
新宿御苑の敷地の東側に広がっているフランス式整形庭園「プラタナス並木道」から、隣接している「バラ花壇園」内を散策していきたいと思います。

フランス式西洋庭園の軸線に当たる通りを歩いていくと、前方にバラ花壇が見えてきました。・・・とは言っても、真冬の時期ですとバラの花は全く咲いていませんでしたが。

バラ花壇園の全景を撮影してみました。バラ花壇の両側を取り囲むように枯れ木状態となっているプラタナス並木道が整備されています。

バラ花壇園や、その背後にある広大な新宿御苑の敷地の背後には、新宿駅西口にそびえ立っている高層ビル群が借景となって広がっているのが見えました。

バラ花壇園の脇を通り抜けて散策を続けていきます。見上げてみると、バラ園の両側に設置されているプラタナス並木道の木々が見えました。

北側を振り返ってみると、新宿御苑の敷地に隣接している中低層マンションなどの建物が見えます。この辺りは山手線の内側エリアの中でも、良質な住宅密集地となっているのです。

11月の下旬前後の時期であればバラの花を楽しむことができるはずなのですが・・・。

バラ花壇園周辺は砂利道となっていますが、それにしても人影が全く見えませんでした。

バラ花壇園は四ツ谷側から新宿側へ向かって緩やかな上り坂の地形の上に造営されているのです。地図を眺めただけではよくわかりませんが、実際に歩くことによってその立体感を掴むことができます。

明治維新後の明治5年、政府は内藤家から上納された土地と買収した隣接地を合わせた58.3ヘクタールの敷地に、我が国の近代農業振興を目的とする「内藤新宿試験場」を設置しました。

JR新宿駅西口の高層ビル群、南口やサザンテラス口周辺の高層ビル群が綺麗に見えました。

ここでは欧米の技術や品種を含めた果樹・野菜の栽培、養蚕、牧畜などの研究が幅広く行われました。そして明治7年には内務省の所管となり、新たに教育施設として農事修学所(明治10年駒場に移り、のちの東京大学農学部などの前身である駒場農学校となる)が設置されました。

新政府の農業振興政策拡充のなかで、内藤新宿試験場は、その幅広い役割の一部を他に移し、明治12年に宮内省所管の「新宿植物御苑」として新たなスタートをきることになりました。

江戸時代の甲州街道に面した大名屋敷から、皇室の御料地・農園へと転換した歴史があったわけですね。

新宿御苑一帯の住居表示も「新宿区内藤町」となっていますが、これも甲州街道内藤宿から採用されているのです。

バラ花壇園を真横から眺めてみると、傾斜地形となっているのがよくわかります。

次回の記事では「イギリス風景式庭園」の広場を散策していきたいと思います。
