「北桑時報」という地元の雑誌があります.その平成14年発行の243号の特集記事<北桑のこだわり「伝統行事」と文化>に山国隊の軍楽保存活動について、当時の山国隊軍楽保存会の北川義晴さんが報告されている記事があります.軍楽保存活動の概要を知る上で参考になるとおもいますので引用して報告します.
以下「北桑時報」243号p7-8からの引用です.
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「明治維新に活躍した山国隊 軍楽のメロディーにあわせ行進し帰郷」
只今、紹介いただきました山国隊軍楽保存会の北川でございます。よろしくお願いします。
伝統的には新しいと思います。元来の発祥は明治維新であって、山国の人達83名のうち35名程が東征に参加しています。現在残っている軍楽そのものは、その時、尾張藩邸、(旧陸軍士官学跡)で軍事教練として、西洋軍隊(当時のフランス方式)の教育として習ったもので、京都へは官軍の凱旋隊(大総督有栖川宮)の錦の御旗の護衛をしながら帰ってこられたそうです。なぜ山国隊が錦旗の護衛をしたのか。凱旋隊には各藩の武士が多くいましたが、特定した藩を指名できず農民兵である山国隊に申し付けられたようであります。今も残っている小太鼓を中心としたメロディーを弾きながら行進していたと思います。
現在、調べても解りにくいのですが、山国の人達だけではなかなかむずかしく、当時は江戸(東京)の旗本のご家人や子供達が京都へついて帰ってきており、その人達と一緒になって熱心に習って太鼓の行進ができたそうです。小太鼓、大太鼓、笛と、実際は八名位しかできなかったようですが、しばらくは京都で訓練をして山国へ帰ってきたそうです。
明治二十八年十月、建都1100年に平安神宮が完成、第一回時代祭が行われました(当時は催し物)。山国隊は参加を申し込み軍楽の復習、衣装の新調をして時代祭の先頭に錦の御旗を携え軍楽入りで参加しました。山国隊はたちまち時代祭の人気者となったそうであります。以来、時代祭の先達をつとめましたが、時期的に}(10月22日)大変忙しい時でもあり、大正8年までで参加をしておりません。理由は明らかではありませんが大正9年からは山国隊でなく山国出身の人達(京都市在住)が中心となり、京都市壬生の人々とともに組織されたのが維新勤皇隊であります。現在は山国隊軍楽と別の戊辰行進曲が昭和初期に作曲され、その行進曲により時代祭に参加されています。
全国的に明治維新に関わるいわれ、名残りもあるようですが、今は同じように引き継いでやっているのが少なく、後継者の問題や年をとったからできないとか聞きます。
山国隊については最近、大学生が調査していますが、我々がやっている軍楽そのものが、日本の現在の吹奏楽の発祥じゃないかといわれています。それが本当だったら..という結果待ちで期待もしています。
昭和62年だったと思います。作曲家の小林亜星さんが、山国隊の軍楽と維新勤皇隊の行進曲を調査されたことがあります。山国隊の鼓笛がヨーロッパ式のマーチであり維新勤皇隊の行進曲とは全然違うなあと評価されました。
山国の護国神社の例祭は4月22日、山国祭は10月11日に決まっていますが、最近は休日を優先しないと人が集まらないため、連休のある日曜日にしようかという状況です。今年は3月10日に北野天満宮の50年祭があり、その大祭に奉納してほしいとたのまれています。これにもいわれがあって、北野神社の本殿の左奥の方には山国隊の人が寄贈した灯籠がありますし、江戸へ行く時には北野神社で軍をなして行き、また、お礼参りもしたといういわれもあります。山国祭の体制については、小・中・高が中心で60人から70人程度、また、他へ行く時は40人位でバス1台で行きます。
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引用終り
私も小学生から高校生まで故郷ですごした時代にこの鼓笛隊で、小太鼓を叩き、笛を吹き、隊旗を持って村のお祭りを始めあちこちへ出張して軍楽行進したのですが、当時はその意義や由緒などには興味もなく、あちこちの行事に参加した今となっては楽しい想い出しか残っていません.しかしこの軍楽について知ることは、明治維新や我が郷土について様々な面を教えてくれそうです.
上の北川さんの報告にもありますが、時代祭の始まった時には山国から山国隊が参加していたのですが、今は京都市内の壬生地区の人達の努力によって時代祭を飾っているそうです.ただそのメロディーは山国で伝えられているものとは違っています.私は時代祭は見たことはないのですが、昔何かのメディアでその演奏を聴いたとき、あれ?我々が演奏しているのとは違う、と不思議に思った経験があります.
