走るナースプラクティショナー ~診断も治療もできる資格を持ち診療所の他に診療移動車に乗って街を走り診療しています~

カナダ、BC州でメンタルヘルス、薬物依存、ホームレス、貧困層の方々を診療しています。登場人物は全て仮名です。

ケアモデル その4 マジョリティーとマイノリティー

2021年11月25日 | 仕事
昨日、マジョリティーとマイノリティーと書きました。殆どの人が人種を思い浮かべると思いますが、これらの言葉は人種だけに使われるわけではありません。性別、性的嗜好、教育、所得、資産、地域、食生活、嗜好品などなどいろんなものに使う言葉なのです。

日本は単一民族国家で外国人の移民に厳しい国です。誰もが日本人だからマジョリティー、マイノリティー談義がしっくりこないのはよくわかります。だって基本あなたは日本人でマジョリティーの中にいるから日本と言う国の中でマイノリティーがどう生きているか?努力しているか?苦労しているか?など考えたこともないからです。いくら「人は皆一緒。同じでなければならない」と幼い時から教育を受けていても現実は先に書いたような視点では同じではないのです。

わかりやすい例をあげましょう。日本に「障害者と共に暮らす」と言う考えが出てきて、(オリンピックのために)各駅にエレベーターの設置などを始めたのも最近です。何故だかわかりますか?それまでは足があって手があり、目が見えて、耳が聞こえ、発声できる人が大半で、先の障害がある人は少数派だからです。日本社会の構造は建物構造も含め健常人のために作られているからです。

教育も学校へ通うことができる子どもたちを対象に作られています。しかしさまざまな理由で登校できない子供に対し代わりになるシステムはありますか?教育を基本的人権の一つとしてあげているのに、教育にアクセスできない登校できない子どもたちが存在する実態に対して国は何をしていますか?海外ではホームスクールと言われる、学校に行かなくても家庭や旅行先でも教育を受けるシステムやオンラインで教育を受けるシステムが成立しています。だってそうしなければ学校へ行けない子供にとって公平性に欠けているシステムで人権侵害だからです。

それは政治の話で医療の話ではない、と思う医療者がいるかも知れません。いえいえ同様のことが医療の中でも沢山起こっています。公平性(平等性ではありませんよ)と言う視点で見れば医療もまたマジョリティーの人のために作られていることがわかるはずです。この視点で医療を評価できるようになるのが修士以上の教育であり、修士以上の教育を終えた人に期待されることなのです。昨日、新しいケアモデルは大きなものから小さなものまである、と書きました。モデルの大小はあっても医療の公平性の視点は同じです。

続く


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