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人の間・時の間・空の間:B面

今日も 【 間 】 を縫って進もう、自分の港へ。

どうしたらいい?

2006-09-30 06:55:18 | 中越地震
どうしたらいい? この胸の苦しさを・・・

山古志村のTさんから電話がきました。Tさんは山古志診療所の看護師で、昨年秋の中越ひこばえ展でお世話になった方です。
「サ○デー毎日10/8号に山古志のことが載ってるから、よかったら見てネ」と。“山古志の赤ひげ”というタイトルで診療所の佐藤先生やTさんはじめスタッフの方々が載っていました。Tさんとのご縁から仮設診療所には何度かお邪魔し、佐藤先生にもお茶をご馳走になったり大変お世話になりました。

2006年9月、まさに今月だった『帰村目標』は2008年1月に先送り。
旧山古志村世帯数620のうち、472世帯(9/1現在)がいまだ仮設住宅での生活を強いられています。

記事中で先生は、村民の心のストレスは大きな問題になりつつあるとおっしゃっています。「復興は急ピッチで進んでいますが、実際のところ平均して復興されていないという苦しみがあります」と。
 山古志に帰れる人、帰れない人・・・周りの人との『格差』が出てくる今が、心のうえではいちばん危険な時期だそうです。そうやって、村民を気遣う先生ご自身も、やっと自宅に戻るめどがついたばかりだといいます。

そうです。
被災者を支えている人々の多くもまた、被災者なのです。
そうやって、必死で踏ん張っている人々の
心の糸がプチンと切れてしまわないように、自分に今できることは?




やしろ饅頭

2006-09-08 10:36:34 | 中越地震
今週はじめに“すべりこみ”で大地の芸術祭(越後妻有アートトリエンナーレ)へ行ってきました。
ほんとうは、お盆にゆっくり見て回りたかったのですが、
諸般の事情で帰省が叶わず諦めていました。
開催の終わりが近づくにつれ『ど~しても この目で見たい作品』が
アタマをもたげてきて、堪えきれずに行って来ました!

そのときのことは、後ほどゆっくりアップするとして・・・
お土産に買って帰った美味しいものをご紹介します。
大地の芸術祭とはまったく関係ないのですが・・・六日町の“やしろ饅頭”
むか~しから、六日町温泉の土産といったらコレでした。
ちっちゃくて、丸くて、白くて、ほんのり甘い黄身餡。
いつも駅前のお土産屋さんで買っていたのですが取り扱わなくなったとかで、
本店の場所を教えてもらい六日町インター近くのお店へ。
見過ごしてしまうくらいの小さな菓子屋さんでしたが、
再びやしろ饅頭に出会えてよかった!

取り残されがちなココロ

2006-07-09 06:16:52 | 中越地震
旧山古志村の知人が
「帰ろう山古志へ~旧山古志村民の体験」新潟日報事業社発行
を送ってくれました。
長島忠美旧村長はじめ、93人の被災当時の生々しい声が綴られています。

灯りも情報もまったく無い中、凍えながら、ケガの痛さに耐えながら、
家族の安否を気遣いながら、
村民同士が屋外で肩寄せあって過ごした地震当日の夜。
「地獄のような」とか「この世の終わり」という表現が、たくさん出てきます。

筆者たち一人ひとりの体験を、自分の身に置き換えて考えたとき、
中越地震は、田畑や家屋だけでなく、
人の心にも、どれだけのダメージを与えたのかがよく分かります。

復興が進む中、つい忘れがちですが
被災者の方たちの“心”が真に立ち直るのには、
まだまだ時間がかかるはずだ とあらためて強く思いました。

カタチはどんどん直っても、
ココロは、地獄のような体験から2年も経っていないのが現実です。

【カタチに惑わされず、その奥にある被災者のココロに思いを馳せる努力を!】
とこの本を読んで思いました。



【0】と【1】との間には

2006-05-14 06:32:08 | 中越地震
中越地震で家を失い、
仮設住宅に入居している家族が、 いまだに2.312世帯もあるそうです。
そのうち、生活再建のメドがたたない人々が約40世帯。


これがゼロにならない限り、数字に意味はありません。
【0】と【1】との間には 深くて大きな河があるぅ

たとえ、この数字がどんどん減っても
最後の1世帯が残っているうちは、それまでと何ら変わりません。
2.312世帯だろうが、1世帯だろうが
ひとつひとつは、かけがえのない家庭なのですから。


