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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

映画ドラえもん のび太と空の理想郷

2023-03-14 21:01:41 | 映画(あ)
評価点:67点/2023年/日本/109分

監督:堂山卓見
脚本:吉沢良太

まさに国民的であり、教科書的映画だ。

出木杉くんにユートピアという理想郷の話を聞かされたのび太(声:大原めぐみ)は、学校の裏山から空を見上げると、うっすらと空に浮かぶ島を見つけた。
もしかしたら実在するかもしれないと考えたドラえもんとのび太は、過去のユートピアにまつわる話を取り上げ、時間移動ができる気球、タイムツェッペリンに乗り込み、各時代を放浪する。
すると、本当にユートピアであるパラダピアと呼ばれる楽園だった。
誰もが優しく接してくれる楽園に呼ばれたのび太たちは、居心地よく過ごすが、のび太はいくらがんばってもパーフェクトな住人になれずにいた。

子どもに連れられて見に行くことになった。
私が記憶にあるドラえもん映画は、「リトル・スターウォーズ」に続いて、二作目だ。
この作品は完全オリジナル新作で、「どうする家康」でも話題の吉沢良太が脚本を務めている。

休日の最も人が多そうな時間帯に行ったので、大賑わいでほぼ満員だった。
体調は絶不調で、かなりしんどかった。
非常にタイムリーな映画で、そして哲学的でもある。
テーマやモティーフを深掘りできるという意味で、示唆に富んでいる。
なかなか表層的なテーマやキャッチーな題材が先行する日本映画にあって、常に(かどうかは定かではないが)社会的な視座を提供している「ドラえもん」はまさに国民的映画である。
アニメではなく、こういう映画を日本映画(実写)でも撮れたらいいのに、と思ってしまう。

▼以下はネタバレあり▼

ユートピアを探す物語、というのはよくある話の一つで、それを受けていることは劇中でも説明される。
しかし、そこは現代を舞台にしているだけあって、相対化したうえで、理想郷とは何かを真剣に考えさせるテーマを持つ。

理想郷だと思われていたパラダピアは、実際には三人の創造主による独裁国家だった。
都合の良い人間に仕立てるために、洗脳するための光線で人々を操り、自律した国を築き上げていた。
のび太はそのことに気づき、悪をくじくために立ち上がる、という筋だ。

この映画は非常に我慢強かったといえるだろう。
観客を信じて、前半まで物語の方向性を見せないで進めた。
非常に大人な映画だと思ったのはそのためだ。
だから一緒に見ている大人も、どういう話になっていくのか「この理想郷、ほんまに理想郷やん」と思わせるシーンをたくさん入れていた。
とくに巧かったのは、のび太たちがパラダピアに旅立ったあとに、のび太の父母のシーンを入れたことだ。

私はこの時胸が張り裂けそうになった。
一つは親から離れていく子どもの成長を感じさせる寂しさと、子どもをよくわからないところに取り上げられた悲しさだ。
このシーンを入れることで、この場所が「諸手を挙げて喜べる場所」ではないことをさりげなく示す。
こういうのは映画を分かっている人でなければ入れられない。

とにかく、子ども達に先に「こうなるよ」という予感を暗示的にしか見せずに、引っ張り続けた挙げ句、マリンバを登場させることで一気に現実をひっくり返す。
観客を信じられなければ、おそらくこういうことはできなかった。
子ども向けの映画でも、それをしっかりやってくれたことに感謝したい。
きっとこの映画を見た子ども達は、映画に対する、物語に対するスキーマ(文法)をしっかり養うことだろう。

結局、信じられてきた理想郷は独裁国家だった。
これはもちろんロシアや中国を意識したものだろう。
理想郷は外から見ても、中から見ても、幸せそうにしか見えない。
けれども、それは偽りの自由であり、逆に言えば、自由は完全な不自由の中にしか存在しないことを示す。

無限空間や循環空間、自律した空間を創造しなければ、理想郷は作れない。
しかしその自律した空間は、全体主義という絶対的な権力と不自由さによってしか生み出せない。
私たちは、あまりに自由なために、不自由さを感じ、不自由さの中にある自由さに憧れる。
その実はどういうものなのか、ということを子ども達に、そして大人達に示してくれる。

そのままでいい、というわかりやすいメッセージは半ば使い古されたものではある。
しかし、完璧な自由を見せられた私たちは、その意味を強く印象づけられるだろう。
一方で、それは「何の努力をしなくてもよい」ということではない。
今の環境の不自由さを受け入れた上で、「そのままでいい」=自由だということを肯定する。
現実の世界での不自由さに悩むのび太たちと、変わってしまったことで失われた「らしさ」「そのまま」を丁寧に描いていたからこそ、描かれるテーマだ。

物語の完結性も見事だった。
ラストで、最初の青色の虫が、「ドラえもん」だった、という極めて大人向けの仕掛けは、「大人が子どもに説明してあげてください」という信頼でもある。
このつながりを示すことで、物語として「終わる」ことを印象づけ、その結果決して同じ場所に戻ってくるわけではないという「変わった」部分が強調される。

とはいえ、手放しで喜べるか? と言われればそうでもない。
前半はそれでも冗長的だった。

また、音の演出が完全に失敗している。
必要な音・声を、必要な音量で聞かせるつもりがない。
端的に、すべての音がうるさすぎる。
もっと劇場公開を意識して抑揚をきかせてほしかった。

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