昨日は久しぶりに大阪へ行ってきた。息子が勤務しているディーラーを訪ね、ある車に試乗するためである。彼が同乗してくれ、説明を聞きながら中央環状線などを走ってみた。
定年後田舎に帰ってからライセンスを取り、約4年で80,000km以上を走った。あちこちドライブする機会も増え、走行距離を時系列に振り返ると折れ線グラフは右肩上がりもいいところだ。日本のあちこちを訪れることが出来るという車のメリットを発見してしまったからだ。訪れたいところはいろいろあったが、車を走らせばそれが実現するという楽しみが我が好奇心に火をつけてしまった。今の車が3回目の車検を迎えるにあたり、新車にした方がいいのではと考え始めたのである。しかし最近安価になったパソコンを買うのとは訳が違う。我が年令を考えると新車に乗り換えるのもこれが最後かなとも思えるので慎重に検討している。さてどうするかをこれからシミュレーションしてみようと思っている。経済的な面だけでなく、大袈裟に言えばこれからの我がライフスタイルにも関わってくるテーマになるからだ。
今考えていることは、我がふるさとの事をもっと知ろうと思うのが基本で、その為に勉強しなければならない、そして記録に残そう、また知った事は人様にも知って貰いたいのでブログ等を活用して発信したい、そういう生活をしたい。その為にはもっと広い世界を見つめないと深いものにならない、書物などの伝聞だけで得る情報だけでなく、現地へ足を運ばないといけないのではと思う。日本全国のあちこちへ足を運んであそこも見たい、ここも見ておきたいと考えるとそこへすぐに行きたい質であるので、その為のフットワークは良くしておきたい。交通網は発達しているとはいうものの、史跡を訪ねたりするときには車は不可欠である。
足下を知るためには広い世界を知らないと、と言えば格好良いかもしれないが、まあ自分の知らない世界を見たいという好奇心だけから出発しているのだろう。 まあ、これも良い機会、どういった観点から車種を選択するかは、これからの事も考える良い機会でもあろう。最近は安価になったパソコンを選ぶのとは違い経 済的にも大きな決断を余儀なくされる。
さて当日の行動であるが、昼食は船場地下センターの「大名そば」へ。躊躇なく、<大うまい>(つけ麺スタイルの蕎麦大盛り)を注文。その後「さぬき家」を覗くと我が顔を覚えていてくれ、あれまあ~、とびっくりしてくれた。田舎から出て来たんよ、田舎はいいよ~、美山へ帰ってきたら~、などと話しかける。今日は日帰りだから夜は来れないけど又来るね~、と挨拶だけで店を出た。ここの旦那が夜に焼いてくれる焼き鳥は本当に美味くて懐かしい。そうだ、我が田舎で焼鳥屋 をしたら、と言うのを忘れていたなあと後悔した。というのは、京北には焼鳥屋と中華料理店がないのが寂しいからという単純な動機だけであり、採算性など考えずの身勝手な誘いであるが( ^_')。
デザートの為に本町橋のすぐ傍、東警察署の東にある、「ゼー六」、へと向かった。歴史を感じさせてくれるレトロな店構えのアイスクリーム屋で、店の近くではここの アイスもなかをほおばりながら歩いているビジネスマンも見る。あの頑固親爺いるかな、と楽しみにしていたが、本人はお昼休みとのことで残念ながら会えなかった。「親爺に似ているね」と言うと「親爺に似ていると言われて嬉しくない」と答える息子夫婦が頑張っていた。その事を話しかけると、今も同じ反応であり面 白かった。この店は持ち帰り客の為にドライアイスを使わない主義であるが、新聞紙がきちんと用意されていて、これを守っているのが確認できた。これに関し ては客と店主とのやり取りを店の中で聞いて楽しんでいたものだ。肝心のアイスクリームの味であるが、同行してくれた友人に感想を求めると良いコメントが 帰ってきた。我がコメントは、色々なものが交わった味ではなく、ミルクの存在感を感じさせてくれる自然な味、というところか。
