こうたはラブラドールレトリーバーという犬種。
この犬種は、盲導犬・聴導犬・介助犬・災害救助犬・麻薬探知犬で知られているよね。
そんなイメージからすごく頭が良くって、おとなしいわんこなのね~などと思われがち。
だけど、とんでもない!
Wikipediaにそって我が家のこうたを語ると、
「生後2年から3年未満のものは好奇心旺盛で極めて活発に動き回る。
また、家具や柱などをかじったり、破壊する行動がまま見られる。力も強いため想像以上の被害にあうおそれがある。」
ひどかった・・・
靴やスリッパは言うまでもなく、洋服から柱、床やタオル、ひっぱったりがじがじしたりでどれだけのダメージを負ったか(涙)
「人に対しては非常に友好的ではあるが、それが災いして年齢や性格によっては初対面の人に対し興奮が治まりにくく、(友好の意味で)じゃれて急に歩行者などに飛びつく事がある。」
こうたはめちゃくちゃ明るい性格。
って言うか、めちゃくちゃハイテンション。
まさに興奮が収まりにくく、飛びつきを制するのにこっちもよたよた。
特に若い女の人が大好きで、若い女の子を見ると、走って行って飛びついた。
飛びつかれた方にしてみれば、大きい犬が襲ったとしか思えないよね。
何回謝りまくったか~~。涙。
「思いのほか活発で、飼いきれなくなり虐待や放棄される例も多い」
なんどこうたをほっぽりたくなった事か~~。
これはラブを飼った事がないとわからないかもですう。涙
こうたの生まれは石川県。
生まれて3年くらいは石川県の金沢に住んでいたの。
で、初めて犬を飼って、あまりにこうたの素行のひどさに(笑)訓練に通う事にしたんだ。
その時のもようはこちら
http://midoribyj.fc2web.com/koutarou/koutarou.htm
う~~ん
今読み返してもひどい。
ひどすぎる犬だ。笑
でも、この訓練を受けたおかげで随分変わった。
って言うか、先生のおかげで私達家族のこうたに向かう姿勢が変わったんだよな。
これは、すごく大切な事だったって今でも思うよ。
そして、何故、あまりにもひどい素行のこうたを飼い続ける事が出来たかと言うと、
なんといってもこの時に知り合えたラブ仲間の存在が大きかった。
金沢に住んでいた時には、夕方になると近所の広い公園に犬が集まって遊んだの。
私が「こうたがこんなんで、こんなんで、こうなの~~どうしよう」と、嘆くと、
ラブを飼っている先輩達が一笑して
「今によくなる。みんな同じだよー。4歳になったら変わるよ」と言ってくれていたの。
あの時の仲間がいなかったらもしかして、こうたは放置しちゃったかもしれない。
本当だよ。
転勤が決まって金沢を離れるのは本当に悲しかったもんね。
そして私達はこうたと共に今度は京都の宇治へ引越し。
こうたは相変わらず「まったくもう~~」な犬だった。
賢いだけにこちらも本当に手を焼いたよ。
京都では、寝る時にはこうたは台所から出られないようにしていたの。
台所と居間は、仕切りがなかったので、フェンスみたいのを買ってきて、居間に入らないようにしていた。
ある日の事。
朝起きたら、かごにいっぱいに入っていたお菓子がすべて無くなってる!
おせんべいは個別包装だったけど、ちゃんと袋を開いて中身が無くなってるの。笑
犯人はもちろんこうた。
お菓子が無い時には知らん顔して台所から出られない振りをしていたんだよ。
でも、お菓子がたくさんある時を狙ってフェンスの鍵をなんとか開けて居間に侵入。
そして全部平らげたのだ~~~!!
ぎょえええ!とびっくりして、それから台所から出られない攻防戦が毎日続いたよ。
(〃^∇^)わはははっ
これで大丈夫!と思って、姿を隠して出られないか見張ったりしてさ。
でも、こうたはみんなが寝静まった時を狙って台所脱出大作戦を繰り広げていたもんね。
もう最後には、こうたに食べられそうなものは、めちゃくちゃ高い位置に置くしかなかったもんね。
そうそう
京都では宇治川に入って泳いだよ。
大吉山を越えて、宇治川に出るの。
宇治川は流れが速いから危ないんだけど、こうたはへっちゃらだった。
さむ~~~い冬にも川に入りたがって、泳いだ。
まさにWikipediaの
「そして元来、凍るように冷たい海水の中で働いてきた犬種であるため、水遊びを非常に好む。
寒くても海や川・湖を見つければ喜んで近づこうとする」
の通りだよ。
寒いからやめようよと言ってもぐんぐん川っぷちに降りて行って泳ぎに行っちゃったもんね。
このころからこうたは4歳を過ぎ、金沢のラブ仲間が言っていたとおり、
まさに別人、いや、別犬のように落ち着き始めたんだ。
いやあ、びっくりしたよ。ほんと。
そして我が家は転勤族だったから、京都から今度は茨城に引越しをしたんだ。
茨城では、良く脱走をしたな。
ふと気がつくとこうたがいないんだ。
よそのうちに上がってなにかいたずらをしたりしてはいけないから、こっちは必死で探したもんね。
で、「こうた~~」「こうた~~」と呼びながら近所をあるいて探していると、走って寄ってくるの。
そんなに遠くには行ったりしないで、いつもの散歩コースをひとりで歩いていたみたいなんだ。
まったく笑っちゃうよ。
あ、そうだ。
茨城では私が自転車に乗って全速力お散歩もしたよ。
こうたに「走れ」とコマンドを出すと、こうたは全速力で走り出す。
私はリードをもって全速力で自転車で並走。
いやあ、早いのなんのって!
