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南英世の 「くろねこ日記」

徒然なるままに、思いついたことを投稿します。

大阪天満、与力・同心

2014年10月17日 | 日常の風景


大阪市北区に天満というところがある。その天満に「与力」「同心」という町名がある。江戸戸時代に奉行所の役人のお屋敷があったところである。江戸では北町奉行所と南町奉行所が1カ月交代で月番制がとられていたが、ここ大坂では東町奉行所と西町奉行所が1カ月交代の月番である。

東西の奉行所には、奉行(旗本)1人、与力30人、同心50人がそれぞれ配属されていた。石高は与力は80石、同心は10石3人扶持。屋敷は与力が500坪、同心は200坪というから、かなり広い。与力は馬に乗ることも許されていた。

もちろん、たったのこれだけの人数で、広い大坂の治安は維持できないから、同心の下には多くの「岡っ引き」あるいは「目明し」がいた。岡っ引きで一番有名なのは銭形平次(架空の人物で実在しない)であろう。彼らは武士ではなく町人で、俸給はなく同心のポケットマネーから「小遣い」程度の謝礼が支払われていた。一人の同心が何十人もの岡っ引きを抱えていたらしい。事件があるたびに岡っ引きが集められ、十手が渡される。銭形「親分」と呼ばれるように、岡っ引きはかなり裏社会に通じていたらしい。そして、岡っ引きと呼ばれる親分もまた、配下に何人もの部下を持っていたようだ。

東町奉行所は大坂城の近く(現在の大手町)にあったから、彼らは天満にあった官舎から天満橋を渡って奉行所まで徒歩で通勤したのであろう。距離にして1.5キロくらいか。歩いても20分ほどの距離だ。彼らは町奉行を補佐し、行政・司法・警察の任にあたった。

 


ところで、今のマンションに入居する前に1年ほど与力町の賃貸マンションに住んでいたことがある。日本一長い天神橋筋商店街から100メートルほどのところにあり、買い物は非常に便利だった。環状線、地下鉄などに歩いて数分で行け、アクセスもよい。また、近くには、大阪天満宮や造幣局、帝国ホテルなどもあり、夏の天神祭のときは、たくさんの人出でにぎわう。1年間住んでみて、本当にこの街が気に入った。

そうしたこともあって、去年、この近くに手ごろな中古マンションが売りに出されているのを知って買った。今は、某大手企業の社宅として賃貸に出している。相続税対策や財政破たんに備えるつもりで買ったのだが、大好きな街だからいずれ自分で住んでもいいかなと思っている。


冥途の土産

2014年10月11日 | 日常の風景
4段の免状をとったのが1986年。それ以来28年間、仕事漬けの毎日だったから、碁の勉強をする暇もなかった。死ぬまでに囲碁5段の免状をとりたいというのが私の夢だった。

先日、新聞の棋力認定テスト問題を解いて送ったところ、今日、関西棋院からその結果が届いた。
12問全問正解の100点満点  \(^o^)/
8段までの免状なら認定しますとのこと。
ちょっと甘い認定だが、5段くらいなら十分打てる自信がついてきたので、近日中にも免状の申請をしようかと思っている。
6段にしようかちょっと迷うが、まあ、実力的にはまだ5段だろう。
家賃が高すぎるのも、ちと荷が重い。
しかし、冥土の土産に名誉7段(?)として申請しておくのもありかな、なんて思ったりもする。

退職を機に2014年6月、囲碁サロン爛柯の会員になった。以来、森野節男9段や洪アマ名人(のちプロ入り)の指導を受けて、最近メキメキと強くなてきているのが自分でもわかる。
せっかくの機会だから、ここは冥途の土産に7段を申請することにしようか。
というわけで、めでたく7段の免状をゲット。
死んだらあの世で、また親父と楽しく碁を打ちたいものだ(笑)。