ここでコーヒーも飲めるがすぐ近くにある喫茶店「ガロ」に向かう。ここのママさん、田舎暮らしを憧れているが旦那は全然興味なしとのこと。1年前だったが ワラビを持っていったことを思い出してくれ話が弾んだ。山菜や新鮮な野菜を食べた時のことを話すあの嬉しそうな表情、今度来るときには、タラの芽がとれた よ~、ワラビ持ってきたよ~って立ち寄りたい雰囲気にさせてくれる。このママとは忘れられない思い出がある。長いテレックスが海外の取引先から入ってきて たのでコーヒーでも飲みながらゆっくり読まないと店に入り、「このフランス語難しいよ~、ここ教えて」というと、「あ、残念、私ドイツ語なら教えられるけ どフランス語はねえ、、」。で何日かして「このドイツ語教えて、、、」というと「イタリア語ならいいけどドイツ語はだめなのよ、、」こんなのりで心を和ま せてくれたものである。他愛ないやりとりであるが、これも人柄なのだろうか、人との付き合いについて教えてくれるものがある。
本町と言えば大阪の中心地であり人通りも多いが、何故か活気を感じない。御堂筋は相変わらず込んでいたが5・10日(ごとび)で車が混んでいるのだろう か。この時代集金に足を運ばなければならないというシステムが残っているのだろうか、などと考えると憂鬱な気分になる。夕刻の退社時刻、心斎橋筋を歩く人 の数はそう変わっていなくて相変わらず雑踏の雰囲気があった。都市の魅力は刻々と新しい時代へと変化する姿であるが、ビルの空き地が駐車場になっている ケースが多くスクラップは進んでいるがビルドとは言えないのではないかという雰囲気ではあった。ビルドまで行かなくてもアンダービルディング(アンダーコ ンストラクション)の雰囲気を感じるのが都市の魅力だと思うのだが。未来に向かって突き進む都会、頑なに自然を守りつつ生きる田舎、そこを行き交う人の流 れがうまく行き交っている姿が良いと思っているのだが、今はそれぞれ中途半端になっている様な気がしないでもない。
こんな事を考えながら過ごした昨日でした。
久し振りに馴染みの店へ行かれて旧交を暖め、さぞ楽しかったことと思います。私も先月でしたか、大阪駅前ビルの地階にある定食屋蒹飲み屋へ行きました。1軒は魚料理の専門ですが売れ切れでしたので、近くの焼き鯖専門の店で、久し振りに小母(婆)ちゃんと喋って来ました。他にも何軒かは馴染みの所があるのですが、中々再訪も叶わずご無沙汰している内に閉店したりする店もあります。
それもそうとして、新車を買われましたらますます行動範囲が広がり、季節が良くなるに連れて新しい発見や体験が多々増えることと思います。期待しております。それにしても京北での「桜山計画」に着手されるはずの硯水亭さんは、どうされているのでしょう。
mfujino様が、新車を駆使されて様々な事実を報告されることを楽しみにしております。追伸ですが、本物の貞任塚はちょっと衝撃でした。アホかと思われるかも知れませんが、小生は下宇津から峠へ登る道で、道を間違えて峠に出るまでに悪戦苦闘しました。帰りも世木ダムの方に下り、宇津に戻ってくるのにえらい時間がかかりました。のに、本物ではなかったとは…。
我が姉はまだ1台は乗りつぶせるだろうと70を超えてから新車に乗り換えていました。時々コメントを頂くshigeさんの母君は80いくつかで亡くなられる直前まで車で走り回っておられたと聞きました。確かに家を建てるに比べれば安いものですが、我が薄っぺらい財布の中身を考えると欲しいと思っても手が届かないものです。
道草さまの庭はキタですね。我が思い出はガード下の立ち飲み屋に多くあります。「ワワワーに行こうか」を合い言葉にしていました。ワワワーとはコーラスグループが歌うとき身体を少し斜めにして手を出している姿を想像してください。店のカウンターがいっぱいでも店主が合図すると他の客は少し詰めてくれます。従って客が増えてくるとみんな身体を斜めにして呑む姿がそれに似ているからです。新地には社用族で割と行った方ではないかと思っています。お初天神のあたりや駅前ビルの地下にもユニークな店が多いと聞きましたがどうなんでしょう。天神橋筋の「肴屋」は我がお気に入りであります。上にも書きましたが、焼き鳥や中華料理が食べたくなると大阪へ行きたくなります。イタリア料理のルーバクオーレはまだやっているだろうか。いろいろ書き始めると切りがありませんのでこの辺で。
