少し振り返ってみると、ここ京北に居を移したのが2004年の6月.ブログを始めたのが2006年2月14日であるので帰省後1年半ということになる.帰郷した秋に運転免許を取りに自動車学校に合宿入学.車が我が家に来てからは昔を思い出すべくあちこちドライブしてその自然を眺めていたが、興味はその歴史にも向いていった.如何に我が故郷のことを知らなかったのだろう、と反省することしきり.こんな鄙びた山里にも凄い文化遺産がある.でも世に知れることなく、また地元の人々にも知られていない事が多すぎる、と感じました.
堺屋太一さんのおっしゃる、地方にいる方が日本全体の事が分かりやすい、という言葉の意味が分かりかけた気がする.この山里の文化や歴史を通して日本の歴史を見直してみたいし、そこから未来や世界を見つめてみたいと思っている.
今過去の記事を読み返してみるといろいろなテーマの掘り下げ方が中途半端だなあ、と反省している.まあ、勉強の途中を報告するスタイルなのでこれは仕方がない.いろいろ調べ始めると興味ある話題がありすぎて、あちらもこちらもと目移りがしてしまい、一つ一つのテーマを深く掘り下げられずどうも消化不良に陥っている.資料不足の面もあるが大きな図書館や資料館へ足を運ばないと無理なようである.
帰郷して約2年半が経過したことになる.ここでは車は必需品.大阪にいるときは車とは縁のない生活をしていた.その分最後の方は通勤に自転車をつかったり、また週末にはあちこち歩き回った.大阪や京都近郊の山は1時間もあれば登れる.距離については一日40~50km歩いたこともある.田舎へ帰りさあ、どんどん歩くぞ~、と思っていたが、結果は逆、帰郷した秋に運転免許をとり車に乗り始めると車無しではの生活になり歩くことが少なくなってしまった.また寒い冬はコタツに入ってという時間も長くなり、どうも不健康なスタイルになってしまった.いかんいかん、と反省しきりの毎日を過ごしている.
それにしてもこの温かい冬は何なのだろう?雪掻きの回数が減るのは有り難いことであるが、暑いときは暑く、寒いときは寒く、雨が多い梅雨には雨が多くと、変化がきちんとある方が心もしまって良いのだが、、、、 それでもここではやはり四季の移り変わりが肌で感じられ、大都会にはない生活を楽しんでいる.今まで眠っていた生命が大地からわき上がるあのワクワク感いっぱいの春はもうすぐそこに来ているのだろう.
堺屋太一さんのおっしゃる、地方にいる方が日本全体の事が分かりやすい、という言葉の意味が分かりかけた気がする.この山里の文化や歴史を通して日本の歴史を見直してみたいし、そこから未来や世界を見つめてみたいと思っている.
今過去の記事を読み返してみるといろいろなテーマの掘り下げ方が中途半端だなあ、と反省している.まあ、勉強の途中を報告するスタイルなのでこれは仕方がない.いろいろ調べ始めると興味ある話題がありすぎて、あちらもこちらもと目移りがしてしまい、一つ一つのテーマを深く掘り下げられずどうも消化不良に陥っている.資料不足の面もあるが大きな図書館や資料館へ足を運ばないと無理なようである.
帰郷して約2年半が経過したことになる.ここでは車は必需品.大阪にいるときは車とは縁のない生活をしていた.その分最後の方は通勤に自転車をつかったり、また週末にはあちこち歩き回った.大阪や京都近郊の山は1時間もあれば登れる.距離については一日40~50km歩いたこともある.田舎へ帰りさあ、どんどん歩くぞ~、と思っていたが、結果は逆、帰郷した秋に運転免許をとり車に乗り始めると車無しではの生活になり歩くことが少なくなってしまった.また寒い冬はコタツに入ってという時間も長くなり、どうも不健康なスタイルになってしまった.いかんいかん、と反省しきりの毎日を過ごしている.
それにしてもこの温かい冬は何なのだろう?雪掻きの回数が減るのは有り難いことであるが、暑いときは暑く、寒いときは寒く、雨が多い梅雨には雨が多くと、変化がきちんとある方が心もしまって良いのだが、、、、 それでもここではやはり四季の移り変わりが肌で感じられ、大都会にはない生活を楽しんでいる.今まで眠っていた生命が大地からわき上がるあのワクワク感いっぱいの春はもうすぐそこに来ているのだろう.
