顔で 心に誓ったのです
ー 光る向日葵の微笑みが 孤独を引き連れて輝くように
人が皆 寂しさ背負って 今日も笑いあえたら素敵 -
向日葵 ~一期一会の命~より Song By 東 真紀
次回は最後の抗がん剤治療と手術 そして父が私に言いたかった言葉
読んで頂きまして ありがとうございました
今日 北海道では初雪が降りました
昨年より2週間遅い雪です
我が家の前はすでに3cm積もりました
暖かい秋が終わり寒さ厳しい
白一色の綺麗な冬が訪れます
今回は父が初めて挑む抗がん剤治療について書きたいと思います
2001年7月 ようやく父の癌による熱も下がり主治医から
抗がん剤投与の治療を始めたいと話してきました
父も私も初めてのことなので、どんな治療で、どんな効果があるのか
解からないので先生に色々と聞きました
抗がん剤とは数十種類あるらしく どの抗がん剤が
癌細胞に効果があるかは投与してみないとはっきりとはわからないのです
まして父の癌細胞は大きくて、抗がん剤で小さくすることは出来ず
今の腫瘍がこれ以上大きくならずに 癌の成長を遅らせる目的の投与でした
先生は考えた結果、初めての投与なので有効だろうと思う
2種類の抗がん剤を点滴に入れて 父の体に負担が掛からないように
時間をかけて体内に入れる事にしました
夏が来て 病室の外の太陽は陽が暑く 活気ある季節になりました
父は大きな点滴を腕に付け 窓から見える景色を見ては
嬉しそうに「夏になったんだな~」と、薄笑して言いました
父も入院してやっと4ヶ月目で治療が出来るようになり
これが終わると帰宅できると信じていたので
抗がん剤を投入しても気持ちはホッとしていました
熱が下がったお陰で父も少しずつ食欲が出てきたので
父は、あれが食べたい これが食べたいと言うようになってくれたのです
夏なのに「柿が食べたいな~」「桃が食べたいな~」「ぶどうが食べたいな~」
など、いつものくったくのない笑顔で言うので私も可笑しくなり 笑いながら
「みかん探すのは大変だったのよ~秋まで缶詰で我慢してよ~」と、言い
見舞いを終えて家に帰る途中、大きなスーパーやデパートに寄り
父が食べたがっていた果物を、探して歩いて帰りました
それは父が自分の体が秋までは持たないと感じたのか
それとも父が初めて娘に甘えて、言ったことなのか解かりませんが
とにかく私は父の笑顔を見たかったので四方八方と探し見つけては
嬉しくなり早く父に届けたいと思う気持ちだけが
病院に見舞いに行く 辛い私の心を明るくしてくれたのです
抗がん剤治療も無事おわり 相変わらす同室の患者さんと
楽しく笑う父の姿が戻り 私も安心しました
「8月には帰れそうね!」と、話していた矢先に父の容態が変わったのです
いわゆる抗がん剤のリスクの部分の副作用がでたのです
副作用のせいで父はベットにずっと寝てる状態でした
起きることも出来ないほどの頭の痛み 食欲不振 嘔吐 発熱 など
父が経験したことのない苦しさだったのです
意識がもうろうな父の顔には いつもの笑顔はありませんでした
点滴で栄養を体内に入れても 口から食べ物を取らないので
体はみるみるうちに痩せていきました
声を掛けても薬で眠ってるので 返事がない父の寝顔を見て
「・・お父さん・・今日はぶどうが手にはいったよ・・それと・・
メロンも持ってきたよ・・あと・・トコロテンも買ってきたよ・・」 とポツリ言い
父のベットの横で 泣きたい気持ちをこらえ 目を覚ますのを待っては
面会時間が終わると 父と何も話しが出来ないまま帰宅しました
「明日はカボチャを煮て持っていこう!」帰宅途中でカボチャを買い
歩きながら「今、父は懸命に病気と闘っているんだ!私が泣いてたら
父が悲しむ!」そう自分に言い聞かせながら 歩く道のりには
街のネオンが涙で滲み 綺麗に見えました
8月に入り暑い日が続いたある日 父の副作用も落ち着き
なんとか起き上がれるようになった父が 私に言ってきました
「・・今・・何月・・何日・・なんだ・・?」
「うん8月10日よ。何か食べる?頭痛くない?」
