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南英世の 「くろねこ日記」

徒然なるままに、思いついたことを投稿します。

都構想とはいったい何ぞや?

2020年10月30日 | 日常の風景

いくら説明を聞いてもよくわからないのが都構想である。たぶん多くの大阪市民も同じ思いなのではないか。それでも、11月1日には大阪市を廃止して4つの特別区にするかどうかを判断しなければならない。ここで改めて、都構想とはいったい何かということを考えてみたい。

1.そもそも都構想は何のために主張され始めたのか?
 大阪市(人口270万人、一般会計予算1兆8千億円)は"経済的においしいところ"をもっていて、その権限と財力は非常に大きい。そのため大阪府は大阪市の意向を無視して事業計画を進めることができず、両者はしばしば意見が合わずに対立を繰り返してきた。そこで、提案されたのが大阪都構想である。
大阪市の持つ権限を府に移管すれば、大阪府と大阪市の利害が衝突することは解消される。これがいわゆる「二重行政」の解消である。

2.都構想への疑問
① 「二重行政」なるものが仮にあったとしても、それが果たして無駄と言えるのかどうか。もし二重行政が無駄だというならば、戦前のように地方自治を認めず、全国を中央政府の権力下に一元化すればよい。そうすれば沖縄の基地問題も一挙に解決される。
戦後の民主主義は「地方自治」を重視し、中央政府による一方的な全国支配を否定することから始まった。その意味では二重行政・三重行政は地方自治の証ともいえる。

② そもそも東京23区の特別区は、第2次世界大戦下に戦時体制強化のため、東京市民の自治権を奪うために生まれたものである。だから、法人住民税や固定資産税などの徴税権はすべて東京都にある。もし大阪市が廃止されれば、大阪市が失う財源は年間2000億円ともいわれ、これが大阪府の財源となる。そうなれば、現在大阪市が行なっている行政サービスは間違いなく低下する。

個人的ことを話せば、私は年間60万円以上の固定資産税と市民税を大阪市に払っている。これは本来、大阪市民のために使われるべき財源である。これがよその地域のために使われるということは地方自治を否定するものと言わざるを得ない。大阪市を廃止したほうがいいという人はよほど気前がいいのか。なぜ政令指定都市から区への「格下げ」をわざわざ望むのだろうか。

③ 賛成派の人が主張するように、大阪市を廃止することによって本当に大阪の経済成長が加速するのかも疑問である。大阪の人には東京に対するコンプレックスがある。だから、東京の真似をして大阪都にすれば、大阪も発展するのではないかという期待がある。しかし果たしてそうか? 大阪市を廃止しても「大阪都」にはならないし、かりに「大阪都」になったとしても二重行政を解消したくらいで大阪が発展するとも思えない。

大阪を発展させるためには、カジノを作るなどといった貧困な発想ではなく、大阪を日本のシリコンバレーにするとか、市大と府大をを単に合併させるのではなく、全授業を英語で行ない世界から研究者や留学生が集まる一大研究機関にするといった思い切った政策が必要ではないか。学生の半分くらいが留学生であってもいい。かつての大坂には「適塾」という日本最高の学問所があった(ここで塾頭を務めた福沢諭吉は「江戸へ行っても何も学ぶことがない」と言っている)。大阪にはそういう下地がある。

④ さらにいえば、二重行政であるのは大阪市だけではない。京都市も横浜市も名古屋市もみな二重行政である。しかし、大阪以外に二重行政を問題視しているところはない。なぜ大阪だけがこれを問題視するのか。

⑤ 大阪市を4つの区に分割した場合、行政コストはどうなるのか。今まで同居していた家族が分家するのだから、当然維持費は余計にかかるとしたものである。銀行が合併によって効率化を目指すのと正反対のことをするのだから、常識で考えてもこのことは容易に想像がつく。大阪市によれば年間218億円余計に経費が掛かるという。もっともこの数値は「天の声」によって否定させられたようだが、天の声がやっきになって否定すればするほど、やっぱり218億円は正しいのではないかと思えてしまう。


以上みてきたように疑問だらけである。
変革すればよくなるというのが「革新」の基本姿勢である。超保守政党の「維新の会」が革新を主張するのも面白いが、政治は” Change " と主張している時が一番票に結び付きやすく、” Change " の中身が分かったとたんに支持を失うというのはよくあることである。
11月1日、大阪市民はどのような判断をするのだろうか。



