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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

コミュニケーションの〈射程〉 その③

2008-07-06 22:37:52 | 不定期コラム
例えば、近所の道を歩いていてどれだけの人に声をかけられるだろうか。
僕は数年前に生まれ育った地域から引っ越ししたために、近所に知り合いはほとんどいない。
そのために、声を掛け合う相手なんて皆無に等しい。
だが、引っ越ししていなかったとて、それほどその数は変わらない。
中間距離にいるはずの地域の人々とのやりとりは、驚くほど希薄になっている。

教育や防犯などの側面で、地域の繋がりが希薄であるということは、もう今さら言うまでもない。
その原因はライフスタイルの変化や住居の移動が容易になったことなど、様々だろう。
だが、その一つにコミュニケーションの〈射程〉が関係しているように思えるのだ。
そのことは、よく言われる地域の団結力が低下していたり、
地域の教育力(怖い近所のおじさんが、モラルのない小学生をどなりつけることはない)が低下していたりすることと無関係ではない。

ケータイの電話番号に何百件という電話番号やアドレスが記録されているにも関わらず、本当に親しいのはごくわずかだ、というのがほとんどの人に共通することである。
親しい人と、そうでない遠距離の〈射程〉にいる人との格差は開く一方だろう。

今のコミュニケーション・ツールは驚くほど遠距離だ。
むしろ不自然なくらいで、不必要なくらい遠距離だと言える。
遠距離でありながら、そのコミュニケーション・ツールは距離以上にその人との時間までアジャストさせてしまう。
あるいは、遠距離にいながら、相手を眼前にいるように自分の時間へと引きずり込む、強制力を持っている。
なんと暴力的なコミュニケーションの方法だろう。

そして、それは原則的に、一方向的なものだ。
インターネットが双方向だと言われているが、本当にそうかといえばそうではない。
このコラムも含めて、ほとんどが一方向の「たれながし」にすぎない。
ただ自分の言いたいことを言っているだけだ。

確かに最初の原因は、ライフスタイルの変化だったのだろう。
だが、今ではその流れに拍車をかけるようにコミュニケーションの方法そのものが二極化の一途を辿っている。

それは、コミュニケーションの〈射程〉をどんどん二極化し、人間関係も二極化しているのだ。
疎遠な人間とはほとんど口も聞かず、仲の良い人間とは地球の裏側でも随時やりとりすることができる。
それはどこかの英会話スクールの「英語を話せると10億と話せる」というようなキャッチコピーに似ている。
つまり、世界中の誰にでも話せるツールがありながら、実は自分の「世界」以外にはコミュニケートしないという逆説なのだ。
コミュニケーションの〈射程〉がのびるということは、必ずしも多くの人とやりとりするということとイコールではない。
ちょうど、僕たちが移動力をつけ、周りを見渡せる大人になればなるほど、幼なじみとの縁が希薄になっていくように。

コミットしたい相手とのみコミットして、そうでない相手はほとんど自分の「世界」にはいない。
欲しい情報のみをどんどん蓄積し、要らない情報は完全にシャットアウトする。

だが、それがいけないのだと一蹴することはもはやできないし、する意味はない。
その流れを止めることは誰にもできないのだ。
梅田望夫が「この10年から20年の間に大きく世界は変化する」といっているのは、まさにその流れなのだ。
そして、その流れというのは、〈断片化〉というキーワードによって、さらに掘り下げることができるだろう。
それについては次の機会に考えようと思う。

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