北山・京の鄙の里・田舎暮らし

北山、京の北に拡がる山々、その山里での生活を楽しんでいます。

高橋成計さんの「丹波の山城散歩の楽しみ」

2014-04-04 21:58:37 | 歴史・社寺・史跡など


黒井城で高橋さんの説明を聞く


京都府立ゼミナールハウスでは昨年度、「丹波の山城探訪」という講座を3回開きました。山城研究家の高橋成計さんの案内で、八上城・八木城・黒井城といった丹波の三大山城を始め、島城・中村城・塩貝城等々を探訪したのですが、この楽しみを出来るだけ多くの方にも知っていただきたく、ゼミナールハウス友の会の25年秋号にその楽しみ方について寄稿いただき掲載しました。友の会だよりを読まれる以外の方にも知っていただきたく、ご本人の許可をいただきここにも載せることにしました。

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はじめに
 丹波国とは、京都丹波と兵庫丹波に分類され、京都丹波は北から福知山市、綾部市、京丹波町、南丹市、亀岡市、京都市右京区京北で、兵庫丹波とは丹波市、篠山市である。京都府文化財保護課が出版した『京都府中世城館跡調査報告書』丹波編に、丹波の山城が網羅されている。京都丹波には300ヵ所を越える城跡がある。福知山市90ヵ所、綾部市80ヵ所、京丹波町、南丹市70ヵ所、亀岡市40ヵ所、その他20ヵ所である。しかし調査漏れもあり、実際は400ヵ所を越えるであろう。集落があれば山城があるという光景が、丹波に限らず日本の山村風景である。

1 山城散歩の注意点
 山城散歩は山道を歩いては、山城の遺構が見えないため楽しくない。まず散歩するには服装が第一である。長袖、長ズボンが絶対原則であり、手には軍手を着用し、足には登山靴か長靴を履き、帽子も着用しないとブッシュをかき分けて進行する時、頭を木の枝で打つ事や、顔に蜘蛛巣がつくことがある。そして、散歩の時には両手が自由に使用できるように、リュクサックを背負うことが大切である。また筆記用具や刃物、カメラ、雨具、防虫用スプレ-、方位磁石、地図、薬類を忘れてはならない。
 山城の散歩は尾根筋や頂上を歩いては、山城全体の状況が把握できないため、城域全体の斜面や谷筋、山麓の集落も散歩すると楽しい一日となる。では散歩での注意点であるが、斜面を歩くため足元に注意する事は元より、一年を通じて散歩する場合には、夏草による被れ(漆、ハゼ)やマムシ、ハチ(スズメバチ)、蜘蛛巣、ヤブカ、ダニ、ヒル等に注意し、月のワグマも意識し、鈴を付ける事が大切である。特に夏場のやっかいな汗は、タオルやハンカチでふき取る。しかし一番大切なことは、他人の山に入って散歩するため、山主に断わりを取ることが必要で、特に人家の周辺では、竹藪のタケノコや山菜を採ることは絶対してはいけない行為である。また畑の中を歩いて作物をキズ付けたり、杉やヒノキにキズをつけることも避けなければならない。

2 山城の歩き方
 まずその山城を散歩する場合、山城周辺の地形図(1/25000)を手にして、前もって山城の歴史や周辺の遺跡を調べておくと、山城遺構を見るときの空想範囲が広がって楽しいものである。まず山城の遺構を見る時は、高い部分から低い方向へと見ていくのが鉄則である。この時、中心部の高い場所から略図を書くと、主郭から虎口や空堀等の位置関係がわかり易いので、山城全体像が把握しやすい。また虎口のサイズや曲輪の規模を巻尺で測定して見ると、曲輪と曲輪の関係が理解でき楽しくなる。山城散歩で大切な事は、山城に関した知識を持つ事である。曲輪、堀切、虎口、土塁、畝状空堀群、主郭、副郭等の用語の理解はもとより、このパ-ツ(土塁、堀切等)をここで使用する意味が理解でき、地形の要害性とのかかわりを考える事も大切である。ことに山城は要害な地形に築いているため、安全を重視して無理な行動をやめ、体力と体調に合わせた散歩が必要である。

3 山城の歴史概要
 山城の大部分は丘陵や尾根の先端を利用した単郭の山城が多い。これは法の秩序が効力をもたない社会では、自分の生命は自分で守るという自己責任の社会である。この様な社会の中で、村には村の秩序が成立し、村が危険に曝された場合、丘陵や尾根先に山城を構え、これに立て籠もるという行為が実施された。これが「村の城」論である。しかし、多くは村の有力者が構える城郭が多く、この有力者を中心に村の秩序を維持した。また有力者は近隣の有力者と婚姻関係や同盟を成立させ、自家の安泰を目論んだ。このようにして勢力拡大していく国人もあり、このような国人の城郭は一つの山岳を利用した山城である。この勢力を複数まとめると戦国大名として大規模な城郭を構築した。しかし織豊期(織田、豊臣)になると国家統一を意識した戦いとなり、兵農分離が完成し、戦術も向上した。これにより山城の構造も変化し、土の城から石垣の城へと変わり、城は惣構と呼ばれる城下町へと発展していった。


