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南英世の 「くろねこ日記」

徒然なるままに、思いついたことを投稿します。

京都新聞

2020年01月27日 | 日常の風景
2020年1月26日の京都新聞が話題になっている。
まずはご覧あれ。上の広告と下の広告。
正反対の主張である。
上は共産党の市長許すまじ。
下は、多様な考えがあってこそ力になるというACの広告。

私は決して共産主義の主張に与するものではない。
しかし、 いろいろな考え方を認め合ってこそ健全な社会。
政治の世界の one teamは怖い! よくもまあこんな下品でアホな宣伝を恥ずかしげもなく顔写真と名前入りで何百万円も払って掲載したものだ。

しかも、この広告には自民党・公明党だけでなく、国民民主党・立憲民主党・社民党も名を連ねているというからオッたまげた。かつて排除された政党が今度は排除する側に回っている。少なくともこの広告からはそう受け取れる。どういう神経をしているのだか。

下のACの広告と並べたのは新聞社のせめてもの良心か。それとも反発を予想したうえでのカモフラージュか。

(後日談)
写真と名前を掲載された著名人の方々、実は勝手に名前が使われたと判明したらしいです。だとすればなおさら悪質ですね。2020年1月30日記

最後のセンター試験

2020年01月26日 | 日常の風景
センター試験は、高校教育を基礎基本に立ち返らせるという意味では、非常に大きな貢献をしたと思う。その意味では大いに評価したい。

しかし、その一方で様々な弊害も生んできた。
第一に、50万人の受験生を1本のメジャーで測り序列をつけるという弊害である。1本のメジャーで人間を評価するがごときは、日本の将来を危うくすると言っていい。100メートル走らせたら速い人、42キロ走らせたら速い人。走るのが得意でなくても心の温かい人、絵のうまい人、音楽が得意な人。人間はいろいろである。チューリップという童謡がある。「どの花見ても、きれいだな」。これぞまさしく、日本国憲法第13条の精神であり、私たちが目指すべき社会である。

第二に、教育効果がテストの点数で可視化され、センター試験で高得点をとること自体が目的化してしまった。今、大阪ではセンター試験を0.1点刻みで学校間比較することが組織的に当然のように行われている。何を隠そう、25年前、大阪府の学区トップ校の会議を初めて提唱した張本人は私である。動機は進学校特有の悩みを共有するためだった。ところがその後、10校会議は各校を競わせるための道具に成り下がってしまった。

中には、センター試験の得点が他校より低かったからといって校長室に呼び出されて叱責された教員もいると聞く。センター試験の結果が人事評価につながり、給料に反映され、次の転勤に影響を及ぼすとなれば、教員は嫌でもセンター試験の得点それ自体を目標にせざるを得ない。

そもそも、学区を撤廃して競争させてどんな効果があったのだろうか? 京大合格者の数で教育の効果をはかることはできないと思うのだが、100歩譲ってそれで教育効果をはかるとしても、10校全体で総合格者数が増えているのか? 上位校で生徒の奪い合いをしているだけではないのか?誰もその辺の検証をしない。学校間の格差は競争条件が同じならしょせん交通の利便性の差でしかない。

第三に、50万人もの受験生の採点を短期間にしかも公平に行うために、解答が4択を中心とする選択方式である点だ。その結果、記述力・表現力が極端に低下してしまった。そもそも下記の選択肢の中に必ず正解が一つあるということ自体が現実離れしている。そうした弊害を克服しようと、来年度から始まる共通テストで「記述式」を導入しようとしたが、見事に頓挫してしまったのはご承知のとおりである。

来年度からは「共通テスト」と名前が変わる。しかし、昔あった共通一次試験がセンター試験に変更になっても、試験自体は何の変化もなかった。今度も同じだろう。名称が変わるだけであり、試験の中身は大きくは変わらないとみている。

全国一律の共通テストはその役割を終えたのではないか。そろそろ廃止してはどうだろうか。パーキンソンの法則宜しく、利権がらみで廃止できないということは、よもやあるまい。

PTA新聞に掲載

2020年01月25日 | 日常の風景

天王寺高校PTA新聞の担当者から原稿依頼があった。
非常勤講師の身ででしゃばるのも気が引けて、最初は辞退した。
しかし、PTA役員の要望だと聞いて、むげに断るのも悪い気がして引き受けた。

