韓国で民主化が実現したのは1987年である。民主化が遅れた最大の理由は北朝鮮との厳しい対立があったからである。北朝鮮がまたいつ攻めてくるかもしれない。そうした恐怖心から長らく軍事政権が維持されたのである。
その間、1960年代には朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の独裁政治のもとで経済開発(開発独裁)が進められ、1970年代に急速な工業化を遂げることに成功する。しかし、経済成長によって生まれた中間層は次第に独裁政治に対する不満を強め、1979年朴大統領は射殺された。その後紆余曲折を経て1987年にようやく民主化が実現したというわけである。同年、憲法改正が行われ、大統領の直接選挙が明記され、人権保障規定が拡大された。
憲法裁判所が設置されたのは、翌1988年のことである。理由は長期にわたる軍事政権の下で司法権が弱体化され、従来の大法院(最高裁)では人権保障が十分に行われない可能性があったからである。憲法裁判所は法律などが憲法に違反しているかどうかの判断や弾劾審判、政党解散の審判など強い権限が与えられた。
憲法裁判所はこの35年間で、1040件の違憲・憲法不合致の判決を出している。司法消極主義をとる日本と違って司法積極主義がとられている。これは軍政時代につくられた古臭い法律を国会は早く是正せよと促すためである。以前、この欄で韓国の障害者の社会的地位について書いた(https://blog.goo.ne.jp/minami-h_1951/e/2253806114297c17716e04407c3c6205)。そのとき、障害者の今日の地位はすべて「勝ち取られたものである」と聞いたが、なるほどと思った。
さて、本論に入ろう。
先日、ユン大統領が憲法裁判所から罷免判決を受けた。
そのこと自体は当然予想されたことなので驚かなかった。このニュースを見て私が驚いたのは、憲法裁判所の裁判官に女性が多く登用されていたことである。
ようく見ると、8人の裁判官のうち4人が女性である。憲法裁判所は9人で構成されるが、大統領、国会、大法院長がそれぞれ3人を指名する。現在与野党間の任命の対立問題などから1名が欠員となっているが、それにしても8名の半分を女性が占めているという事実にひっくり返りそうになった。日本では考えられない。
前のブログで「日本が韓国に追い越されたのは賃金だけではなさそう」と書いたが、女性の地位も追い越されたようだ。ついでに言うと、韓国の少子化の原因は、女性の社会的地位が向上し、女性が子どもを持つことを望まないようになったからだという記事を先日読んだが、あるいは正しい論考なのかもしれない。