八木城で山城緑陰講座中・向かって右端が高橋さん


4 山城の事例紹介
 丹波では八上城、黒井城と並び、丹波三大山城と呼ばれる八木城から紹介しましょう。・八木城は南丹市と亀岡市の境に位置し、標高325mの山頂にある。南北1km、東西500mを超える規模の山城である。丹波守護細川氏の守護代であった内藤氏の城で、丹波の守護所として機能していた可能性もある。主郭から北、東への展望は良好で、亀岡市の平野部を一望できる環境にあり、登山の苦しみを忘れる場所である。この城の大手口は北の本郷と南の神前で、時代によって大手口が変化している。西にある烏嶽の曲輪群は西の波多野氏に対しての構えであり、内藤宗勝の時代に整備された可能性を考えたい。

・次に畝状空堀群の城郭として、綾部市高津菅谷の将監城を紹介しましょう。将監城は由良川左岸の丘陵上にある城郭で、西から東方向に派生する丘陵上に位置する。城跡は丘陵が北と南に分かれる西側に堀切を設けて、東側を城域とする。北の丘陵先端部分には、居館として利用されたと考えられる城内最大の曲輪があり、曲輪内には泉と思われる水場もある。この城郭の特徴は、城郭の外郭ラインを取巻く斜面には100条の畝状空堀があり、丹波では類を見ない数である。九州の福岡県にある長野城に似ているため、「丹波のミニ長野城」と呼んでいる。『丹波志』によると城主は大槻氏と言われ、大槻将監なる人物の城跡と考える。

・城の周囲を横堀で囲んだ城であるが、福知山市猪崎の城山であにある猪崎城である。城跡は福知山市から由良川を挟んだ猪崎の台地にある。城跡は過去に公園として整備されたため、堀の一部の破壊と畑地利用による道が付けられているため、少し縄張りが変化している。城の規模は東西150m、南北150m程の円形の近く、主郭は50mの円形状となり、周囲の西側を除く部分に横堀がある。北側の横堀内部には仕切りがあり、横堀の内部通行を阻止している。『丹波志』によると、城主は塩見氏と言われる。城跡からの展望は南の福知山市を一望できる位置にある。

・織豊期の山城であるが、戦国期と違い、曲輪の造成には石垣を用いている。これは重量物の建築物を構築するため、切岸がその重量に耐えられないためである。京都市右京区京北の周山城も各所に石垣が残っている城郭である。桂川と弓削川の合流点である周山の、標高480mの山頂を中心に、東西1.2km、南北650m程の城域をもつ大規模城郭である。城主は明智光秀と言われ、光秀亡きあとは羽柴秀吉の家臣が入城している。光秀構築後、秀吉の家臣が改修していると思われるが、どの部分が改修かは不明である。
 主郭跡には穴蔵が残り、この部分に天守閣があったと考えられる。東の上り口から70mの北尾根に大規模の曲輪があり、南に150m程で周山の集落が一望できる曲輪に到達する。これから400m程上ると主郭に到達する。北と南の尾根上には曲輪があり、通路で結ばれている。西にある「西曲輪」と呼ばれる遺構は、南北200m、東西70m程の規模があり、東の主郭とは堀切で遮断された別郭の遺構である。西の明石集落方面に対する曲輪であるが、距離があるために堀切で遮断する必要があったと考える。周山城の見どころは、各所にある石垣と、曲輪の塁線の張出しや折れ、虎口の構造と通路の関係が面白い。京北の山々のため展望は良くないが、山中にある織豊城郭の姿は見学の見物である。

5 最後に
 この様に丹波の山城4城を紹介しましたが、他にも400城という山城があり、一年に100城を経験しても4年間は必要である。2013年に京都府から『京都府中世城館跡調査報告書』丹波編が出版されたため、図書館に行けばこの報告書があると思いますので、「丹波の山城散歩」の長期プランを立てて、安全で無理のない散歩をお勧めします。
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黒井城の主郭へと先導




ゼミナールハウスでは今年度も「高橋成計さんと訪ねる山城ハイキング」と題して、則ちハイキングも楽しみながら山城探訪の楽しみも味わっていただこうと今年度も5・6・9月の3回講座を持ちます。ちなみに5月は、地元京北を一時支配した宇津氏の宇津城と、光秀が丹波攻略のために築いた金山城を訪れますが、金山城の登り口には鐘ヶ坂トンネルという明治・昭和・平成に開通した3つのトンネルがあるのですが、そのレンガ造りでは日本最古といわれる明治トンネルがあり、この機会に特別に通りぬけさせていただく予定です。また金山城の傍には鬼の架橋という奇岩もあり、また山上からはかの黒井城や八上城の眺望も楽しめます。途中通る鐘ヶ坂峠は生野銀山からの銀も超えた山陰道の要衝でもあります。これはハイキングとしても贅沢な企画だと自負しています。知的好奇心と体力アップと一石二鳥であります(^^)v

それにもまして、高橋さんの写った写真を上に載せましたが、専門家に城跡を解説していただくと、我々素人には単なる盛り上がった地形にしか見えないものでも、往時の城の姿が浮かび上がってくるという楽しみもあります。かと思えば高橋さん、山城から下ってきて里が近くになると急に走りだして猛ダッシュで降りて行かれる。我々は山猿みたいと評していますが、まさに日々山城を探しまくっておられるからこそ鍛え上げられた体力の姿なのでしょう。

亀岡近辺や園部近辺と言った身近な城や、若狭国吉城も計画に入れています。今回の記事はその入門篇として、また山城を探索しようとされる方々に大いに参考になるのではと思っています。


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