外堀通り・八重洲口会館前からグラントウキョウノースタワーを見上げて撮影しました。外堀通り側の頭頂部の外壁面には、メインテナントである「大和証券」の文字盤が打ちこまれているの見えます。
グラントウキョウノースタワーの低層階部分は、大丸東京店のメインエントランスとオフィス専用入り口とエレベーターホール、そして東京駅の八重洲北口が一体的に整備されています。
かつてこの場所に建てられていた鉄道会館ビルが取り壊され、東京湾から丸の内方向へ吹き抜ける風の通り道が確保され、ヒートアイランド現象が緩和されることが期待されています。
グランルーフの大屋根・ペデストリアンデッキの全長は約230メートル、大屋根部分の高さは最大約27メートルの規模を誇っています。
交通会館跡地(現・グラントウキョウノースタワー)の跡地に建っていた「鉄鋼ビルディング」は高層化による再開発工事が実施されていて、最近になって建物の解体工事が終わり、高層ビルの建設工事が始まりました。
北側の第一鉄鋼ビルディングと南側第二鉄鋼ビルディングの二つのビルが戦後まもない1950年代に竣工しましたが、2012年3月をもってどちらの建物も閉館となり、取り壊されることになりました。
建て替えプランは高さ140メートル、25階建てのオフィスと中層のサービスアパートメントの2棟で、延床面積計約11000平米の大型開発となります。また敷地内に羽田空港とを結ぶバスのターミナルが設置される予定です。
鉄鋼ビルデング跡地の敷地の西側には「丸の内トラストシティ」の高層ビル群の敷地が広がっています。現在は外堀通りからその高層ビル群を綺麗に眺めることが出来ますが、再開発工事が進めば見えなくなっていくでしょう。
しばらく歩くと前方に「呉服橋交差点」が見えてきました。この交差点で外堀通りは「永代通り」と交差していきます。外堀通りも永代通りも、どちらも交通量が非常に多く、交差点周辺は常に渋滞しています。
外堀通りは江戸時代の「外濠」を戦後の1950年代に大量の土砂によって埋め立てられて整備された経緯があります。その名残として呉服橋、鍛冶橋、数寄屋橋など、当時架橋されていた橋の名前が交差点の名前として残されています。
ここ呉服橋交差点には、外濠の水面の上を永代通りの「呉服橋」と言う名前の橋が架橋されていました。水面を埋め立てて造成した土地であることから、この地点は周囲と比較すると標高が低い場所です。
交差点の北側には壁面の一部が綺麗に緑化されている「大和呉服橋ビル」が建っています。2009年に人材派遣大手のパソナグループの本部がこのビル内に移転してきました。
呉服橋交差点の日本橋寄りから振り返って八重洲口周辺の高層ビル群を撮影しました。2015年の冬明け頃に鉄鋼ビルの高層化の再開発工事が終了する予定になっていますので、さらに迫力のある風景を眺めることが出来るようになるかもしれませんね。
呉服橋交差点で引き返し、もう一度グランルーフへ向かいます。
鉄鋼ビルの再開発工事の工事用フェンスには、大正5年(1916年)頃の呉服橋の古写真が展示されていました。アーチ橋の呉服橋(永代通り)の下を流れている水面が、現在の外堀通りのアスファルトの部分なのですね。