「・・そうか・・もうすぐお盆か・・かき氷が・・食べたいな・・」
「うん!わかったよ!買ってくるから待ってて!」
久し振りに父と会話した嬉しさで 私は思わず声がはずみ笑顔で答えました
父は私の顔を見て「・・すまない・・な・・」と、か細い声で言った顔は
頬は痩せこけていましたが いつもの笑顔が戻ってきました
抗がん剤の効果が癌細胞に効いたみたいで 体調がよければ
医師から「今月末に1度帰宅してもいいよ」と許可をもらうことが出来ました
私はそのことを父に伝えると、嬉しそうな顔をして
「退院できるんだ・・」と、言いました
私は医師から「もし微熱が出たらすぐ病院に戻るように」と、約束し
父には熱が出たら戻らなければならない事を隠していました
少しずつ食事もでき、熱もでなくなり、容態も安定してきたので
退院ではなく 帰宅する要望を医師に伝え 了解を得ました
帰宅する日 私が病室に向かうと いつもの父の笑い声が聞こえてきました
明るく笑う声を聞いた私も嬉しくなり、父を迎えに病室に入りました
父はベットに座り同室の患者さんに「元気でな~頑張れよ~」と、声をかけて
まるで自分はもう治って退院するかのように みんなに挨拶をしてました
寝てた期間が長いのと 体力が無い父に「お父さん 歩ける?」と、聞くと
驚いた顔をして「何だよ!?大丈夫だよ~!」と、苦笑いしていました
ベットの横で立とうとした父の体は バランスを崩しフラフラしてました
看護婦さんが「1階のタクシー乗り場まで車椅子を使っていいのよ」と、
優しく声をかけてくれましたが 父はケラケラと笑い
「大丈夫だ~!歩けるさ~」と、言う言葉とは反対に
ふらつきながらも歩こうとする父の姿を見て 私は思わず背中を見せて
「おんぶしてあげる 背中に乗って!」と、言ってしまいました
父は驚いた顔をし 笑いながら「何いってんだよ~」と、照れ笑い
でも歩く体力がないのを自分で知ったのか 悩みながら私の背中に乗りました
「恥ずかしいから~降りる」そう言ってきた父の体を 私は絶対に離さず
「いいじゃない!親子なんだから~」と、笑い でも今にも
泣きそうな気持ちをこらえて 父をおぶり廊下を歩き始めました
ー お父さんって・・こんなに軽かったの・・!? -
入院する前は56㌔あった父の体重は 44㌔まで落ち 私より軽くなってました
父は自分の身を削りながら 過酷な治療を耐え抜いたのです
そう思うと 背中で照れ笑う父の重みを 尊く思い
心の中で「お父さん・・よく頑張ったね・・」と、溢れる涙を
こらえるので精一杯になり 無口になった私は 病院の玄関だけを
ひたすら目指し 父を背に乗せて歩いてました
5ヶ月振りに外に出た父と私は「わぁ~!いい天気だね!」と言い
タクシーで自宅へ向かって帰ることが出来ました
夏祭りも終わり 残暑がまだ残る街に 私達親子は
ただ ただ 感極まる思いと 本当に父と帰れてよかった
そして これ以上の幸せはないと実感じました
ー 光る向日葵の笑顔にも 負けぬ生き方で愛せたら
受け取った命を冷やさず 今日もずっと歩いてゆける -
向日葵 ~一期一会の命~ より Song By 東 真紀
次回は20年振りに父と過ごした正月と
予期してた再度の入院を書きます
読んで頂きまして ありがとうございました
今朝は晴天の秋晴れです
雲ひとつない空に太陽の陽射しが暖かいです
しかし北海道にも確実に冬はやってきます
空気は澄んでいますか 頬にあたる風は冷たく感じました
今回は父が初めて体験する入院生活について書きたいと思います
2001年3月下旬 父の入院のため、自宅で私は入院生活に必要な用品を
カバンに入れてました。衣服・下着類・身の前回り品など沢山ありました。
私は父に「枕持ってく?」と、聞くと父は苦笑いしながら「そうだな」と、言いました
入院生活で1番困るのが、いつもと違う寝具では眠れないことなのです
詰め終わると大きいカバンが3個にもなり、隣りで見ていた父は
「そんなに持っていくのか?」と、ケラケラと笑っていました