ノーベル物理学賞

2014年10月07日 | 日常の風景
ノーベル物理学賞の一人に中村修二氏が選ばれた。
今から12年前に、彼の発見についてエッセーを書いていたのを思い出し、再掲載する。


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中村修二訴訟に寄せて (2002年2月11日)

 青色発光ダイオードの発明者である中村修二氏(現カリフォルニア大学教授)が、もとの勤務先である日亜化学工業(本社・徳島県)を相手取って訴訟を起こした(2001年)。中村氏はこの訴訟で、青色発光ダイオードの特許権が自分に帰属することの確認と、開発に対する相当の対価として20億円の支払いを求めている。中村氏はまた、開発者には基本的な製法にかかわる特許権の千分の1の帰属権があると主張している。


 中村氏は1979年に徳島大学大学院を修了して日亜に入社。その後89年から青色発光ダイオードの開発を手掛け、年に360日は出社して実験に没頭した末、ようやく開発に成功し、1993年に商品化された。それまでの赤と緑の発光ダイオードとあわせて光の三原色が揃ったことにより、あらゆる色の光を作りだすことが可能になった。

 携帯電話がフルカラーになったのも、中村教授の発明のおかげである。赤色発光ダイオードは例えば車のブレーキランプや、電気製品のスイッチがオンになっていることを示すランプなどに広く使われている。今後、青色が加わったことで、日本の信号機なども、発光ダイオードに切り換えられていくことは間違いない。そうすれば、信号機の電球を毎年取り替える費用もかからなくてすむし、それに何よりも、エネルギーの節約になって、地球温暖化を防止する意味でも貢献度は大きい。

 ところで、中村教授が訴訟を起こした理由は何か。
一言でいうなら、技術者に対する待遇改善である。中村氏によれば、日本の技術者はあまりに冷遇されすぎているという。日本の技術者の年収は高くてもせいぜい1千万円から2千万円。どんなに会社に貢献しても、報奨金はたかだか100万円程度である。中村氏自身も、青色発光ダイオードの開発によって会社からもらった報奨金はたったの2万円だったという。青色発光ダイオードは日亜化学に年間500億円の売上増をもたらしている((2001年12月期)。発明によって日亜が手にした利益と比べて、いかに低いか。


 技術立国日本が、これからも世界のフロントランナーであり続けるためには、個人の成果に報いる風土作りが不可欠と中村教授は説く。これまでは、企業の中で発明した特許は、当然に会社のものとされてきた。会社は、発明者を「出世」という報奨で報いてきた。発明者もそれで納得させられてきた。

 しかし、こうした日本の企業風土に多くの技術者が不満を持つようになってきている。終身雇用制度が崩れていく中で、優秀な技術者はますますヘッドハンティングされていくことになろう。優秀な人材がアメリカに流れていくようでは将来の日本はない。中村教授の造反は、こうした日本の企業風土に対する建設的な批判でもある。

 もちろん、お金だけがすべてではない。しかし、努力したものも努力しなかったものも同じ報酬というのでは合点がいかない。同じことが日本の教育界でもおきてはいないだろうか。

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この思いは今も変わらない。
先日の新聞で、

「政府は、社員が仕事で発明した特許を「社員のもの」とする特許法の規定を改め、無条件で「会社のもの」とする方針を固めた。これまでは、十分な報償金を社員に支払うことを条件にする方向だったが、経済界の強い要望を踏まえ、こうした条件もなくす。企業に有利な制度に改まることになり、研究職の社員や労働団体は反発しそうだ。」(朝日新聞9月3日)

とあって、びっくりした。
こんなことをすれば、日本の技術者はみんな海外に流れてしまう。
中村修二訴訟の意義を改めて思った。


かつて、中村修二氏が語っていた。
外国の研究者と話をしていると、
「そんなに仕事をして、会社からもらっている報酬はたったのそれだけか "Slave Nakamura"」

その後中村氏は、カリフォルニア大学教授に引き抜かれてしまった。