我が高校の恩師は、東横堀川・道頓堀・西横堀川に架かる橋を渡り右岸へ次の橋を渡り左岸へと全ての橋を渡り歩かれたそうです。まああのどぶ川ですが、八百八橋の大阪ですのでその橋にまつわる話を調べて歩くのも楽しいでしょうね。あ、そうそう北新地の御堂筋側にあるビルに埋め込まれている「史跡 蜆川趾」(曾根崎川)を見付けてみてくださいませ。疲れ果てたら飲み屋さんは傍に沢山ありますので安心です。
道標についてですが、宇津の道標を調べていただければ嬉しいですね。今小生が知っているのは、1)柏原の国道477から魚ケ淵への分岐に、 2)その西へ100ms程のバス停傍に、3)栃本の八幡宮から周山方面へ300ms程行った弓槻橋(切畑の集落へ渡る橋)への分岐にある3つだけです。その他にもあると思います。当時はどういう風に歩いていたのかに思いを馳せるのもたのしいものです。
貞任峠へも行かれたのですか。凄い徘徊ぶりですね。峠を越えたところにオフロード車のレース場がありますね。日曜日に皆さん楽しんで折られますが、へ~あんな所車で上れるの~、という難しい所をクリアしていく景色を見るのも迫力があって楽しいものです。貞任の塚は探さないと分かりません。春になれば道草さまに一緒に行きましょうと誘っています。5月上旬には登り口にはシャガが群生します。見事ですよ。このブログの2006年5月13日にその写真を載せています。
本町橋のすぐ東にある信号の<西南>が正しい位置です。東警察署のすぐ東にあります。
大阪行き楽しまれたようですね^^車を乗り換えられるのですか?>まあ自分の知らない世界を見たいという好奇心だけから出発しているのだろう<うふふ、それでもいいじゃないですか、mfujinoさんのフットワークの軽さにはいつも感心しております。いつか機会がありましたら乗せて頂きたいなあ~(何て無礼者だこと)失礼しました。
大阪船場は懐かしい所です。30年間衣料関係の仕事をしていたものですから・・・メーカーも最初は船場にかたまっていたのですが徐々に西区新町に移転したり東京に出したり、堺筋線延長に伴い終点の八尾南に主要メーカーが故黒川紀章設計の新社屋を建て移転したりしましたが、日用品はつい買い慣れた船場に行きました。船場での展示会には昼食券が出ました。100円券が10枚綴られています。船場地下センターの食堂街で食事し、場所変えてお茶するのがお決まりでした。そうそう「大名そば」?も行ったような^^店を閉じて5年、大阪がすっかり遠くなりましたけど、mfujinoさんに刺激され一度出かけてこようかなと思っています。
新車の記事待ち遠しいな~こちらまでどきどきしてきましたわ。
ささ舟さまはアパレル関係のお仕事だったのですね。船場や新町の名が出てくると懐かしいです。今は繊維関係の仕事に関わる人の数は減ってきていますが、私はこの業界にいたことは後悔していません。倒産のまっただ中に身を置いた経験もあり、華やかさも地獄も見てきました。僅か数十年でいろいろな事を経験できたことに感謝しています。私は八尾南の界隈はわかりません。箕面の千里にある船場団地はよく通いました。糸偏の町船場は大きく変わっています。栄枯盛衰、移り変わりが激しいです。時代のキーワードをしっかり見つめた会社は残っていますがその会社の中身は大きく変化しているのではないでしょうか。変化しない会社はつぶれてしまいます。それに比べ公務員の世界はどうなっているのでしょうか。大阪の橋下知事にエールを送りたい気にさせてくれたのは、府の職員に皆さんは倒産会社の社員ですと言ったからです。あれれ、また変な方向に向かいそうなのですね。
ゼー六にも是非行ってみてください。親爺さんは頑固親爺と言われていますが、この味は頑固に守って欲しいと思っています。私がよく通っていて今も尚頑張っておられるお店はきっと生き残れると思っています。アッシー君になりますので一度船場の懐かしい店を食べ歩き呑み歩く一泊ツアーなど如何ですか( ^_')
京北から美山方面へ行ってみたいです^^厚かましいですが、ぜひ連れてって下さいませ。楽しみができましたわ^^
そうそう私ね、不登校児のボランティアが月~金まで(1日3時間程度)有ります。だから土日祝しか空いていませんの。日が合いましたら嬉しいです。急ぎませんのよ^^
その日が来たらこのブログの右の欄に、メッセージ、<メッセージを送る> というのが在りますのでメルアドを教えていただけましたらお互い連絡できます。