secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

潜水服は蝶の夢を見る(V)

2010-01-24 10:33:24 | 映画(さ)
評価点:82点/2007年/フランス

監督:ジュリアン・シュナーベル

我々は、彼の左のまぶたほどに、意味のある言葉を発しているだろうか。

フランスの女性ファッション誌『ELLE』の編集長を務めていたジャン・ドミニク・ボビー(マチュー・アマルリック)が突然脳出血で病院に運ばれた。
彼が目を覚ますと体の自由が奪われて、左まぶた以外はすべて麻痺してしまっていた。
内面は全くの正常であった。
医師は彼に「ロックイン・シンドローム」であることを告げた。
左まぶたしか動かない彼は、まもなく絶望の淵へ追いやられてしまう。
介護士たちは、彼を立ち直らせようと、彼に意思疎通の方法を提案する。

僕の行きつけの美容院で毎月行われる映画鑑賞座談会で、一昨年の暮れに08年を振り返っていたときに進められたのがこの作品である。
約一年くらいに前に勧められたわけだが、僕が利用するレンタルショップは品揃えが悪く、「ありません」といわれていた。
仕方なくTSUTAYAの会員に入り直すことにして、借りたのがこの映画である。

日本ではほとんど話題になることもなく公開を終了してしまった映画で、知らない人も多いことだろう。
原作の本も絶賛発売中なので是非一読してほしい。
もちろん、僕は読んでいないのだが。

▼以下はネタバレあり▼

この映画に、よくある道徳的なテーマを求めようとする人は、この映画を楽しむことはできないだろう。
いわゆる社会的弱者である障害者に陥った彼が、周りの支えによって救われていく、などという教訓じみた映画ではない。
ありきたりの一本筋の感動作ではない。
むしろ、この映画に教訓的な要素はほとんどない。
ロックインシンドロームに陥った彼は、決して道徳的な境地に至ることはない。
むき出しのいらだちを、彼の内言を通して描かれていく。
だが、この映画は見るものに深い感動を与えてくれるだろう。

この映画がすごく興味深い点は、映画というジャンルでなければ描けない物語であることを、監督はよく理解しているという点だ。
観客は、ジャンと全く同じ状況で物語を体験する。
まぶたは動く。
しかし、それ以外のすべての表現方法を持たない。
それはまさに映画館にいる観客、あるいはテレビの前に座っている視聴者と全く同じ状況なのである。
どんなことを思っていても、それを画面の向こうに伝えることはできない。
逆に相手からの情報はどんどん伝わってくる。
はじめは野暮ったいと感じる彼の心理描写=内言が、彼と一体になるための装置であることに次第に気づかされる。
しかし、どうしようもなく伝わらない。

まぶただけで意志を伝える方法を介護士が提案することで事態は一変する。
コミュニケーションにいかに時間をかけないかということを追求する現代とは真逆のこの方法は、それでも彼を潜水服から解き放つ入り口を示してくれる。
彼の想像する世界が、完全に感情移入した僕たちが体験するとき、この映画は真に「自由」となる。
タイトルにある「潜水服は蝶の夢を見る」という意味を知ったとき、さわやかな感動が僕たちを包むことになる。

『ELLE』の編集長だったことが十二分にわかるその映像美は僕たちを魅了するだろう。
冒頭もそうだが、エンドロールにしても、映画そのものが彼自身の表彰世界を体現しているかのような美しさで満ちあふれている。
説教くさい感動作ではなく、センスの良い芸術作品であることがこの映画のアイデンティティなのである。
この映像美を体験するだけで、この映画は価値がある。
原作は知らないが、完全映画化とはこのような作品をいうのではないだろうか。

だが、それでもその自由は不自由でしかない。
彼の想像が唐突に打ち切られることで、彼は外界に対して全くの受け身であることを示す。
どれだけ彼の想像が自分のものであっても、それは中断という形で打ち砕かれてしまうのだ。

ほとんどが主観で描かれるが、そうではない箇所もある。
最も印象的なのは、不倫相手が妻の居る前で電話をかけてきたシークエンスだろう。
ここでは電話で話すことができない彼に代わって妻は不倫相手に「会いたい」ということを伝える。
彼は道徳的な人間ではなかった。
彼は、欲にまみれた人間だったのだ。
娘たちとの戯れを楽しいと思う彼も真実だし、その子どもたちを尻目に、他の女を抱いている彼もまた真実なのだ。
むき出しの彼が、彼そのものであり、それは表現の自由を奪われたところで、変わりはしない。

やがてこの映画の原作である本を執筆し始める。
僕たちが瞬間的にアウトプットしているようなことでも彼は何時間もかかって伝達する。
それを出版社のライターは粘り強く綴る。
彼がまぶたで綴った言葉は、音声ではないが、そしてごくわずかな分量だが、それでも僕たちの心を打つ。
起きている間中、表現したいことを洪水のように受け止めて、それを数時間かけて伝える。
彼のまぶたほど、僕たちは自分の気持ちを誰かに伝えているだろうか。

あるいは、人はすべてロックイン・シンドロームなのかもしれない。
どれだけ自分を伝えたくても、潜水服に閉じ込められた僕たちは、もはや伝えられなくなっている。
この映画が特殊な人間を描いているのに、なぜか普遍的な感動を与えるのは、一つの真実を描いているからに他ならない。


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