1980年当時 (プリントスキャン)
初めて買ったYAMAHA車がRZ250(4L3)です、あまりのカッコよさに買っちゃいました
当時は注文が殺到して確か1ヶ月~2ヶ月待ちだったように思います
加速はパワーバンドに入ると今までと違った2段階加速でしたね
このタンクにゴムバンドで止めるタンクバックも懐かしいw
この後RZ250R(29L)に乗換えましたYPVSが装備され低回転でもトルクフルになり
大柄になった車体としっかりした足回りでかなり乗りやすかった記憶があります
残念ながらRZ250Rの写真が無かったことが悔やまれます。
87 西仙台ハイランド4時間耐久 8月23日 1コーナー進入(ビデオキャプ)
FZR400の人に誘われてSP400クラスで出ました
確か予選が百数十台でパドックが混雑してたのが思い起こされます
雨のサーキットは走ったことが無くジンマシンが出るほど緊張しました(〃▽〃)
また2STから乗り換えるのに苦労し特にエンジンブレーキで戸惑いがあり
シフトダウン時の回転合わせがうまくいかずブレーキングに影響が出る始末
アクセルを煽る時にブレーキが緩んでしまうやつです
※(SP仕様でないのでワイドレシオミッションでハイスロではなくノーマルのため
大きく煽らないといけない)
そこで思いついたのが進入時の回転合わせを一回にすることでした
例えば1コーナーではブレーキング時にブレーキングだけに集中し最後に2速まで
一気にシフトダウンしアクセルを大きく一度煽ってクラッチを繋ぐというやり方です
これでブレーキングが安定しました。
そそ、このレースにクルーズレーシングから伊藤真一さんが出てました
ノービスだけでなくジュニアも出れたはずです
1987年 (プリントスキャン)
仙台ハイランドにて
最終立ち上がりのこの位置じゃ寝すぎでないの(笑)
なんかこれからコーナーに入っていく様に見える(笑)
一人でやっていたので何も知らない君でした
タイヤは溝がある内は大丈夫と2年間無交換で走り
転んだり予選落ちするのは腕と根性と気合が足りないと信じてました(笑)
腕が無いのは確かかもwww
あとエアークリーナーを入れて走っていて、何かの時に入れ忘れたら
5秒早くなり驚きつつもジェット類などは触るはずもなくノーマルのままでした
壊したらお金が無いので冒険できず←知識が無いので
1987年当時
WGPの250で活躍していた福田選手にあこがれて買った
クシタニのツナギです
180cmの身長には当時から小さかったのですがオーダーメードする金が
あるはずも無くLLを無理になんとか着てました
今は太ももすら通りません完全に着れなくなりました (ノД`)シクシク
背中はボロボロです、よくコース上を転げまわってました(情けない)
でも80年代にレースやっていた頃は同じようにボロボロになっていた方が
多くいました、また仙人の様な人もいて皆が目を三角にして走っていた時代でした
1987年当時 (プリントスキャン)
仙台ハイランドにて
転んでばかりで可哀想なボロボロのTZR250です
無知がそうさせたのです (T-T)