なんか入院するのに私も笑いながら「そうよ!海外旅行に行くんだから!」と、
冗談を言い緊迫した空気は無くなり、父の顔にはいつもの
くったくのない笑顔が戻っていました
タクシーを呼び病院に着くまでの40分間、車内で
父と私はタバコを2~3本続けて吸いました
私はタバコを吸いながら父に「病室は禁煙だから、困るよね~」と
そんな話しをしているうちに病院に着きました。
街の中でも10階建ての大きな病院でした。
受付を済ませ、すぐ病室に案内された父はベットには横にならず、座ってました
私は担当の主治医に呼ばれ、これから父の治療方針と病状の詳しい
説明を受けました。主治医は「これと言う治療法はありませんが
出来るだけやってみますので、ご家族の方も決して諦めないで下さい」と、
言われ1枚の紙を渡されました
そこには「今後、抗がん剤投与による癌細胞の他臓器転移をふせぐため・
治療・入院3ヶ月」と、書かれており私の署名と印鑑を押す用紙でした。
「インフォームド・コンセント」と、言われる書類でした。
病室に戻り、父に「また明日も来るから」と言い残し、私は家に帰りました
これから何回 交通機関を使い この病院にくるのだろうか・・
いや 何度来たら 父と一緒に帰れるのだろうか・・
1人で帰る道は 悲しいとか・辛いとか・苦しいという感情は無く
ただひとつ 父が治ったらもう1度 家族として
父と一緒に住めると思う希望だけでした
それは私が17歳で家を出て 親と住んでなかった 約20年振りの夢でした
入院してから父はすぐ、同室の患者さんと仲良くなってました
見舞いに行き廊下を歩いてたら、父のケラケラと笑う声が聞こえ
微笑ましい気持ちで病室に入り、父と穏やかな数時間を過ごしていました
会う看護婦さんからも「お父さん 明るいね~」と、言われ「はい!」と返事をし
私もホッとしていましたが、主治医に病状を聞いたら 父は入院した日から
癌による高熱が出て抗生剤と解熱剤を入れた点滴をしていたのです
熱が下がらなければ抗がん剤の治療は出来ないと言われました
入院して3ヶ月たっても熱が下がらず 食欲も無いことを
婦長さんに聞くと「熱があること、食べれないことは娘に言わないで欲しい
娘は最近離婚して 1人で頑張って 子供育てているんだ。 だから余計な
心配はさせたくないんだよ」と、婦長さん達に頼んでいたのでした
父は自分の病気より 私のことを心配していたのです
そして父は、私に気が付かれないように、私が見舞いに行く時間帯になると
ベットから起きては同室の患者さんと、元気なふりをして笑っていたのです。
私は病室に戻り「熱がさがらないの?食べれないの?」と、聞くと
いつものくったくのない笑顔で「何でもないから!心配するな」と、笑ってました
父は私に心配させない為に 明るく振舞っていたのだと思うと
胸が切なくて苦しくなり父の前で涙いてしまいました
父は「泣くな 頼むから オレのことで泣くな」と、苦笑いした顔で言いました
親は とくに父親は 自分のことで子供が泣くのことは
親として1番辛いのだと思いました
どんなに苦しくても弱音を吐かない 辛い顔をしない いつも笑顔でいる
父が私に残してくれた 父親としての誇り だったと思いました
帰り際に私は「何が食べたいの?」と聞いてみたら
「みかんがいいな・・」と、いつもの父の笑顔
明日からはみかんを持っていこう!そう思い笑顔で病室を出ました
暦は6月 初夏がくる前のリラ冷えする帰り道 これからは
どんなに父の苦しむ姿を見ても
決して父の前では 泣かないと誓い
抗がん剤散治療が終わったら必ず
父と一緒に帰宅する事を夢見て 病院を後にしたのです
父の大好きなお酒を用意して・・
ー あなたの前で泣けるなら どんな簡単なことだろう
誰もがこんな夜の隙間で 勇気求め 祈る ー
向日葵~一期一会の命~より Song By 東 真紀
次回は抗がん剤治療に挑んだ父と 私達家族の願いです
読んで頂きまして ありがとうございました
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