私は途中で力尽きてとてもこうたに合わせられなかったもんね。
でも、このかけっこはこうたも喜んで、しょっちゅうやっていたんだ~。
こうたがあわや大手術!と言う事もあったな。
ばあちゃんがお散歩に連れて行った時。
リードを離してお散歩していたら、こうたがダッシュして逃げたんだって。
そしてこうたが向かった先は、ごみ溜め。
お弁当やら、いろんな食べ残しがあったらしい。
それを急いで食べまくり、あわてる家族をスルーしてそ知らぬ顔して一人で家に帰ってきた。
次の日。
こうたの様子が変。
ああ、変なものを食っちゃったんだ~~(>ヘ<)と、大急ぎで動物病院へ。
お医者さんでレントゲン?とかを撮ってみたら、そこには鬼皮つきの栗が何個も!!
栗が腸の中で詰まってしまったらしい。
お医者さんいわく、「しばらくの時間を見て、詰まったままだったら開腹手術です」と。
ぎょええええ!!
こうたの元気は無いし、こちらもお金も無いし、いったいどうしたら~~??と思っていたの。
で、ちょっと触ってみるかなって、お医者さんがおなかをちょっとマッサージしてくれたのね。
そしたらなんと詰まっていた栗が動いたんだ!
そして無事にウンチ君になって翌日栗は出てきたのだった~。
(〃^∇^)わはははっ
今思えば笑い話だけど、その時はこうたが死にそうになっていたし、もうどうしたらいいのって感じだったんだよね。
あの時のお医者さんありがとう~~。
そんなこんなの転勤の日々を終え、こうたと私達は横浜に戻ったよ。
こうたは9歳になった。
あとわずかしかきっと一緒にいられないね。って話していた。
私は家族の中で一番の宵っ張り。
夜中に居間に行くと、暗い中、いつもこうたがいた。
寝ている時もあったけど、私が居間に入っていくと、大抵こうたは私に擦り寄ってきて挨拶したよ。
朝起きて、子供達が残したパンの耳を狙っていつもテーブルに張り付いていた。
パンはこうたの大好物だったよ。
引越ししてまだ二年にならないのに、近所の人たちにもこうたはかわいがられた。
ほら、人間が大好きだから、すぐに寄って行って、いい子いい子して欲しがったから。
誰かが玄関のチャイムをならすと「ワン」と吠えた。
耳が遠くなった私の父と母はそれでチャイムが鳴った事がわかったんだ。
そして、一緒に玄関にお出迎えしたよ。
生協のお兄ちゃんが大好きだったね。
私が仕事から帰ると、尻尾をふって玄関までお出迎えしてくれた。
「いいこね~」と言うと、うれしそうに居間に戻ったね。
私が夜中にお風呂に入ると、何故かお風呂のドアの向こうに来て出てくるまで待っていた。
あれはいったいなんだったの?
みんなで夕飯を食べている時おこぼれを頂戴しようと後ろに張り付いていたね。
息がもあもあ暑くって、みんなに「あっちいけ」って言われていたよ。
何かの拍子におかずをこぼして
「あ、落っこっちゃった」と言うと飛んできて、拾って食べようとしていた。
お前は本当に食いしん坊だったねえ。
私が座っていると、顔をひざの上に載せて、いい子いい子して欲しがったね。
私はこうたが寝ていると、こうたを枕にして寝たりしていたよ。
いやな事があったり辛い事があったりするとなぜかこうたはわかってそばに来てくれた。
10月17日の朝。
こうたはとことこ歩いて庭に出た。
そしてそれきり動かなくなった。
ようすがおかしいので、デンスケ(旦那)と一緒に毛布を担架にして病院に運んだ。
病院ではすぐに「危険な状態です」と言われた。
何で?
昨日もいっぱいご飯食べたじゃん。
爺ちゃんといっしょに引っ張りっこして遊んだじゃん。
兄ちゃんと一緒に遊んでいたじゃん。
検査をするので一回家にお帰りくださいと言われ、家にかえってすぐに病院から電話があった。
「すぐに来られますか?危ない状態です」
走って病院に行ったよ。
間に合わなかった。
お医者さんが言うには、今ちょっと前に息をひきとりました。と。
私は声をあげて泣いたよ。
こうたが生き返るかなって一所懸命に名前を呼んで泣いたよ。
でも、生きているみたいだったけど、こうたは動かなかった。
あんなに子供みたいに泣き叫んだのは初めてだ。
お医者さんが、「全然苦しみませんでした。静かに息をひきとりました」と、教えてくれた。
こうたはみんなに心配をかけまいと、自分の体調を悟られないようにしていたらしい。
最後もきっと自分が死ぬのをわかって精一杯の力を振り絞って庭に出たんだね。
みんなに迷惑をかけまいとして。
こうた、そんなことしなくて良かったのに。
こうた、お前とすごした9年間は色んなことがあったけど、こうたには感謝の気持ちしか浮かばないよ。
ありがとうね。
きっとお前は今、一緒に遊んだラブの先輩たちと天国を駆け回っているね。
また今度。
次はどういうめぐり合わせで生まれ変わるかわからないけれど、きっとまたお前に逢えるね。
それまでさよなら。