ショックなこと

2006-05-11 05:44:32 | 中越地震
ゴールデンウィークに帰省した折
古い友人にバッタリ会いました。
中越地震の直後にメールで連絡取り合って以来でした。

「地震に大雪と大変だったねぇ」
「う~ん・・・いろいろあってさぁ。やんなったて!」

ほんの短い立ち話のなかにも、心身の疲れが見え隠れ・・・

その後 メールが来て
「地震は私にとって予想以上にストレスだったようで自分でもコワいです。
2年も続けて大雪だしさ、小千谷が少し嫌いになりました。」

・・・そうだろうなぁ・・・嫌いにもなるよ・・・・
これでもか!これでもか!と苦難が降りかかっちゃね・・・
これ以上中越の人たちを苦しめないでと祈るしかなかった日々を思い出して
また泣けてきた・・・

彼女は『当たって砕けろ!』が口癖のとても強い人だったし
若い頃から仲間の中でもダントツに郷土愛のある人でした。
高校卒業後、いったん東京に出た後も
何年かしてキッパリ小千谷に帰って農家に嫁いだ人です。
そんな彼女が小千谷を嫌いになるなんて、よっぽどのこと。

雪に閉ざされている冬は 《何もできない》から、
ある意味 落ち着いているのかもしれない。
春になって雪が消え、目の前にやることがいっぱい見えてくる。
家の修復、崩れた田んぼのこと道路のこと・・・
ボヤボヤしていれば、また次の雪が来る。

一年半以上たっても、やっぱり終わっていない。
見えない部分でずっと続いている。
いいえ、むしろジワジワ忍び寄って来てさえいる。

身近な友人の話も聞いてあげないで、
いったい自分は何してたんだろう・・・

今からでも遅くない。
今度帰ったら、いっぱい いっぱい話をしよう。
あの頃のように星野屋の たこ焼きを食べながら。(冬季限定だったかな?)



小国芸術村

2006-04-19 06:48:52 | 中越地震
いつの日か故郷に帰って暮らしたい。

漠然とそう思っていた私は,
帰省のたびにあちこちの集落をまわって歩いていました。
心引かれる村のひとつに旧小国町の山野田集落がありました。
かつて小国芸術村と呼ばれた村でした。

初めて訪れた平成12年夏には、すでに芸術村の賑わいはなく
のどかな村の暮らしがあるだけでした。
祭りの後の静けさ・・・だからこそ惹かれたのかもしれません。

何をして生計を立て、村の人にどうやって受け入れてもらうのか。
厳しい現実問題は山のようにあるのでしょうが、
ただ、いつも いつも同じことを思っていました。

「こんな風景の一部になれたら・・・」


山野田は、一昨年の中越地震で壊滅的な被害を受け
ただでさえ漠然とした私の夢は
ますます現実味を失ってしまいました。

平和でのどかだった村から人々の声が消え、
やがて、村そのものさえ消えていってしまう現実があります。

やりきれない

2006-04-01 09:43:00 | 中越地震
とにかく知ってほしいのです。           
そしてどう感じるかは、もう私の手の中にはありません。

切なくてやりきれない。悔しくてやりきれない。憎らしくてやりきれない。

“やりきれない”とは・・・
           我慢できない。
           気持ちのおさまりがつかない。
           辛抱しきれない。



桜に浮かれる自分に対して。
忘れている世間に対して。
感情移入しずぎる自分に対して。
世の中とはそうしたものだという現実に対して。
「いつまで引きずっているんだ?」と責められることを恐れる自分に対して。
楽しいことを求める人間という存在に対して。
あきらめのよい人間になろうとする自分に対して。


あったてんがの

2006-03-20 11:39:16 | 中越地震
東京表参道にある新潟館ネスパスへ行ってきました。
生まれ故郷の名品、小千谷縮に関するイベントを見に。

催しの中で越後の昔語りのコーナーがあったのですが、
懐かしい魚沼弁による民話、素晴らしかったです!

「むかぁ~し、あったてんがの」(昔むかし あったそうだよ)

中越地震のあと被災地レポートでテレビから魚沼弁が流れて来るたび、
その響きが切なくて聞くのが苦しかったけど、
昨日はなんだか あったかい気持ちをたくさん戴きました。
いつまでもいつまでも聞いていたい昔語りでした。

新潟の人々に魚沼弁のような のどかな暮らしが早く戻りますように。