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緑の、東京ブログ

千葉県の東京寄りに住んでいる私「緑」が大好きな東京の散策写真のブログを作ります!!!

12月の上野公園:東京文化会館前を通り抜けて上野3153・JR上野駅へ PART2

2021年03月26日 06時01分00秒 | 台東・上野周辺


「上野恩賜公園」の緑地帯内に整備されている「清水観音堂・本堂」の敷地東側(JR上野駅側)にやってきました。「清水観音堂」の敷地内に整備されている参道の全景を撮影しました。




「清水観音堂・本堂」の敷地東側に整備されている広場スペース前から、更に南側へ向かって伸びている歩行者用通路を道なりに歩いていきます。




南東側から「清水観音堂・本堂」の敷地の全景を撮影しました。敷地内には数本のしだれ桜の木々が植えられていて、12月中旬の時期だったので枯れ木状態となっていました。




歩行者用通路を南側へ向かって歩いていくと、前方に「西郷隆盛銅像」「上野グリーンパーク」の周囲に整備されている広場スペースが見えて来ました。




北東側から「上野グリーンパーク」のレストランの建物の全景を撮影しました。1階は熊本・馬しゃぶ料理天国、2階は創作中国料理の旦妃楼飯店が整備されています。




広場スペース内に整備されている「西郷隆盛銅像」の全景を撮影しました。




「西郷隆盛銅像」の東側、JR上野駅山下口・西郷口に面した場所には商業施設「上野3153ビル」の建物群が整備されています。元々この場所に建っていた「上野百貨店」「上野松竹デパート」跡地に建設されています。




南側から、商業施設「上野3153ビル」の敷地内に整備されている広場スペースを撮影しました。商業施設の建物群の屋上区画に整備されている広場スペースとなっています。




南側から「西郷隆盛銅像」の全景を撮影しました。1889年(明治22年)の大日本帝国憲法発布に伴う大赦によって西郷の「逆徒」の汚名が解かれたのをきっかけに、吉井友実ら薩摩藩出身者が中心となって造られた銅像となっています。




南西側から商業施設「上野3153」の建物群を見渡して撮影しました。地上3階建ての建物となっていて、地上3階フロアは「西郷隆盛銅像」などがある上野恩賜公園の敷地と同じ高さになっています。




なので「西郷隆盛銅像」がある広場スペース内から、商業施設「上野3153」の建物内に整備されているエスカレーターや階段を通り抜けることでJR上野駅の山下口・西郷口前に出ることができます。




商業施設「上野3153」の建物内に整備されている階段・エスカレーターの全景を撮影しました。




そばには3フロア分を移動するためのエレベーターホールも整備されていました。




東側から「上野グリーンパーク」のレストランの建物の全景を撮影しました。




「西郷隆盛銅像」「上野グリーンパーク」などが整備されている広場スペースから、「上野公園山下」の低地に下りることが出来る階段を下りていきます。




「上野公園山下」に整備されている広場スペース内にやってきました。




「上野公園山下」に整備されている広場スペース内から、JR上野駅の山下口・西郷口前へ向かって歩いていきます。これで12月中旬の時期の上野恩賜公園の緑地帯の散策は終わりです。



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12月の上野公園:東京文化会館前を通り抜けて上野3153・JR上野駅へ PART1

2021年03月26日 06時00分00秒 | 台東・上野周辺


南側から「国立西洋美術館・本館」の建物の全景を撮影しました。2020年10月19日から2022年春(予定)まで、館内施設整備のために全館休館措置が取られています。




2020年に新型コロナウイルス感染症の流行により2月29日~6月18日まで休館措置を取らざるを得なくなり、その間に感染予防対策として換気用の空調設備を設置する工事を実施した上で、6月19日より再開したのですが2回目の休館措置となっています。




「国立西洋美術館」の正門入口前から西側(上野動物園正門方向)へ向かって伸びている大通りを撮影しました。新型コロナウイルス問題の影響下とはいえ、さすがにこの目抜き通りだけは人通りは多かったです。




「国立西洋美術館」の敷地南側を通っている歩行者用通路から、更に南側へ向かって歩いていきます。「東京文化会館」の巨大な建物の敷地西側に整備されている歩行者用通路を、道なりに歩いていきます。




「東京文化会館」の敷地西側に整備されている「正岡子規記念球場」という名前の野球場脇を通り抜けていきます。野球場の周囲も人通りは少なかったです。




東側から、「正岡子規記念球場」の敷地南側に建っている「上野公園管理事務所」の建物の全景を撮影しました。




この球場の名前を冠している正岡子規は、明治初期に日本に野球が紹介されて間もない頃の愛好者であり、1886年(明治19年)から1890年(明治23年)頃、この球場がある上野公園内で野球を楽しんでいたといいます。




北東側から、「上野公園管理事務所」の建物の敷地南側に広がっている「擂鉢山」の丘陵地帯を見渡して撮影しました。12月中旬の時期だったので、色鮮やかな紅葉となっていました。




南西側から「東京文化会館」の建物を見渡して撮影しました。大ホール、小ホールの他、リハーサル室、会議室、レストラン、音楽資料室を擁する施設となっています。




南東側から「上野公園管理事務所」の建物の全景を撮影しました。




正岡子規は野球を題材とした俳句や短歌・小説・随筆を発表して野球の普及に貢献しました。また数々の野球用語を日本語訳したことも知られています。 その功績をたたえて2006年7月に「正岡子規記念球場」の愛称が披露されています。




「上野公園管理事務所」の建物前から、更に南側へ向かって整備されている歩行者用通路を歩いていきます。この辺りも多くの桜の木々が植えられていて、現在は枯れ木並木道となっていました。




南西側から「東京文化会館」の建物の全景を撮影しました。建築家 前川國男の代表作の一つであり、1961年4月に開館したホールとなっています。




「東京文化会館」の敷地の南西角から、更に南側へ向かって歩いていきます。




しばらく歩くと、再び枯れ木状態の桜並木道前にやってきました。周辺には「上野の森美術館」「日本芸術院会館」の建物群が整備されています。




桜の枯れ木並木道を南側へ向かって歩いていくと、前方に「清水観音堂」の本堂の建物が小さく見えて来ました。




北東側から「清水観音堂・本堂」の建物の全景を撮影しました。舞台が整備されているのは西側(不忍池側)なのに対して、東側には本堂の建物が建っています。



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