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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

ジョン・ウィック:チャプター2(V)

2020-02-21 22:05:13 | 映画(さ)
評価点:63点/2017年/アメリカ/122分

監督:チャド・スタエルスキ

旧態依然の世界観を持つ、現代的なヒーロー。

ジョン(キアヌ・リーブス)は、コンチネンタルに所属する殺し屋だった。
だが、引退を決意し、恋人と幸せな生活を送るはずだった。
恋人は早くに死に、彼女が送った犬とともに平穏な生活を送っていた。
そこへ族が侵入し、犬を殺してしまう。
怒りに駆られたジョンは、その族と、族が所属していた組織を壊滅させてしまう。
ここまでが前作ですね
彼が現役復帰したことを知ったサンティーノ・ダントニオ(リッカルド・スカマルチョ)は、彼への借りを返すように、迫る。
しぶるジョンだったが、誓印を結んでしまった彼には、それを断ることはできなかった。
しぶしぶサンティーノの依頼を受けたが、それはかつての恩人ジアナ・ダントニオ(クラウディア・ジェリーニ)の暗殺だった。
サンティーノからも、ジアナからも追われるようになったジョンは、裏切ったサンティーノを殺すために追っ手を惨殺しまくる……。

ジョン・ウィック」の続編。
話はほとんど連続しているので、機会があるなら三本連続で見た方がいい。
この作品の続編はすでに公開されたからだ。

キアヌの久々のヒットアックション映画といったところだろうか。
世界観は前作を踏襲したものであり、私が言及していたことがそのままこの続編にも生かされている。
前作がすきな人は、おもしろく感じるだろうし、そうでない人は見る必要はない。
当然、前作を見ていない人は、話がわからないので見ることはできない。

前作から正統進化した本作は、非常に興味深い考察の余地がある。
アクションを全く楽しまずに、私はこの感覚の不可思議さにのめり込んでいた。

▼以下はネタバレあり▼

前作よりも話がかなり大がかりで、そして、複雑になった。
単なる復讐劇ではなく、この映画における世界観がしっかりと描かれることになった。
しかし、それでもこのシリーズの世界観が壊れたわけではない。
むしろしっかりと監督たちの、世界観が反映されたといっていい。

物語は、復讐がモティーフになっているものの、新たな展開に移行する。
それは、コンチネンタルという裏社会の掟を、ジョンが破るという点にある。

コンチネンタルは、裏社会を牛耳る絶対的な掟のようなものだ。
彼らは血なまぐさい縄張り争いを、コントロールしている。
前作で武器を用意してくれたり情報を提供してくれたりしていた。(まあ、正直うるおぼえだが)
今作ではさらにこのコンチネンタルの全貌が明らかにされる。

12人の主席と呼ばれるポジションがあり、裏社会ではこのポジションに着くことが、一つのステータスであり、覇権を握る方法である。
そのポジションを空けるため、姉を殺し、自分がその席に着こうとする。
そこに利用されたのが、裏社会を抜けるために結んだ誓印という掟だ。
サンティーノとこれを結んでいたため、ジョンはサンティーノの借りを返さなければならない。
サンティーノとの借りを返したジョンは、殺したジアナとサンティーノから命を狙われることになる。

しかし、この復讐劇を陰で見守るのがコンチネンタルである。
この復讐は明確なルールのなかで完全に統制されている。
だから、このルールの中で行われる復讐は、「合法的」な扱いになる。
だが、ルールから外れてしまうと、全裏社会からにらまれてしまうというわけだ。

そして物語の最後で、コンチネンタルホテルの中では殺しを行ってはいけない、というルールを破ってしまったジョンは、全世界の殺し屋から命を狙われてしまうことになる。

さて、私はこの映画を見ながら、何とも興味深い世界観だと思っていた。
それは、これだけ世界のルールが失われてしまった現代において、この明確さはあまりに蓋然性が感じられないという点だ。
特にコンチネンタルホテル内での殺しが禁じられているという設定は、まるで赤穂浪士を思い出させるほど、古い。

これほど理路整然と、明確なルールに基づいて描かれる映画は現代では珍しいだろう。
これがしかも、そこそこ売れて(続編が作られるほどに)評価されているという点が興味深い。
前作でこの映画がおもしろいと感じるのは、古い世界観にあこがれるからだ、というようなことを書いたが、それよりも踏み込んでいる。

これほどルールが崩壊した世界だからこそ、ルールが明確であるということを私たちは求めているということだろう。
あおり運転がやたらと叩かれたり、不倫が非難の的になったり、私たちは「決められたルールを守ること」を過度に期待する。
ルールが守られていないことを、ひどく糾弾する。
そのルールよりも、もっと大切な何かがほかにもあるかもしれないのに、明確にされているルールを他人に遵守させたいという社会的な通念が、ここ最近、さらに強くなっている気がする。

この映画にも、それに似たところがある。
明確で揺るぎないルールがあり、それを守れないことを徹底的に糾弾する。
死をもって償わせるその徹底ぶりは、私たちが日頃抱く、ルールを守れないものは死すべし、という極端な愚直さに似ている。

だが、この映画はそんなことだけでは許してくれない。
さらに進んで、それを守れない人間を主人公に据える。
ここには、明確なルールを守ることが守ることができない、主人公の孤独さがある。
そこに自分を投影するのだから、私たちは他人にルールを守らせたいという欲求を持ちながら、そのルールを自ら破りたいという欲求を併せ持っているとう矛盾をあぶり出す。

不倫でたとえるなら、不倫している人間をひどく糺弾するが、自分はそのしていはいけない不倫をやってみたい、というような孤独感と特別感である。
かくしてこの映画は、ルールを世界に適応したいという欲求と、それを破るほどの自分のオリジナリティを手にしたいという欲求の二種の欲求を反映するものになっている。

私たちの世界観を、アクション映画でありながら、あぶり出してしまうのだから、見事というほかない。
ただ、肝心のアクションが、単なる虐殺にしか見えないところが、致命的なのだという点も見逃すことができないわけではあるが。

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