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体罰といじめについて思う!

2013年03月09日 10時53分04秒 | Weblog

平成25年3月9日(土)
体罰といじめについて思いを!

体罰は基本的に賛成です,人間は子供も大人も自分に甘い物です。
話して分かる人ばかりならこの世の中平和を維持することは
至極簡単です、

世の中体罰と暴力を一緒にしている風潮が有るようです,
しっかりと区別をして論じることが大事だと思います,
体罰はその子を正しく指導するための行動で,苦痛を与えたり,
危害をくわえたりすることが目的ではないので,

原則傷を付けたりけがを負わせたりする事は,論外なんだよね、
だから、体罰が行われたときはその原因をも,しっかりと究明する必要が有ると思います、。

どんな訳が有るかを検証して体罰を受けた人にも納得させることが必要かと思うね。
自分の間違いを棚に上げて体罰のみを対象に抗議をする事は許されないと思う、

体罰を与える人は十分に冷静さを維持して置くことが大事だけど,
人間はその時になると冷静さを欠くことが多いので注意が必要ですね、
体罰をせずに指導が出来るようなら,こんなに嬉しいことは無いけど、
そうは、いかないからね?

いじめや暴力により、命をなくす若者には心が痛むとともに
それを見抜けない親子関係に悲しくなるよ、

子供が死を選ぶのはやりきれない、いや、逃げ場が無くなって
絶望してしまうのだと思うんだよね、
学校や教師そして親に信号を送っても解決をしてくれない、
それでも学校に行く事を強制されるから、

私の情報から現場教師の生の声本音を聞いたかぎりでは、いじめなどを報告されて、
いじめっ子に注意をしてもほとんどが効果を見せることが無い、かえってエスカレートするか、

隠れたところでのいじめが行われ解決にはならないそうです、
現実に命を落とした原因のいじめっ子に注意をしたときに、
自分には理由が有ったのだからこれからもやめないと、開き直られても、
それに対応することが出来ず、命を落とすことになったのです、

今は教育の中で、悪いことをしたらそれに見合ったペナルティーを与えることが出来ない、
なぜか、悪いことをしてもペナルティーとして体罰も罰則も無いから、やりたい放題です、

学校指針の中で生徒には精神的、肉体的苦痛を与えることは出来ないと、
規定して居るそうです、精神的肉体的苦痛を与えない罰則なんて、
誰も守ることは無い、そう思われてもしょうがない

安全のために必要な交通法規でさえ罰則の無い法規は守ることが難しい
それが人間の本性なんです、
悪いことをしたらそれに見合ったペナルティーは必要な事なのに、
そんな事を学校現場では教えることが出来ていないのです、
悪い事をしてもそれが悪いと認識を出来ない子供が増えているようです、

悪いこと正しいことをしっかりと解らせるようみんなで
教えて行きたいですね!

世間の大会社の社長でも約束事をペナルティーがないなら
自分の利益の方を優先するそんな世の中なのです、

そして教職員でさえ、自分の気に入らない規則は守らない事を
子供たちにみせて居るのです、

法治国家なのに、気に入らない法律は守らないなんて、
教育をする人の行うことなのだろうか?
どんな悪法でも有る内は守ることが法治国家として
最低のルールだと思うのですが??

学校なんて命がけで行くほどの価値は無いから、
学校を出なくても立派に生きて行く人は沢山居るし、
私だけの思いではなくそんな思いを発している人は沢山いますよ。

勉強なんてやる気があればどこでも出来るから、命を大事にして欲しいですね、
不登校なんて気にすることはないと思うよ、

子供の命を守るのは親の責任だと親が自覚をして、

特に男親の責任が大きいと思うね、自分の子供がいじめなどで悩んでいることが分かったら、
親が実力行使をして、相手の子供に体罰を与えるくらいの気概を持てば、
子供は強くなれるし、自分が大事に守ってもらえることを
確認できて死を選ぶことは無くなくなると思う。

人の子に体罰を与えることが世間の批判を受けると、躊躇することもありますが、
子供の安全を考えたら人の批判など何ほどの物でしょうか?

育児を女親に任せておいて子供の安全に注意を払っていなかったり
気がついても自分で行動を起す手間を惜しんだり、教師頼みにしていたりと、
子供を守る気概に欠けているからだと思う。

親が子を守らないで誰が守ってくれるのか?

其処のところを覚悟してもらいたいね。
命を捨てる子供のニュースを聞くたびに、
親への怒りがわきやりきれない気持ちになって、
涙が止まらないです。




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