新型コロナウイルスの感染が新たな段階に入りました。感染ルートが明らかでない、いわゆる「市中感染」の広がりが懸念されています。
しかし昨日、日本感染症学会などが開催したセミナーでは「致死率は現時点で2.5%」と、以前の重症急性呼吸器症候群(SARS)、中東呼吸器症候群(MERS)よりもずっと低く、「今後さらに下がっていくだろう」とされています。手洗いなど基本的な感染症対策を徹底し、冷静に対処すべきです。
歴史を振り返ってみると、大惨事の背後には複数の「悪いこと」が不幸にも同時に重なることが多いものです。東日本大震災による原発事故しかり、太平洋戦争しかりです。
そして、そこには、必ず「組織の目詰まり」の問題があると思うのです。
感染症は自然災害といっていいものですが、「人災」によってその被害を広げることを許してはなりません。日本医療研究開発機構(AMED)によって配分される医療研究には、検査キット開発やワクチン開発などが期待されます。一刻も早く、AMEDの自律性を回復して正常化することを望みます。
再掲しますが、基礎から応用にわたる科学研究における、「誤ったトップダウン」には以下のリスクがあると考えます。
・ピアレビューを経ていないので、本当に選ばれるべき価値のある研究にお金が回らない。
・公開の議論を経ていないので、関係者間の合意がなく、コラボレーションが限定的になるか、あるいは喪失してしまう。
・それでも予算が降ってくるので、研究者は個々のアプリケーション開発に注力するようになる(別のチームが同じ課題に取り組んでしまうこともありうる)。
・そして、科学研究のための科学研究に陥る。論文は書けるが課題解決には役立たない。したがって患者を助けることには、何ら役に立たない。
・公開の議論を経ていないので、関係者間の合意がなく、コラボレーションが限定的になるか、あるいは喪失してしまう。
・それでも予算が降ってくるので、研究者は個々のアプリケーション開発に注力するようになる(別のチームが同じ課題に取り組んでしまうこともありうる)。
・そして、科学研究のための科学研究に陥る。論文は書けるが課題解決には役立たない。したがって患者を助けることには、何ら役に立たない。
これを回避するには、専門家による「透明で自由な議論」、「ピアレビュー」、そしてそれを機動的に運用できる本来のファンディング・エージェンシー(予算配分機関)としての役割が重要です。
与党も野党も、この問題を政治化することなく、すみやかに対処することが必要不可欠です。一番大切なのは、国民の命と健康を守ることなのですから。