人物デッサンの難しさ

2020年10月26日 | 日常の風景
(『人物デッサンの基本』鯉登淳 ナツメ社 より転載)


絵に人物が出てくるのはつきものである。そこで人物デッサンの本を買ってきて、さっそく写真をモデルに描いてみた。ところがまるで様にならない。歯を出して笑っている美人も、私が描けばまるでおそ松くんの「イヤミ」のような歯になってしまう。目、鼻、口、耳など部品のひとつ一つの位置や形が実に難しい。3次元を2次元に表現するというのはなかなか大変である。「やってみて 初めて分かる 難しさ」(1句できた笑)。

顔一つでもこんなに難しいのだから、からだ全体を描こうとしたらもっともっと難しくなるのだろう。人物を描くには表面の形だけをなぞっても薄っぺらな絵にしかならないから、人間の骨格・筋肉の構造を知り、内部の延長として描く必要があるという。だから上記の本も医学書のような解説がいっぱい載っている。

美術学校でデッサンを勉強する際は人物像が中心だと平山郁夫が書いていた。風景のデッサンだといくらでもごまかせるが、人間だとごまかしがきかない。だからデッサンの勉強の素材としては人物が最高なのだという。彼は学生時代「今日は100人の人を描いてくる」と言って下宿を出て、夜遅くまで人を描いていたという。

今まで何気なく人物画を見ていたが、名画がなぜ名画と呼ばれるのか少しだけわかった気がする。フェルメールは下の絵を描くとき、骸骨を思い浮かべながら描いていたのだろうか。


45年ぶりのレッスン

2020年10月23日 | 日常の風景
45年ぶりにYAMAHAのエレクトーン教室に通うことにした。
今日は体験レッスンで、いわば「見極め」。ベテランのN先生につくことになった。

弾いているところの記念写真を撮ってもらおうと「ドナウ川のさざ波」を気持ちよく演奏していたら、エレクトーン奏者の松田昌先生が通りがかりに覗いていかれたとあとで聞いてびっくり。実は松田昌さんのCDを私は3枚持っている。今度サインをしてもらおうかなア(笑)。

2曲ほど弾いたが、普段なら難なく弾ける曲も緊張していっぱい間違えた(笑)。まあ、それが実力というものか。
それでもステップ1(初級)を飛び越えて、ステップ2のコースから始めることになった。YAMAHAのグレード9級・8級へのチャレンジコースである。8級くらいになると、かなりレパートリーが広がる。
正式なレッスンは11月から(月2回)。


デッサンの勉強

2020年10月22日 | 日常の風景

生まれて初めてデッサンを習った。まだ1回しか講習を受けていないが、わずか1回の講習で自分でも驚くほど大きく変わった。まだまだへたくそなので恐縮だが、恥を忍んで比較のために描いたものをアップさせていただく。

まずは、講習前のものから。
長方形の補助線を引くことを本で学び、ワイングラスを描く。まずまずの形ができて満足だった。




ところが、1回目の日本画教室で講師の先生から「質感を出してください」と言われ、課題としてガラスコップのデッサンをするように言われた。どうしていいかわからないので戸惑っていると、最後に先生がネリ消しゴムを使って「チョチョッ」と手を入れてくれた。すると、みるみる間に別の作品に仕上がった。それがこちら。




そうか、こんな風に描いたらいいのか。
さっそく翌日、自分でもう一度ワイングラスを描いてみた。この日は授業があったので、授業の空き時間を利用してさらさらっと描いた。それがこちら。(ちなみに、非常勤講師だから空き時間は何をしていても拘束されない)



習う前に比べれば、かなりマシになったか。いや、わずか3日間で「長足の進歩」というべきか。これまでとは全く違った世界に入り込んだ気がする。

シャープペンシル、歯磨きセット、スマホ、ティッシュの箱など、デッサンの材料は身の回りにいっぱいある。さっそく描いてみた。いずれも20分ほどでできた。



デッサンは対象の形をとらえることも大切だが、光と影の描き方も重要である。今まで何気なく見ていた街の風景も、デッサンを始めてから建物の光の当たり方がすごく気になり始めた。世の中を見る目が変わったと言ってもいい。あの景色をデッサンするとしたら、どこを「バリュー(色の階調)」90%にしようか、あそこは60%くらいか、あの部分は30%くらいがいいか、などと考えてしまうのである。