地元では以前から保存活動がなされていたのですが、「山国隊軍楽保存会」が設立されさらに充実した保存活動をされています.このことについて少し資料を漁っていますので報告したく、まずその1をアップしました.その2は、その練習などについてアップします.
以下「北桑時報」243号p7-8からの引用です.
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「明治維新に活躍した山国隊 軍楽のメロディーにあわせ行進し帰郷」
只今、紹介いただきました山国隊軍楽保存会の北川でございます。よろしくお願いします。
伝統的には新しいと思います。元来の発祥は明治維新であって、山国の人達83名のうち35名程が東征に参加しています。現在残っている軍楽そのものは、その時、尾張藩邸、(旧陸軍士官学跡)で軍事教練として、西洋軍隊(当時のフランス方式)の教育として習ったもので、京都へは官軍の凱旋隊(大総督有栖川宮)の錦の御旗の護衛をしながら帰ってこられたそうです。なぜ山国隊が錦旗の護衛をしたのか。凱旋隊には各藩の武士が多くいましたが、特定した藩を指名できず農民兵である山国隊に申し付けられたようであります。今も残っている小太鼓を中心としたメロディーを弾きながら行進していたと思います。
現在、調べても解りにくいのですが、山国の人達だけではなかなかむずかしく、当時は江戸(東京)の旗本のご家人や子供達が京都へついて帰ってきており、その人達と一緒になって熱心に習って太鼓の行進ができたそうです。小太鼓、大太鼓、笛と、実際は八名位しかできなかったようですが、しばらくは京都で訓練をして山国へ帰ってきたそうです。
明治二十八年十月、建都1100年に平安神宮が完成、第一回時代祭が行われました(当時は催し物)。山国隊は参加を申し込み軍楽の復習、衣装の新調をして時代祭の先頭に錦の御旗を携え軍楽入りで参加しました。山国隊はたちまち時代祭の人気者となったそうであります。以来、時代祭の先達をつとめましたが、時期的に}(10月22日)大変忙しい時でもあり、大正8年までで参加をしておりません。理由は明らかではありませんが大正9年からは山国隊でなく山国出身の人達(京都市在住)が中心となり、京都市壬生の人々とともに組織されたのが維新勤皇隊であります。現在は山国隊軍楽と別の戊辰行進曲が昭和初期に作曲され、その行進曲により時代祭に参加されています。
全国的に明治維新に関わるいわれ、名残りもあるようですが、今は同じように引き継いでやっているのが少なく、後継者の問題や年をとったからできないとか聞きます。
山国隊については最近、大学生が調査していますが、我々がやっている軍楽そのものが、日本の現在の吹奏楽の発祥じゃないかといわれています。それが本当だったら..という結果待ちで期待もしています。
昭和62年だったと思います。作曲家の小林亜星さんが、山国隊の軍楽と維新勤皇隊の行進曲を調査されたことがあります。山国隊の鼓笛がヨーロッパ式のマーチであり維新勤皇隊の行進曲とは全然違うなあと評価されました。
山国の護国神社の例祭は4月22日、山国祭は10月11日に決まっていますが、最近は休日を優先しないと人が集まらないため、連休のある日曜日にしようかという状況です。今年は3月10日に北野天満宮の50年祭があり、その大祭に奉納してほしいとたのまれています。これにもいわれがあって、北野神社の本殿の左奥の方には山国隊の人が寄贈した灯籠がありますし、江戸へ行く時には北野神社で軍をなして行き、また、お礼参りもしたといういわれもあります。山国祭の体制については、小・中・高が中心で60人から70人程度、また、他へ行く時は40人位でバス1台で行きます。
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引用終り
私も小学生から高校生まで故郷ですごした時代にこの鼓笛隊で、小太鼓を叩き、笛を吹き、隊旗を持って村のお祭りを始めあちこちへ出張して軍楽行進したのですが、当時はその意義や由緒などには興味もなく、あちこちの行事に参加した今となっては楽しい想い出しか残っていません.しかしこの軍楽について知ることは、明治維新や我が郷土について様々な面を教えてくれそうです.
上の北川さんの報告にもありますが、時代祭の始まった時には山国から山国隊が参加していたのですが、今は京都市内の壬生地区の人達の努力によって時代祭を飾っているそうです.ただそのメロディーは山国で伝えられているものとは違っています.私は時代祭は見たことはないのですが、昔何かのメディアでその演奏を聴いたとき、あれ?我々が演奏しているのとは違う、と不思議に思った経験があります.
地元では以前から保存活動がなされていたのですが、「山国隊軍楽保存会」が設立されさらに充実した保存活動をされています.このことについて少し資料を漁っていますので報告したく、まずその1をアップしました.その2は、その練習などについてアップします.
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