昨日は「水俣」を子どもたちに伝えるネットワークの出前授業で市内のN中学校へ。
前半は体育館で田嶋いづみさんの講演。
屋根を叩く大雨に声がききとれるか心配だったけれど、3年生の生徒たちは静かに聴いていた。田嶋さんは「水俣病の4つの学び」を語りかける。50年以上前に発見されたけれど、国の責任が裁判で認められたのはごく最近であること、今年7月に「水俣病救済法」ができたけれど、患者は誰も喜ばなかったこと…。
胎児性患者の上村智子さんを“宝子”と呼んだエピソードで「親は子どもの病気を代わりたいと願っても、親の病気を子どもに代わってほしいと思う親はいない!それなのに水俣病では…」という言葉が妙に響いた。
後半は4クラスに分かれて、私は患者で「水俣病・東海の会」の原武さんと1組へ。
原武さんは水俣病に対する差別に苦しみ、恐れ、名古屋に移り住んでからも、水俣出身であることを隠し、九州出身の人がいると近づかないようにしていたという。
お母さんの認定をめぐって表に立つ決心をしたが、心配した子どもたちも理解してくれたし、新聞に名前や顔が出たことで知らない人から励まされることも多かったそうだ。水俣病になったことで「家族の繋がりはむしろ深まった」ときっぱり。100歳になるお母さんへの思いが印象的だった。
でも、原武さんのように患者であることをカミングアウトしている人はとても少なく、今でも取材が入ると写真を拒む人がいるそうだ。水銀による健康被害だけでなく、周囲からの偏見や差別による心の傷の深さはいかばかりかと思う。
震える手を握ったり開いたりしながら、言葉をつむぐ原武さんに、生徒たちは質問こそ少なかったけれど、みんな真剣に前を見つめて聞いていて、寝たりよそ見したりする子はいなかった。
私は、水俣にとってのチッソは、浜松にとってのスズキ・ヤマハ・ホンダを合わせたぐらいの影響力があるんだよ、とか、もし自分がチッソ側の人間だったらどうするだろうかと思うことを話した。
水俣は写真では白黒の重たい雰囲気だけれど、現地は海と山に囲まれて、カラフルで豊かで美味しい所で、今は環境自治体として日本でも有数のゴミ分類やエコツーリズムなどに取り組んでいること。
水俣病の問題の重さにため息をつく以上に、患者さんの勇気や優しさ、敢えて移り住んだ人たちの挑戦など、水俣の人たちのパワーにいつも励まされていること。
水俣に学ぶことがいっぱいある。それを伝えたくて99年の浜松・水俣展をやったし、昨年は愛媛から学生と一緒に訪問した、と話した。
15歳の多感な彼らが水俣に何を思うのか、もっとやりとりしたかったが、私の進行がまずくて引き出せず。原武さんというスペシャルゲストを生かしきれなかったし、自分の言いたいことも事前にきちんと言葉を選んで整理すべきだったし、とりとめなく話しすぎ~。
今週は「反省」が多い…つくづく自分の「しゃべくり」は下手だと自覚せざるを得ない。
田嶋さんには「出前活動は「上手く」あってはいけないのではないか。被害者の痛みを「上手く」伝えられるわけがないし、自分自身が途上の人間として「上手く」生きているわけがない。だからこそ、誠実に子どもたちに対面したい」という言葉をいただいて、ちょっぴりホッとしたけれど、次はもう少し「対話」できるようになりたい。
写真は廊下に掲げられていたスローガン(笑)。
池谷夫妻には大変お世話になりました!
前半は体育館で田嶋いづみさんの講演。
屋根を叩く大雨に声がききとれるか心配だったけれど、3年生の生徒たちは静かに聴いていた。田嶋さんは「水俣病の4つの学び」を語りかける。50年以上前に発見されたけれど、国の責任が裁判で認められたのはごく最近であること、今年7月に「水俣病救済法」ができたけれど、患者は誰も喜ばなかったこと…。
胎児性患者の上村智子さんを“宝子”と呼んだエピソードで「親は子どもの病気を代わりたいと願っても、親の病気を子どもに代わってほしいと思う親はいない!それなのに水俣病では…」という言葉が妙に響いた。
後半は4クラスに分かれて、私は患者で「水俣病・東海の会」の原武さんと1組へ。
原武さんは水俣病に対する差別に苦しみ、恐れ、名古屋に移り住んでからも、水俣出身であることを隠し、九州出身の人がいると近づかないようにしていたという。
お母さんの認定をめぐって表に立つ決心をしたが、心配した子どもたちも理解してくれたし、新聞に名前や顔が出たことで知らない人から励まされることも多かったそうだ。水俣病になったことで「家族の繋がりはむしろ深まった」ときっぱり。100歳になるお母さんへの思いが印象的だった。
でも、原武さんのように患者であることをカミングアウトしている人はとても少なく、今でも取材が入ると写真を拒む人がいるそうだ。水銀による健康被害だけでなく、周囲からの偏見や差別による心の傷の深さはいかばかりかと思う。
震える手を握ったり開いたりしながら、言葉をつむぐ原武さんに、生徒たちは質問こそ少なかったけれど、みんな真剣に前を見つめて聞いていて、寝たりよそ見したりする子はいなかった。
私は、水俣にとってのチッソは、浜松にとってのスズキ・ヤマハ・ホンダを合わせたぐらいの影響力があるんだよ、とか、もし自分がチッソ側の人間だったらどうするだろうかと思うことを話した。
水俣は写真では白黒の重たい雰囲気だけれど、現地は海と山に囲まれて、カラフルで豊かで美味しい所で、今は環境自治体として日本でも有数のゴミ分類やエコツーリズムなどに取り組んでいること。
水俣病の問題の重さにため息をつく以上に、患者さんの勇気や優しさ、敢えて移り住んだ人たちの挑戦など、水俣の人たちのパワーにいつも励まされていること。
水俣に学ぶことがいっぱいある。それを伝えたくて99年の浜松・水俣展をやったし、昨年は愛媛から学生と一緒に訪問した、と話した。
15歳の多感な彼らが水俣に何を思うのか、もっとやりとりしたかったが、私の進行がまずくて引き出せず。原武さんというスペシャルゲストを生かしきれなかったし、自分の言いたいことも事前にきちんと言葉を選んで整理すべきだったし、とりとめなく話しすぎ~。
今週は「反省」が多い…つくづく自分の「しゃべくり」は下手だと自覚せざるを得ない。
田嶋さんには「出前活動は「上手く」あってはいけないのではないか。被害者の痛みを「上手く」伝えられるわけがないし、自分自身が途上の人間として「上手く」生きているわけがない。だからこそ、誠実に子どもたちに対面したい」という言葉をいただいて、ちょっぴりホッとしたけれど、次はもう少し「対話」できるようになりたい。
写真は廊下に掲げられていたスローガン(笑)。
池谷夫妻には大変お世話になりました!