何を書こうか迷って、2本書いた。
「AI時代における教育」と「成績で悩む生徒に贈る」
どちらを掲載するかは担当者にゆだねた。
その結果、後者が載ることになった。
天王寺高校6年間の締めくくりとして、いいメッセージが残せたと喜んでいる。


最後の授業

2020年01月17日 | 日常の風景

今年は3年生しか持っていない。昨日、最後の授業が終了した。自分で言うのも変だが、今年度は我が人生で最高の授業ができたように思う。生徒もよく応えてくれ、授業アンケートも満足のいくものであった(4点満点の3.9)。

天王寺高校には常勤・非常勤併せて6年間お世話になった。やり切った感があり思い残すことはない。もう、高校で教えることはないかもしれない。次の新しい仕事に向けて、目下猛勉強中である。勉強すればするほど、己の無知に愕然とする毎日である。

三国志

2020年01月16日 | 日常の風景

中国電視台が6年かけて制作したという「三国志」全95話(1話45分)をようやく見終えた。ともかく面白かった。その一語に尽きる。まさに、大人のドラマだ。

日本では劉備玄徳や諸葛亮孔明の人気が高いが、中国では曹操を推す人が多いと聞く。このドラマを見ていると「なるほど」と思う。

曹操のセリフに「我、人に背くとも、人、我に背かせじ」という言葉があった。広い中国を支配するためにはそのくらいの厳しさが必要だったのかもしれない。それは今も当てはまるのかもしれないと思った。それと同時に、日本で劉備や孔明が評価されるのは、君臣関係の重要性を説く儒教の影響かなとも思った。





次年度の仕事に向けてスタート

2020年01月04日 | 日常の風景

夜9時に寝たら夜中の2時に目が覚めた。そのあとなかなか寝付けず、次の仕事のアイディアが「ワー」と次から次へと湧いてきた。急いでメモをした。

年末に大量の本を捨てたばかりなのに、新年早々また1万円ほど買ってしまった。2000円の本を買って、一つか二つ授業に使える部分があれば儲けものだと思っている。このほかにも5冊ほどネットで古本を注文する予定。新本ばかりでは財布がもたない(笑)。



金、20年来の高値に

2020年01月01日 | 日常の風景

 

金価格の高騰が続いている。1キログラム900万円を超えてきた。金価格は世界情勢が不安定になると高騰する。今回は次のような要因が影響していると考えられる。

・世界中を襲った新型コロナウイルス
・ロシアによるウクライナ侵攻
・アメリカと中国の不仲
・3月にアメリカの大きな銀行が相次いで経営破綻
・スイスで2位の規模を誇る金融機関の経営危機

資産運用は分散投資が基本である。アベノミクスが始まった2013年以来、マンション、株式、金、外貨などに分散投資をして、なるべく現金は持たないようにしてきた。今から5年前に、欲をかいて株式投資で失敗をしたことがある。そのことは以前ブログで書いた。

欲に目がくらむ - 南英世の 「くろねこ日記」 (goo.ne.jp)

あれ以来、株式投資は一切やっていない。しかし、それでもこの10年間に限ってみれば株式を含めすべてプラスで推移している。

 

新型コロナウィルスが世界をパニックにした2020年2月、株式が暴落した。この時よほど買おうかと迷ったが、世界恐慌になるのではないかと思い結局見送った。後から思えば絶好の仕込み時期であった。

考えてみれば、株式を大量に保有しているのは金持ちであり、その金持ちが政治家を操り政治を動かしている。だから、長期的に見れば株は下がるはずがない。単純な話である。日経新聞に出てくる細かな会社情報などクソに過ぎない。もっと大所高所から政治経済をにらむ必要がある。

次のグラフは戦後日本経済の成長率をグラフにしたものである。赤い線が実質経済成長率である。

こうやって見てくると、日本経済はほぼ10年を周期に大きな変動に見舞われている。

1965年 40年不況(東京オリンピック直後)

1974年 石油ショック直後

1986年 円高不況

1993年 バブル崩壊後

1997年 山一証券倒産

2008年 リーマンショック

2020年 コロナショック

 リーマンショックから15年、コロナショックから3年がたった。たとえ世界恐慌並みのショックがあっても、金持ちは自分の資産を守るために必ず株式投資へのテコ入れを行う。このことを最近の15年の経験でようやく理解した。

さて、次の暴落はいつか? 株を所有している人には申し訳ないが、次の暴落を虎視眈々と待っている。4~5パーセントの配当を狙って獲物はすでに2~3社に絞り込んでいる。