まだまだ始めたばかりだが、これから半年かけて日本画の基礎をじっくり学びたい。いい先生に出会えた。

初めての絵画教室

2020年10月19日 | 日常の風景

第1回目の日本画教室に行ってきた。教室は阪急オフィスタワーの17階にある。
今日はガラスコップのデッサンだった。久しぶりに超緊張した。

受講生は10名弱。全くの初心者は私一人で、ほかの人は短くて1年半、長い人は30年ちかく日本画を習っているという。それぞれが自分のペースで作品を描いている。挨拶もそこそこに、さっそく講師の先生から鉛筆の削り方、握り方、動かし方、ネリゴムの使い方など、デッサンの基礎の基礎から教えていただいた。

しかし、いきなり「質感を出してください」と言われたのには正直言って戸惑った。陰影をつければいいのだろうけど、どうしていいか全くわからない。すると先生が助け舟を出してくれ、ネリゴムを使ってさらさらっと見本を見せてくれた。みるみる間にコップに透明感が出てきて、はじけば「キーン」という音がするような絵に仕上がった。本では絶対に学べない内容だった。わずか1回の講習で新しい世界が開けた感じがした。

帰りがけに日本画に必要な画材一式を注文した。岩絵具はもっと上達してからということで、それ以外全部購入した。かなりの初期投資になった。いい先生に出会えたようである。

エレクトーン教室

2020年10月19日 | 日常の風景

ELC-02を購入して3か月になる。しかし、操作方法がいまひとつよくわからないところがある。特に「音色」の作り方が難しい。そんなこともあって、ヤマハのエレクトーン教室に通うことにした。もうちょっとうまくなって、レパートリーを増やしたいという気持ちもある。習うのは40年ぶりか。ちょっとワクワクする。

この年になって教室に通うのはちょっと勇気がいった。しかし、先日心斎橋の三木楽器に楽譜を買いに行ったら、私より年配の男性がエレクトーンの個人レッスンを受けていた。ガラス越しに見ていたら、指の動きから明らかに超初心者である。その場にいた別のインストラクターに聞いたら、「最高齢88歳の人もいますよ」とのこと。これで「自信」がついた(笑)。

YAMAHAにしてみれば、少子化で子どもだけを対象にしていては商売にならないのだろう。梅田の教室にも「大人の音楽レッスン」というのぼりが立ててある。教室が家から歩いて15分の所にあるのもありがたい。




日本画に続いてエレクトーン教室。株や囲碁と違って「勝ち負け」がないのがいい。
人生、ますます面白くなってきた。

日本画を習ってみることに

2020年10月17日 | 日常の風景

教室は10月19日(月)から始まる。全12回。1回目はもうすでに終了していて途中入会になる。
絵を描くなんて中学校の時以来だ。
妻からは「あなたは絵心がないからやめとき」と言われたが、若いころからいつかは日本画を習ってみたいと思っていた。平山郁夫や東山魁夷の複製をながめていると、日本画をやってみたいという衝動は一気に高まった。

もとより画才の無いのは承知している。
それで「絵心がなくても描ける」というデッサンの基本を説いたテキストを買ってきた(笑)。



これに従って、円や楕円の描き方を学び、その応用としてコーヒーカップやワイングラスを描いてみた。
恥ずかしいからここには掲載しないが、しかし、自分でもなかなかと思えるデッサンに仕上がった。テキストの最初の40ページほど読んだだけで、まだバリュー(明暗)をつけるには至っていないが、案外やれそうな気もしてくる。

さっそく画材店に行って、ケント紙、鉛筆(H、HB、B、3B、5B)、それにネリゴムを買ってきた。少し描けるようになったら家の愛ネコの絵を描いてやりたい。スケッチ旅行に全国まわるのもいいかも。夢が広がる。

古代エジプトの絵画に共通するもの

2020年10月16日 | 日常の風景




(問題)
上の古代エジプト人の描いた壁画に共通するものは何か?

