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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

アース

2008-03-23 09:26:39 | 映画(あ)
評価点:60点/2007年/ドイツ・イギリス映画

監督:アラステア・フォザーギル、マーク・リンフィールド

映画であることに意味がある作品。

現在の地球をありのままに映し出しす。
……というのが、この映画のストーリー(?)だろう。
のべ何万時間という撮影期間を経て、映画化したという作品だ。
価値判断はみてからでないとできないはずだ。
これがぼったくりの「駄作」なのか、奇跡の「名作」なのか、それは個々人で感じればいいだろう。

とにかく百聞は一見しかず。

ただ、注意点は、睡眠不足で見に行く映画としては適していない。
十分に映画館に入る前に睡眠をとっておこう。

▼以下はネタバレあり▼

これが映画であるのかどうかを、やはり問う必要がある。
ドキュメンタリー映画というものが成立するため、これも一種のドキュメンタリーといえなくもない。
だが、これを映画としたとしても、これを映画として見せる必要があるのか、という問いもまた、考えるべき議題ではないだろうか。

映像は確かにきれいだ。
CGがこれだけ発達した時代において、現実をありのままに撮し取った映像は、CGではないかと疑いたくなる。
あまりに均衡のとれた自然の姿は、何もなくてもそれだけで美しいのだと、改めて実感させられる。
地球温暖化を訴えるための映画、という枠組みを取り払っても、やはり評価に値する出来だ。

そして動物たちとの距離が非常に近いことも驚かされる。
雪をかく音や、滑り落ちる音、これまで聞いたこともなかったような鳴き声。
映像だけでなく、音までもが聞こえる距離というのは、かつてなかったような感動を与えてくれる。
その音響体験というのは、CFなどで流れる予告編では味わえない感動がある。

僕が思うに、この「映画」は映画というメディアであることに価値があるのだと思う。
見る人が見れば、きっと「テレビの二時間特番で十分」と思うだろう。
そうかもしれない。
これまで多くのテレビで同工異曲の映像作品は生み出されてきた。
この映画がそれらすべてを超えるような感動を与えてくれるか、といわれると疑問を持たざるを得ない。
しかし、それでもこの「映画」は映画として世に送り出すことで、「地球は一本の映画に値する美しさを持っているのだ」ということを、最大限に訴えかけている。
映画であるが故にこの作品は、価値が生まれる。
映画を見るために使う時間と労力、そしてお金。
その手間と暇を観る者にかけさせることで、地球についてもっと深く真剣に議論と葛藤を起こしてほしい。
そういうメッセージ性が込められているのだと思う。

地球をテレビ番組で放映されたものを観るという「消費」としての対象ではなく、しっかりと心に焼き付けてほしいということなのだ。

ただ、がっかりしたのは、地球温暖化をストレートに訴えすぎだったことだ。
環境保護を広げるためのキャンペーンとしては確かにおもしろいが、それだけに終始している嫌いがある。
これではあまりにお説教くさい。
そんなにストレートに訴えなくても、きっと観る側は何かを持って帰るだろう。
それくらいの出来の映像だったはずだ。
にもかかわらず、それを懇切丁寧に訴えてしまうと、地球保護や温暖化の問題を訴えるためだけの「方法論としての自然美」のような、印象を受けてしまう。
僕は、避けたかったはずの、テレビの特番で放映することによる「消費」と同じように、逆にやりすぎのナレーションによって、自然美が「消費」されてしまうことをおそれる。

この映画は、子どもたちに是非みてほしい映画ということで、1000円という破格の金額のキャンペーンをしていた。
そのために、多くの子どもが観客席を埋めていた(座席は全体で六割程度埋まっていた。最近の映画にしては多い方だろう)。
子どもたちがいる映画館ほど憂鬱ものはない。
しょうもうないシーンでいたずらにリアクションされれることで、僕の貴重な映画鑑賞の時間を壊されるかもしれないと思うと、気が重くなる、と思いながらオープニングを迎えた。

が、よく教育されていたのか、全然不用意なリアクションがなかった。
「うん、さすが教養映画だ。馬鹿な観客はいない」と安心してエンドロールを迎えると、爆睡している子どもたちが、そこかしこに見受けられた。
「そら、無理もないわな」と思って映画館を後にした。

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