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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

ポセイドン

2009-06-14 11:54:12 | 映画(は)
評価点:62点/2006年/アメリカ

監督:ウォルフガング・ペーターゼン

素直な者は救われる。

クリスマスを豪華客船で祝おうと、多くの乗客を乗せて「ポセイドン」はロンドンを出発した。
ポセイドンでは、リゾートホテル顔負けのプールがあり、カジノがあり、それぞれが新年のカウントダウンに向けて最高潮に達していた。
カウントダウンが終わった直後、とつぜん巨大波が音もなくポセイドンに直撃、その影響により、ポセイドンは真っ逆さまになってしまった。
いち早く異常を察したディラン(ジョシュ・ルーカス)は、船長を留めるのも聞かずにホールから脱出することを決意する。
その姿をみたラムジー(カート・ラッセル)らも、彼に同調し、スクリューのシャフトから脱出することを試みる。

言わずもがな。
名作「ポセイドン・アドベンチャー」のリメイク作品。
リメイク = もう一度作り直すこと の名の通り、ほとんどの結構はオリジナル作品を継承している。
よって、純粋に単体で楽しむこともできれば、オリジナルが現代によみがえったという感覚で楽しむこともできる。
そういう意味では間口の広い作品になっている。
あまり肩肘をはらずに見に行くのが良さそうだ。

すくなくとも、オリジナルを知る人は大きな期待は禁物である事は、頭のかたすみに置いておいた方が良いだろう。
 
▼以下はネタバレあり▼

ほとんどの結構は同じである。
(ここでの「結構」とはプロットのことである)
ただ違う点は、主要となる登場人物と、映像技術の進歩による映像の迫力、そしてエンターテイメント性に特化した映画の方向性である。

オリジナルの「ポセイドン・アドベンチャー」について、どのようなイメージがあるだろうか。
僕は即座に思い出すのは、牧師がバルブを閉めるシーンである。
そして、心臓発作を起こす老夫婦の姿である。
そのようなシーンから、僕にとっての「ポセイドン」は、心を引き裂かれるような生死のドラマ、である。

その意味で、リメイクの「ポセイドン」は、非常に「軽い」映画になっている。
もう少し言えば、「手軽な」映画になっている。
その方向性が正しいかはそれぞれが判断するべきだ。
少なくとも、目指しているポイントそのものが、オリジナルとは違うことは、確認しておかなければ、この映画を〈切る〉ことはできないだろう。
オリジナルの「呪縛」を背負ったままでは、リメイクを撮った者たちがあまりに不利だからだ。

この映画を見終わった印象は、「楽しい」ということ。
そしてどこかで見たことがあるノリだな、ということだ。

強いて言うなら、ディザスター映画の「ボルケーノ」に共通した趣を見いだす。
典型的なエンターテイメント・パニック映画である。
さらに、「スクリーム」や「ラストサマー」にも似通った印象がある。
共に共通するのは、描かれているのは人物の「人間性」ではなく「キャラクター性」ということであり、追究したのは「エンターテイメント性」ということである。

98分という短い時間の中で、「ポセイドン」は極めてスムーズに展開する。
大きな船のアングル。
そこから人物へのフォーカス。
大波による転覆。
脱出を決意する人々が集まり船底を目指す…。
極めてスムーズに、そして滞りなく展開する。
そこに人間くさい利害や裏切り、利己的な行動、人間愛、後悔や猜疑心といった「迷い」はない。
始まると一気に結末までジェットコースターのように進んでいく。

登場人物達は極めて素直で純粋である。
ギャンブラー、母子、元消防士とその娘、その恋人、設計士など、職業は様々で年齢層も様々でも、彼らの共通した「船底から脱出する」という目的は揺るがない。
どれだけ困難にぶちあたっても、彼らは迷わないし、生きることに絶望しない。
たくさんの死体を見ても、ほとんど動揺なしに船底(最上階)を目指す。
利害によって裏切ることもないし、火事場泥棒に走る人間もいない。
「俺は大丈夫だぜ~」というように喜んでホールに残る人間もない。
脱出組は確信している。
「必ず助かる」
子供も不安を口にすることがない。
あれだけのグロい死体を目にしながらも!

これを自然だと思えるかどうかは、映画を観た時の直感でしか語れないだろう。
僕はそれほど違和感を持たなかった。
ただ、ハラハラドキドキを楽しみたいなら、それほど苦にはならないだろう。
なぜなら僕も確信しているからだ。
「彼らの何人かは必ず助かる」ということを。

それでもギャンブラーのディランの変貌振りには驚かされる。
「俺は一人の方がいい」といいながら、終盤では「おまえらは先に行け」と母子を命がけで助けに行く。
おいおい、どこでそんなにチームワーク重視の人間になったのだ?

序盤の設計士の心理も読めない。
先に行って下さいと言ってくれたクルーを足蹴にして殺したにもかかわらず、それを引きずることは一切ない。
後半以降に彼をけ落としたことに対して、悔恨を述べるシーンがあれば、まだヴァレンタインも救われただろうに。

とにかく、あれだけの極限状態の人間にしては素直すぎる。
素直であれば生き残れるということを訴えたかったのかと思えるくらいだ。
すべてのシーンは、登場人物たちに巧みに試練をあたえ、適度にドキドキさせるために、用意されたようにさえ思えてしまう。
その甲斐あって、確かにハラハラドキドキは尽きない。
けれど、見終わって何が残るのか。
「ああ楽しかった」で終わり、1年後に「ああそんな映画も観たな」程度に思い出すのだろう。
オリジナルとの完成度の差は、歴然である。

(2006/6/20執筆)

ああ、こんな映画もあったなあ。

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