2月20日に末松誠理事長の緊急講演会を開催してから3週間が経ちました。
相変わらず問題を起こした2人の官僚の処分の報は一向に聞こえてきません。私の祖国は一体いつからこのような国になったのかと心細く感じます。
一方で気になるのは、この3月末で5年間の任期満了を迎える末松理事長の処遇です。末松氏が続投するのか、新理事長に交代するのか、今、AMEDの現状に関心を持っている誰もが注目しているところです。
AMEDの理事長は、医学や医学研究、社会実装に関する専門知識を有するのはもちろんのこと、予算配分機関のあるべき姿を明確に理解し、600名の職員を鼓舞して「一日も早い医学研究の成果の社会実装」を実現できるリーダーでなくてはなりません。
また、異質な人材が活躍できるよう、化学反応を促せるコミュニケーターでなければなりません。
さらに、万が一異常を検知した際には権力に向かってでも声を上げられる人物でなくてはなりません。そのような知力とEQ(心の知能指数)、胆力を兼ね備えた人物が、この国にいったいどれだけいるでしょうか。
末松理事長はあの講演会で、科学的な価値と行政的な価値を「どう両立させるかが我々の仕事」であり、「AMEDは両方がわかる人材育成の場としても魅力的な組織であるべき」として「異質性(Heterogeneity)と自治(Autonomy)が守られることが不可欠」と語りました。
そして自律性が蹂躙された場合には、社会課題の解決につながる科学研究ができなくなるため、理事長は「炭鉱のカナリア」として権力に向かって声を上げなければならない、とも述べました。
実際、末松理事長は今回立派にカナリアの役目を果たしました。ですから、もしそのことをもって再任の道が阻まれるとしたら、それは日本の医療研究の未来に禍根を残す決定といえましょう。
AMED理事長の任命権は安倍首相にあります。
首相の賢明な判断を期待します。