(答)
正解は「古代エジプト人は人間の顔を正面から描くことができなかった」というものである。
確かに3枚とも顔は横向きである。そして目は正面、鼻は横から描いている。2枚目、3枚目の壁画では上半身は正面を向いていて、顔と下半身は横向きである。顔を横向きに描くのは横向きにしないと鼻の高さを表現できなかったからかもしれない。

人間の顔を正面から描けるようになったのは、ヨーロッパから陰影法が入ってきた後のだということらしい。陰影法によって、絵はようやく質感が出せるようになった。それまで人間は基本的に「線」で絵画を描いていたのである。


そうだったのか。
だんだんはまってきた。





秋の味覚

2020年10月16日 | 日常の風景

街路樹のイチョウの木からたくさんのぎんなんが落ちている。
今年もいっぱい拾ってきた。

きれいに洗ったつもりだが、どれだけ丁寧に洗ったつもりでもニオイは残る。
ビニール袋に入れて書斎で保管。

封筒に入れてホッチキスで留め、電子レンジで1分ほどチーンすると、きれいに実がはじける。
一人で食べるぞー(笑)



今日も、ダイソーで500円で買ったネコ用ベッドに、わが愛ネコはすやすや寝てござる。


佐川美術館

2020年10月15日 | 日常の風景


平山郁夫生誕90年記念展をやっているので行ってきた。湖西線堅田駅下車、タクシーで2000円。
佐川美術館は佐川急便が創業40周年を記念して1998年に建てたものである。(館内は写真撮影禁止だったので、絵は家の写真集から転載)


「パミール高原を行く」



「平和の祈りーサラエボ戦跡」



「長安の残輝」



「皓月のブルーモスク」


「パミール高原を行く」と、「サラエボ戦跡」は特に見たかった作品なので満足であった。特に、「パミール高原を行く」はかつて玄奘が通ったのではないかと考えられているルートで、標高4千メートル近い場所である。平山は実際にそこを自分の足でで歩いてスケッチをしている。本画の横に本画と同じ大きさ(1.7m×3.6m)の大下図(スケッチ)が展示されており、参考になった。

唐招提寺

2020年10月12日 | 日常の風景
薬師寺にいったついでに、唐招提寺にも足をのばしてみた。唐招提寺は薬師寺から歩いて10分ほどのところにある。目と鼻の先にありながら、両者の雰囲気は全く異なる。きらびやかさが微塵もない。庭園にはきれいな苔が生え、落ち着いたたたずまいである。





ここの御影堂には鑑真和上坐像や東山魁夷の「唐招提寺障壁画」があるのだが、残念ながらこちらの建物は現在大規模な修理の真っ最中であった。東山魁夷の障壁画は一度展覧会で見たことがあるが、それはそれは素晴らしいものであった。


(東山魁夷 「唐招提寺障壁画」HPより転載)

薬師寺

2020年10月12日 | 日常の風景

平山郁夫の絵に誘われて薬師寺が見たくなってぶらりと出かけた。電車で1時間ほどのところに住んでいながら、今まで行ったことがなかった。

拝観料1100円を払って中に入ったのだが、あまりに広くどの建物がどれだかパンフレットと照らし合わせてもよくわからない。職員の方に聞いてようやく 金堂、東塔、西塔を知る。


(東塔と金堂)



(金堂と西塔)



(薬師三尊像 撮影禁止のためHPより転載)





(玄奘三蔵院入口)


この一角にある大唐西域壁画殿には、平山郁夫が30年の歳月を費やして完成した壁画が公開されていた。
そうそう、これが見たかったのだ。


(平山郁夫「大唐西域壁画」 撮影禁止のためHPより転載)

絵に囲まれて

2020年10月10日 | 日常の風景
平山郁夫「パルミラの遺跡を行く」(朝と夜):玄関



(平山郁夫 「薬師寺晩照」)



(廊下)



平山郁夫「西域の馬」「ブルーモスク」



(東山魁夷「満ち来る潮」)


(ギリシャで買った40号の大作は玄関から書斎に移動)





(ミレーの晩鐘も同じく玄関から書斎に移動)


だいぶお金を使ったが、ちっとも惜しいとは感じない。
それどころか、心が満たされて「ジワー」とうれしくなる。
絵は人を幸せにする不思議な力を持っている。

でも、もう飾る場所がない。
今度は天井にでも飾ろうか(笑)。
今週末に、東山魁夷の作品がもう1点届く。

散財

2020年10月08日 | 日常の風景

平山郁夫の「パルミラ遺跡を行く(朝・夜)」のセット、先日ヤフオクで落札できなかったので新品を購入した。
複製ではなく、本物だと少なくとも9桁の値段はするんだろうなあ。
複製でも間近で見るとすごく迫力がある。





お金はあまりないけど、どうせ「あちら」には持っていけないのだから、まあ、いいっか。
株で溶かしてしまうよりはよほど有意義!(笑)。
眺めているだけで心が豊かになる。

エレクトーンを買って音楽の美しさに目覚め、それがきっかけで今度は美術工芸の美しさに目覚めたのかもしれない。