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クライシスレスポンスから学ぶもの

2014年02月20日 | 災害防止

平成23年3月11日、大地震と大津波により関東から東北地方にかけて大きな災害をもたらしました。

また、その後の対応が不適切であったことから、福島県の原子力発電所では水素爆発事故により日本全土に放射能が降り注がれました。これによって現在も残念ながら一部地域では帰宅困難な状況が当初の予想通り続いております。

3.11の教訓を日本中の人が自分の事に感じ、それに備えたはずでした。

関東では災害時の“公助”の遅れを想定して“自助”と“協助”を勧め、3日程度の備蓄基準を改め、7日間程度としました。

道路規制も環状七号線、環状八号線等の進入規制について明確化され、各自治体においてもクライシスレスポンスについて整備し、住民には災害マップ等も配布できる準備を整えました。

あれから間もなく3年を迎えるにあたって、我々は何を学んだのでしょうか。

幾度か話題に触れたかも知れませんが、そこで事件事故災害等が発生した時は、110番、119番通報することも必要でしょうが、同時に多発した場合は“自分の命は自ら守る”そのことを自覚する必要があるのではないでしょうか。

その力がないから考えることが求められます。

つまり、現在発生したことについてどう対処するかの良し悪しを想定するのではなく、これから先に起こることについて“今想定”することが無駄でなく、それこそが最善なのではないでしょうか。

2月14日は西日本から東日本にかけて南岸低気圧が猛威をふるい、交通機関から人の生命暮らしまで影響をもたらしました。

多くの方が雪で亡くなられました。

関東は豪雪地帯とは違うという人がいます。

運が悪かったという人もいます。

天を仰いで良い方向を何の根拠もなく期待する人もいます。

一人一人を悪く言っているのではありません。

2月14日はバレンタインデーでした。詳細は割愛しますが、キリスト教司祭だったウァレンティヌス(バレンタイン)は秘密に兵士を結婚させた結果、捕らえられ、処刑されたそうです。

兵士の士気が下がることから結婚は禁止されていたとのことです。

何かを進めるために自分の命と引き換えにしたことが、今回の教訓と被ります。

 

今回の自然災害について誰かが気付かせることが大事だったのではないでしょうか。

確かに必要以外は出かけないでほしいと言っていたのは記憶にあります。

でも外に出る用事がある場合、すべて必要な事として認識されているのです。

関東の都心付近では“雪”でも人命に影響が及ぶとかについて政府から民放各局で対処して欲しかったと感じます。

これが話題になり始めたのは、残念なことに月曜日になってからでした。

3.11は何の教訓だったのでしょうか。

今回のような雪ではなく、例えば大地震に置き換えたら、崩れ落ちた建物、道路の損壊、崩落による起伏や通行不能な状況として考えたら混乱はもっと甚大なことになります。これらを過去に想定しているのですが、いつ起こるかわからない事案に対しての対処対策は進んでいないという現実。

今回の何十年に一度の大雪は、前向きに考えれば再度我々が忘れかけていることに対して、自然が大きな警鐘を鳴らしているのではないかと私なりに考えさせられました。

ただ、そうした中でも一部企業が最善を尽くされていることが話題になっていたのは、明るいニュースとして喜ばしかった。

高速道路が立ち往生していた時に、ドライバーの判断でトラックに積載されていた“パン”を配布したとのニュースは心を揺さぶられました。

判断したドライバーも立派でしたが、会社が許可をしたうえでの行動だったようで、つまり、災害等の場合は積極的に積荷であるパンを分け与えなさいとということがマニュアル化されていたのでしょう。

この一件で“山崎パン”の売り上げは伸びることは間違いありません。

一部ネット情報によると、いまどき自社で“白ナンバー”で自社製品をみずから配達する企業は珍しいそうです。

また、経費も膨らむのでそうした配送方法はしないとのことでした。経営の精神は儲け主体よりも、“安心した製品を安全に”自らの社員が店舗に届ける精神があったのだろうと思います。

食べた方は冷めているパンであっても、さぞ暖かさを感じたのではないでしょうか。

こういう企業を中心に“社会貢献”にその他企業も目覚めて欲しいと感じます。

日本の自治体、企業もここに来て、二極化していることについても知らされることになったのは残念でした。

災害対策本部はなぜ早急に作られなかったのか、積極的に他県に行って状況を確認した知事、前記のような“お客様”という言葉が本物である企業・・・。

それにしても日本のクライシスレスポンスは日本の中心地、東京都心であってもどうであったかは忘れてはならないと思います。

 



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