5月以来初めて仙台市内でFZ750を見ました、ノーマルにシングルシートカバーが
付いてました大事に乗ってたんでしょうね
一瞬だったので写真が撮れなかったのが残念です。
1988年 (プリントスキャン) 仙台ハイランドにて
トランポから降ろしたばかりでアンダーカウルを外してます
お金が無いのに何を思ったか
ローンで買ってしまった唯一ヤマハ以外の88NSR250RKです、1○0万円しました。
同梱のストライプは貼らずに緑のラインを入れゼッケンベースをペイントしました
カッコだけは一丁前(〃 ̄ー ̄〃)
RKとはNSR250のレースキットパーツ組込のHRCコンプリート車です
いわゆる当時のカテゴリーTT-F3クラス用です
戦闘力は非常に高く純レーサーのRS250に匹敵すると言われてました
(RS乗ったこと無いので人の話です)
セッティング能力のある人が買うべきマシンです
知識が乏しく貧乏で焼付けが怖くジェットを絞れない私には宝の持ち腐れで猫に小判状態でしたw
E/Gセッティングの出てないある時などコーナーでそこそこ(特別速くも無いw)でも直線で何度か抜かれました
立ち上りラインがどうのこうのでなく違うクラスのマシンのように抜かれ
また雨のレースでE/Gのセッティングが偶然当たったのは良かったんですが
あまりにピックアップが良すぎて逆にアクセルが開けられなく
このセッティングが晴れの時と逆だったらと良く思ったもんです
晴れた日のレースでハイサイドによりバイク共々宙を舞い砕け散ったのが最後のレースになりました
空中に放り出され逆さなって落下したので着地時にアクセルが引っ張られキャブのストッパー付近が
割れたのと右ステップのホルダーが折れてました、捨てられずに、まだ実家に置いてあります
1988年当時 (プリントスキャン)
椅子の上で伏せているのが『みみ』です
12歳くらいで人間で言えばおばあちゃんで~す
可愛いやつだった・・合掌
87 西仙台ハイランド4時間耐久 8月23日 1コーナー進入(ビデオキャプ)
FZR400の人に誘われてSP400クラスで出ました
確か予選が百数十台でパドックが混雑してたのが思い起こされます
雨のサーキットは走ったことが無くジンマシンが出るほど緊張しました(〃▽〃)
また2STから乗り換えるのに苦労し特にエンジンブレーキで戸惑いがあり
シフトダウン時の回転合わせがうまくいかずブレーキングに影響が出る始末
アクセルを煽る時にブレーキが緩んでしまうやつです
※(SP仕様でないのでワイドレシオミッションでハイスロではなくノーマルのため
大きく煽らないといけない)
そこで思いついたのが進入時の回転合わせを一回にすることでした
例えば1コーナーではブレーキング時にブレーキングだけに集中し最後に2速まで
一気にシフトダウンしアクセルを大きく一度煽ってクラッチを繋ぐというやり方です
これでブレーキングが安定しました。
そそ、このレースにクルーズレーシングから伊藤真一さんが出てました
ノービスだけでなくジュニアも出れたはずです
1987年 (プリントスキャン)
仙台ハイランドにて
最終立ち上がりのこの位置じゃ寝すぎでないの(笑)
なんかこれからコーナーに入っていく様に見える(笑)
一人でやっていたので何も知らない君でした
タイヤは溝がある内は大丈夫と2年間無交換で走り
転んだり予選落ちするのは腕と根性と気合が足りないと信じてました(笑)
腕が無いのは確かかもwww
あとエアークリーナーを入れて走っていて、何かの時に入れ忘れたら
5秒早くなり驚きつつもジェット類などは触るはずもなくノーマルのままでした
壊したらお金が無いので冒険できず←知識が無いので
1987年当時
WGPの250で活躍していた福田選手にあこがれて買った
クシタニのツナギです
180cmの身長には当時から小さかったのですがオーダーメードする金が
あるはずも無くLLを無理になんとか着てました
今は太ももすら通りません完全に着れなくなりました (ノД`)シクシク
背中はボロボロです、よくコース上を転げまわってました(情けない)
でも80年代にレースやっていた頃は同じようにボロボロになっていた方が
多くいました、また仙人の様な人もいて皆が目を三角にして走っていた時代でした