北山・京の鄙の里・田舎暮らし

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【京北の文化遺産】 山国隊の軍楽保存活動-その2

2007-02-07 01:11:43 | 文化
前回に続き、「北桑時報」、平成14年発行の243号の特集記事<北桑のこだわり「伝統行事」と文化>に掲載された、山国隊の軍楽保存活動についての、当時の山国隊軍楽保存会の北川義晴さんが報告されている記事の紹介です.今回は鼓笛隊の練習についてなどを報告されてます.

以下「北桑時報」243号p14からの引用です.
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「夏休みから小太鼓(小学生)、笛(中学生)の練習   山国隊軍楽保存会」

昭和59年に山国の人の会員制(約430人)で、山国隊軍楽保存会を結成しました。練習をすることが一番大事なことですので2年に1回します。第二小学校の四年生以上から募集します。多い時で10人、少ない時は6人位の男子が来ます。小学生は小太鼓を習います。7月の夏休みから10月の祭りまでは週2回、夜は7時から9時まで、親御さんに送迎してもらって、仕上げは祭り本番です。笛は中学生です。同じ時期に練習をするのですが大変むずかしいのです。笛には音譜はなく、口つたえ、指の動かし方ばかりをしっかり教えて練習をします。2カ月程はかかりますが、今では途中でやめる子はいませんので、来た子は全部覚えてくれます。

どの世代もですが、小学生は真面目に来ますが、中学生になると照れくさいとか、また、祭りの本番に来なかったりします。10月の中旬は中学校が中間テストの時期ですので、この辺の日程が学校の方となんとかならないのかなあと思っています。

笛についてはやはり苦労しています。高校生はおりますが、卒業すると出てしまってなかなか帰って来てもやってはくれません。今後は、そういうことに力を入れていかないと...。祭りは5,6キロ歩くため、馬力のある若い人になんとかお願いしていかなければと思っています。

また、子供の意見としまして、「将来ずっと第二小の男子だけか」という質問がありますが、今のところは男子だけということになっています。これが、時代が代わって、どうしても人がないということになれば広く募集をして女の子に入ってもらう予定です。しかし、はかま姿にわらじで5,6キロを歩くとなると、どうかなあと思います。今のわらじはすぐ切れるので、将来はビニールひもで作ることも考えております。
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引用終わり

私が習った時もたしか小学生時代には小太鼓を、中学生になって横笛を教えて貰ったと思います.その後は隊旗をもったりしてあちこち行進しました.

練習は秋は10月の山国祭をターゲットにして夏の終わりか秋の初めに始まった記憶が有りますが、秋祭りも近づく頃、夜の練習から帰ってからも家で笛の復習をしている音色があちこちから聞こえてきた、あの音の風景はまだ脳裏に残っています.あ、**ちゃんも吹いてるな、などと遠くから聞こえる笛の音を聞きながら我が家でも練習したのがつい先頃のことと懐かしく思い出します.

鼓笛隊に参加して、山国祭でその成果を披露しますが、途中あちこちの神社で小休止します.その時沢山のお菓子を頂いたのは嬉しい想い出です.また京都市内や全国あちこちでイベントの行進に参加したり、テレビ番組に参加したりと、山奥の里に住んでいたものとしてはいろいろ広い世界に出て行けたのは嬉しかった.今でこそ海外へ行くのも珍しくはないけれど、昭和30~40年代の少年時代には修学旅行以外東京へはそう簡単には行けなかった.そういった経験をさせてもらったのは楽しく嬉しい想い出ばかりが残っています.

「山国隊」というのは、やはり全国区的なキーワードであり、我が故郷の先人達が残された立派な軌跡だと思っています.若き頃その鼓笛隊に参加したり、年を経て今その意義を勉強していますが、我が人生に少なからず影響を与えてくれます.

山国隊の残したものは決して小さいものではないと思います.明治維新を迎える時代にこんな山里の我が先人、祖先は国家を論じ行動に移した.しかも手弁当で.新撰組などとは違った純粋な砂金の輝きを感じます.その意義は今後も学んでいきたいと思っていますし、この軍楽は大切に保存して欲しい、鼓笛隊に参加する若き少年・青年達はしっかり練習して、胸を張って行進して欲しい、と思っています.


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