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走るナースプラクティショナー ~診断も治療もできる資格を持ち診療所の他に診療移動車に乗って街を走り診療しています~

カナダ、BC州でメンタルヘルス、薬物依存、ホームレス、貧困層の方々を診療しています。登場人物は全て仮名です。

信仰と医療

2025年05月01日 | 仕事

昨日のブログの中に


医療職としての社会からの期待もあります。 と書きました。これについて書きますね。


期待とは 医療を施行する、全うする、と期待されている職業という意味。なんだ、そんなことか、と思われるかもしれませんが、奥は深いものです。


看護職の前に人間ですから、宗教や信仰や好みで、医療を施行するべき時にできないこともあります。例えば、カトリック系キリスト信仰者は子は神様からの授かりものなので、避妊や特に中絶という概念を信じません。


しかし現実は望まない妊娠をしたり、強姦の末の妊娠だったり、医療的理由(妊娠中に癌に診断され、癌治療を優先するため)に中絶をしなければならないケースがあります。そのような患者に接するのは、信仰の教えに反することなので、関われば看護師側に心理的ダメージを与える可能性があります。つまり社会からの期待に添えないケースです。


しかし私は関われない、と拒絶するだけではなく、私はケアできないので他のスタッフに任せます。と言うのはセーフとなるのです。前者は責任を放棄したことになり、免許を管理する団体から指導やひどい場合は免停になることも。しかし後者はその対象になりません。なぜなら患者を放置せず、ケアできる誰かにバトンタッチをしているから。


性転換や多様な性や同性愛を許せない人もいます。カナダにはMedical Assisted In Dying(MAID)もありますが、それも許せない人もいます。


許せない人がダメ!と医療全体を否定するのではなく、それを許すことができ、ケアに参加することが苦痛とならない看護師が関われば良い、と言うことです。


信仰と科学(医療)を分けて考えるやり方です。


しかし昨日書いていたことは真逆になります。


一部の信仰が医療を形作り、科学で証明されない、法政界でも魔女狩りが横行していた時代への逆戻りのような法規が立案されている状態。本当に恐ろしい話です。


冒頭写真: ボウ川、エルボー川が通る街なので橋が複数あります。自動車専用の橋の下には歩行者と自転車用の橋が作られています。冒頭写真は高速の下のものです。


こちらはダウンタウン近く









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