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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

アウトレイジ(V)

2012-10-15 22:22:43 | 映画(あ)
評価点:73点/2010年/日本/108分

監督・脚本・編集:北野武

他人事とは思えない説得力。

山王会グループの一派である池元組は、麻薬を売りさばくことで力をつけてきた村瀬組と兄弟杯をかわした。
そのことを知った会長の関内(北村総一朗)は、池元に縁を切れと迫る。
いざこざがあるように見えればよいと考えた池元は、秘密裏に村瀬が仕切るキャバクラに部下を行かせ、案の定60万円の金額を請求される。
客引きが池元組の男だと気づいたときには、すでに事態は悪化し、村瀬から指をもってわびに行けといわれる。
しかし、池元組の大友(北野武)は、そのわびを突き帰し、全面戦争の様相をおびてくる……。

北野武監督のやくざ映画である。
錚々たるメンバーが集合した渾身の作品となっている。
もちろん、「ビヨンド」が公開されるのにあわせて、レンタルしたのだ。
あまり興味もなかったのだが、そろそろ見ておくべきかな、というタイミングだったので見てみた。

かなり眠い状態で見始めたにもかかわらず、結局一気に見終わってしまった。
この映画には何かがある。
単なるやくざ映画として楽しむのはもちろん結構だが、それ以上に何かが潜んでいる、そう思ったほうがよさそうだ。
まだ見ていない人は、是非どうぞ。
そして、見終わって久しい人は、おさらいのために読んでみてください。

▼以下はネタバレあり▼

なんで今更やくざ映画?
その疑問は誰しも持つだろう。
単なるノスタルジックな懐古主義なら、きっと駄作に終わるだろうし、商業主義なら「北野武」の名前が廃るというものだ。
○田伸介が暴力団とのつながりで芸能界引退に追い込まれたのは記憶に新しい。
もちろん、時期はこの映画のほうが古いから、もしかしたらあの事件がこの映画公開よりも前に起こっていれば公開さえ危ぶまれたかもしれない。
それはともかく、やくざが「かっこいい」とメディアでいえる時代は過ぎ去った。
ではなぜこの映画を北野作品として公開しようと考えたのだろうか。
それはこの映画のテーマと密接に関わっているような気がして仕方がない。

この映画が他のチープなやくざ映画とは違うところは、画面の力だろう。
特に冒頭のほとんど台詞もないやくざたちのやり取りは、役者のネームバリュー以上に「魅せる」画力がずば抜けている。
冒頭、タイトルが現れるまで、「人物」が登場しない。
登場人物の名前と顔が一致するような人物が登場しないため、何が起こるのか、全く見えない。
異常な緊張感、異常な日常がそこには描かれている。
何が起こるかわからない、何が起こっても不思議ではない、何もかもが起こり得る日常。
この冒頭が、この映画のすべてではないか、という気さえする。

この映画には、感情移入しやすいような「主人公」なる人物はほとんどいない。
北野武自身にフォーカスされていることは間違いないが、それでも彼が視点人物になるような描かれ方はしない。
この映画は全員が主人公であり、ある種の群像劇になっている。
もっと言えば、主人公はやくざの抗争そのものなのだ。

「OUTRAGE」とは、裏切りに対する憤怒、という意味らしい。
この映画はそのタイトルどおり、裏切りと報復に満ちている。
そしてそのほとんどが死に絶えてしまう。
生き残った彼らが、死んでいった彼らとどう違うのだろうか。
刑事の片岡(小日向文世)にしても、新会長になった加藤(三浦友和)にしても、石原(加瀬亮)にしても、彼らが死んでいった組員と飛びぬけて悪だったとか、賢明だったとかいうことはないだろう。
あるとすれば、ただ「抗争に直接巻き込まれなかった」ということではないだろうか。
巻き込まれないように立ち回ったことは間違いないが、それは彼らがただそういう位置にいただけであって、他のより特別な力があったとは思えない。
そう、先にも述べたように、この映画は「トレインスポッティング」のような特出する主人公はいないのだ。

だから、先が読めないし、容赦がない。
どうしても残酷描写が目に付くのだが、それだって「見せ場を作る」以外にも意図がある。

この映画がおもしろいのは、この映画が現代日本の縮図であるからだ。
喰う者と喰われる者。
より強力な人間が、より弱いものから搾取する。
その構図はやくざであるからこそ、描きやすい。
しかし、現代日本(だけでもないけれども)はまさにそういう構造によって成り立っている。
使われ続けて、やがて不要になれば殺される。
互いに良い話をふっかけて、抗争させて、そして最後は殺される。
組織や強者に喰いものにされていく様子そのものだ。

これまでも数多くのやくざ映画が撮られてきた。
その多くは、そうした日本の現代社会に潜む「弱肉強食」の様相を揶揄していた。
今、もう一度その様子を描こうとするのは、やくざの世界が社会全体に広がりつつあるからだろう。

何かあれば、必ず「お金」に変換することが好きになった。
工場見学や経済についてのテレビ番組が安易に横行し、文化や伝統も「金」になるかどうかが一つの価値判断となった。
今までもそうだったのかもしれない。
けれども、ここ10年で日本の経済が行き詰まり感じ始めてから、さらにその傾向は強くなっている。
喰われているのは、最新スマートフォンに群がる僕たちだし、新しいお菓子に手を伸ばす高校生だ。
消費社会では、もっとも持たないものが、もっとも持つ者から知らぬ間に搾取されている。
労働力と、少しばかりの財産を。
しかし、自分が喰われ続けることに気づいた観客は、拳銃を取り出すこともできない。

やくざの殺害手口は残酷極まりないが、それを全く気づかない間に自分にも同じことをされているかもしれない、その恐怖のほうが僕は怖い。

なんども書くが、この映画に登場する人物の内面はほとんど描かれていない。
個別といえるほどの個性を抱えた人間はいない。
ただ、私利私欲にむき出しのサバイバルゲームに放り込まれ、それでもなお、表向きの「義理人情」を押し付けられた弱き人間たちがいるだけだ。
どうしようもない袋小路に追い込まれたその姿は、ブラックユーモアにあふれた喜劇でしかないのかもしれない。

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