secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

セルラー(V)

2009-05-22 08:08:00 | 映画(さ)
評価点:75点/2005年/アメリカ

監督:デイヴィッド・R・エリス

ケータイのプロモーション映画。

生物の教師をしているジェシカ(キム・ベイシンガー)は、息子を学校に送り届けると、いきなり男たちが家に押し入り、誘拐されてしまう。
意味もわからずどこかの家の屋根裏に監禁されて、夫はどこへ行ったのか、と脅される。
隙を見て、壊れた電話を適当に操作していると、見知らぬ若者へ電話がつながった。
ライアン(クリス・エバンス)は、いたずらかと思っていたが、男の声が聞こえ、誘拐が本当であることを知り、彼女の行方を捜し始めるが…。

あまり話題作ではなかったにもかかわらず、全米興行成績4週連続トップ10入りというヒットを記録した作品。
有名どころといえば、主人公のキム・ベイシンガーと、ジェイソン・ステイサムくらいだが、巧みな脚本で公開から人気が出た映画だ。

日本ではあまり話題にならなかったようだが、僕は密かに見に行きたかった。
結局見に行けなかったので、今回はヴィデオで見ることになった。
それほどの衝撃作でもないが、手軽に、安定して楽しめるレベルには十分ある。

気になっているなら、見ても損はないはずだ。
 
▼以下はネタバレあり▼

この映画の肝は、なんといってもテンポだ。
テンポ良く、無理なくスムーズに進むから、大きな見せ場が無くても、見ていて飽きない。
ケータイ電話という日常性も手伝って、少しでも主人公が危機に陥ると、それだけでわくわくさせられる。
すんなり感情移入できる人物を、事件の当事者に選んだことは、正解だった。

そしてなにより、事件解決と真相解明が同時に訪れていくのが非常にうまい。
真相自体は、ハリウッドではお決まりの展開だが、その全貌がわかるまでは、中盤以降までかかる。
だから、主人公のライアンは、真相を追いながら、誘拐されている監禁の場所まで行かなければならない状況になっている。
なぜ誘拐されたのか。
誰が誘拐したのか(どこに誘拐されたのか)。
原因と結果を両方追うことになり、それが同時的に解決されることによって、カタルシスが倍増し、爽快感を得ることができる仕組みなのだ。

ありきたりな真相も、巧みに描けば良作になることの典型例だ。

さて、この映画、真相は警察官の汚職事件を目撃してしまった夫が、ねらわれていた、という真相だった。
この真相は、アメリカが大好きな 権力 対 弱者 という構図であることがおわかりになっただろうか。

何も持たない若者に対して、権力を振りかざす警察官という対立で、弱者が権力者に対してやっつける、という戦いなのである。
よく刑事が善で、悪が政治家などという対立があるが、この場合、政治家が権力者で、市民により近い人間が刑事となっているわけである。

若者対刑事という対立の一方で、敏腕刑事対引退間際の刑事、という対立もある。
これも同様に、権力やお金儲けをしている人間にろくな奴はいない、というアメリカの大衆哲学が反映したものと言える。
若者に車を盗まれるのも、敏腕弁護士だしね。

悪徳警官と対峙する若者も、女の子を必死で口説こうとしている一方で、豆に携帯電話の充電器の料金を支払っているなどという、ちょっとあり得ない誠実な青年。(う~ん、ちょっとやりすぎだ。)

その象徴物として、「ケータイ電話」がある。
実は、この映画、ケータイ電話の魅力が満載の映画になっている。
プロモーションをしたいのかな、と思わせるほど、ケータイの機能を紹介してくれる。
冒頭の動画録画、ハンドフリーのコード、着信履歴保存など、目白押しである。
しかも、ケータイの画面がすべてハメコミ画像だという点が、かなりあざとい。

そこまでしてアピールしたいのか、という感じだ。
もちろん、ケータイによる負の側面は一切無い。
ケータイを掛け続けなければならないという「足かせ」はあるものの、ケータイ電話をかけていて交通事故を起こすこともないし、マナー違反で迷惑をかけることもない。
それどころか、青年はミュート機能まで持ち出して、相手に悟られないように配慮するほどのきまじめさだ。
なんて都合の良い展開なのだ。
ここまでケータイの機能と魅力を追求した映画が、かつてあっただろうか。

若者にケータイを持たせないと映画にならなかったが、そこまでやらなくても、という徹底ぶりだ。

そのケータイが壊れるタイミングもばっちりだ。
交換条件となるビデオカメラが手にはいると当時に、ケータイが壊れてしまう。
まさに、計算されたタイミング!

誘拐されている息子に話すジェシカが、あまりにもちんたらしているので、本当におまえ、さっき敵を殺したのかよ、というような、ちょっとした所作が気になったりする場面もある。
しかし、全体としては丁寧に仕上がっていて、安心して楽しめる映画になっている。

変わったアイデアよりも、緻密な計算によって成功した良い例だろう。

(2006/2/18執筆)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« スイミング・プール(V) | トップ | レナードの朝(V) »

コメントを投稿

映画(さ)」カテゴリの最新記事