8/9 原爆投下の日 広島 長崎
母は戦争中、学生だった。
看護婦を目指していた。
アルバイトで陸軍のなんとかってところで働いていた。
おじ(母にとってのおじで、私との位置関係はもうわからない)
のおかげで、陸軍に関係したところで働けた。
給料だけでなく、労働条件もよかったみたい。
母は破傷風のワクチンの研究室にいたとか。
原爆投下の日、母が何をして何を思ったのか知らない。
一度も話したことない。
普段は戦争中のことだけでなく
若かった日のことを話すの好きだったけど。
私は母の繰り返しのおしゃべりは聞きたくなかった。
戦争中の話は無残であり、私にとって非現実的であり
思い出したくない話だった。
でも昨日バンキシャで戦争体験者の話を聞き、書き留め、
それを話して受け継ごうとする若い人々を見た。
戦争の醜いサイドを伝えることによって
戦争を二度としないことに結びつくのかもしれない。
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