しかし、私にとっての生まれ故郷である西陣を捨てざるを得なかったのは、紛れもなく戦争の被害です。そしてまた、先祖の故郷である北桑で暮らせたのも、その結果であることは事実です。ただ、何ら生産手段を持たなかった疎開者の我が家は、結局は生きるために、本来の故郷をまた出立せざるを得ませんでした。
私にとっての故郷は何処なのか。それぞれの時を過ごした4個所のいずれもが、私にとっては大切な場所です。
しかし、その中でも小学校から中学校の少年時代を過ごした北桑が、やはり最も忘れられない故郷として、私の心に深く存在しています。私はその頃のことを随筆として書いているのですが、故郷の歴史や風習などを学術的に研究している訳ではありません。私は自分の出来る範囲で、極めて非学術的な情緒的方法で書き残しているに過ぎません。それだけに、今、mfujinoさんが取り掛かろうとしておられる営為に、余計に興味が湧く次第です。自分の生まれた故郷へ帰り、かつては視野から埋もれていた事象を掘り起こす。これは、自分の故郷を大切に思わないと出来ない行為と考えます。どうかこれからも、古くて新しい、そして楽しい話を沢山聞かせて下さい。大いに期待しています。
「ふるさと」 井上 靖
〝ふるさと〟という言葉は好きだ。古里、故里、故郷、どれもいい。外国でも〝ふるさと〟という言葉は例外なく美しいと聞いている。
そう言えば、ドイツ語のハイマートなどは、何となくドイツ的なものをいっぱい着けている言葉のような気がする。漢字の辞典の援(たす)けを借りると、故園、故丘、故山、故里、郷邑(きょうゆう)、郷関(きょうかん)、郷園(きょうえん)、郷井(きょうせい)、郷陌(きょうは)、郷閭(きょうりょ)、郷里、たくさん出てくる。故園は軽やかで、颯々と風が渡り、郷関は重く、憂愁の薄暮が垂れこめているが、どちらもいい。しかし、私の最も好きなのは、論語にある〝父母国〟という呼び方で、わが日本に於ても、これに勝るものはなさそうだ。
〝ふるさと〟はまことに、〝ちちははのくに〟なのである。ああ、ふるさとの山河よ、ちちははの国の雲よ、風よ、陽よ。
私は故郷の歴史や風習を学術的に研究などというおおそれた考えはありません.興味をいだいたものを手当たりばったり食べてみたいという生来の「だぼはぜ」根性、というか貧乏根性とでもいいますか、そんなモチベーションでこのブログを書いています( ^_')
例えば、今日はパスポートの期限が切れていたので新たに申請しに亀岡へ行きましたが、そのついでにかねてこのブログに書いたことのある桑田神社と鍬山神社を覗いてみたいと足を延ばしました、というより悪天のため次の機会の為アクセスを確認しに行ったというのが正直なところですが.これらの神社は「丹波」を知るときにやはり訪れておきたいと考えていた為です.桑田神社に立ち保津川入口の川向かいの請田神社を、そして北方向の亀岡盆地を望むと様々な伝承を読む楽しみが増します.その時体験したことをブログに書くことで同じような興味を持っていただける人も何人かあるだろうというところです.ただその経験を書くとき、その背景などもきちんと書きたい、という思いがあるため直ぐには書けませんが(*_*)既に知っている事を発表するのでなく、知る過程を書いていると位置付けていますので、調べ物に時間が掛かると次のメッセージまで時間がかかります.
とまあ、この様なペースで、好奇心で、「晩年」( ^_')bを楽しく過ごしたいと思っています.
それにしても、道草様の文章はなんとすらすら読めるのでしょう.淀みなく心に染みいります.自分の思いを書くのはこんなに難しいのかと感じていますが、道草さんからその心や技を盗ませていただきたいと思っております(^.^)素晴らしい師匠にお遇いできた幸せをかみしめてます.
※2月7日の記事にコメントいただいた方もお名前をコメントに追加してお教えいただければ嬉しいのですが、、
おめでとうございます!
京北・山国の歴史を楽しませて頂ける大切なブログです。
今後とも益々のご活躍をお願いいたします。
今年の暖かさは異常ですが、やがて里には春の気配を感じることになるでしょうし、巡って来る四季には変わりないと信じています。
また、シーズンになればお会いする事も多くなると思いますが、よろしくお願いします。
最近はふらっと美山でお遇いするのが少なくなりましたね.
小生は最近なにかと時間をとられてなかなか勉強がすすみません.断片的にはいろいろ資料を集めているのですが、どうもまとまった事ができなくて少々苛々しています.まあマイペースで行きます.
それにしても今日のこの陽気はどうなってるんでしょう?春がそこまで来ているという感じではありませんか?友人が軽トラックのタイヤを履き替えました.「お前ももうスタッドレスはもったいないから換えろよ」と言いますが、僕は「いやいや3月になると雪が降るよ」とかたくなにスタッドレスを履いています.
アユ でした
昨日の深夜にスイス行きチケットの予約完了.Air France にしました.あとはこのなまった体を鍛えておかないと、、、
小生も最近何かと忙しく、また来月からは更に忙しくなりそうです(*_*)