何でもない日々

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真面目な人がなぜ可笑しいのか?

2024-02-07 06:27:14 | 詩はあいまいな哲学
才気に恵まれながらもフレッシュで可愛い系なとこも憧れてしまう。
結構体弱い、喉も弱いらしいけど、か細くはない独特のハスキーボイス。
何気に深い重みのある歌詞これは不調和というか、
不完全がバランスされてこそ個性というものもあるでしょうね。
理想を求めだすと欠陥が見つかるし
欠陥に目をつぶるとどこか疚しさから隠したくなって。

どんな職業の立ち位置、努力範囲からも
「実在」をいうと、差別意識に基づいた軽蔑とか尊敬の態度はない。
厳密には大人と子供の世界での堂々とした差別はあっても
宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」のように真面目なのにショボく成って
頑張っててもへまをして笑われて誰に憧れられることはなく
立派に成ろうとして頑張ってない(れない?)けど
この世に唯一無二の物を「本物」と呼び
「よく創られている」という表現は作意の後が消えてしまうが、
「物になる」という表現は潜在可能性が開花している状態を意味し、
工藝ではなく美藝としての視座を巡って「生まれる」もの。

科学は他者の証明を必要にして反復することで真理と見なされて
手仕事に依って生み出す力は必ずしも一様ではなく
一度きりの真実として経験される。

人間が生まれるのではなく何か自分とは違う働きの「通路手段」になると
日常の感覚が自他という二次元を超える地平へと拓かれていく。
人が誠実を行うだけでは何かしら作意の妨げにもなっていて
思索が流れるように働く通路になった結果として利他が生まれてくる。

健康的な食と労働は根源的で普遍的な価値として夢紡いて描く人。
可笑しいことはまだ飽きてない証拠です。

宇多田ヒカル - Keep Tryin'
職業:宇多田ヒカル2009-06-11 11:32:26の再編集
2020-04-10 20:19:51の再編
2024-02-02 18:03:57に追記
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