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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

SUPER8/スーパーエイト

2011-07-24 16:54:12 | 映画(さ)
評価点:78点/2011年/アメリカ/112分

監督:J・J・エイブラムス
製作:スティーヴン・スピルバーグ

お父さんの大きな腕で抱かれているような安心感がある。

1979年、町の多くの人間が工場で働くというオハイオ州のある街。
それまで700日以上事故が起こっていなかったにもかかわらず、工場で事故が起こり、女性が無くなった。
ジョー(ジョエル・コートニー)の母親だった。
警察官で働く父親ジャック・ラム(カイル・チャンドラー)と二人暮しになったジョーは、4ヶ月後、映画制作に夢中だった。
スーパーエイトという8ミリカメラで仲間5人ゾンビ映画を撮影していた。
ドラマに深みを持たせようと、監督のチャールズは、アリス(エル・ファニング)という同級生を連れてくる。
アリスを含めた6人で深夜撮影していると、列車が走ってきた。
臨場感が生まれる、といきまく監督に連れられてカメラを回すとそこへ車が突っ込んで、大事故へ発展してしまう。
なんとか難を逃れた6人はその車を探すと、そこには理科の先生が血まみれでいた。
先生が告げた言葉は「このことを誰かに言うと殺されてしまうぞ」だった。

製作にスピルバーグ、監督にエイブラムス、というエンターテイメントを知り尽くした二人が作った作品。
こどもを撮らせるとピカイチのスピルバーグが携わったということもあり、見に行く事にした。
当初は「M4」会での鑑賞候補でもあったので、予定には入っていたのだ。

すごく安定した作品だ。
誰が見ても一定の満足を得て劇場を後にすることができるだろう。
ストーリーに劇的な驚きは無い。
けれども、すべてが丁寧に、きちんと教科書のように作り上げられているため、飽きさせない。
冒頭の列車事故から、その積荷の謎まで、きっちりと作られている。
これは「○○ー・ポッター」なぞよりも、断然完成度が高いだろう。
(いや見てないけれども。)
この夏はこれで決まりだ(ってもう遅いの?)。

▼以下はネタバレあり▼

この映画を観ていると、父親の腕に抱かれているような安心感を覚える。
「ああ、僕はちゃんとここにいるんだな、いてもいいんだな」というような妙な安心感だ。
映画をこれまで見続けてきた僕という存在を、全肯定するような、そんな心地よい感覚にとらわれる。

本当にスピルバーグらしい、そんな安定感のある映画だ。

人物設定がすばらしい。
その見せ方もまったくくどくないし、無理がない。
主人公ジョーは母親を事故で亡くした少年。
映画製作に夢中になっている模型マニアである。
父親は保安官代理という責任ある職についていることもあり、父子関係はよくない。
典型的なエディプス・コンプレックスである。

その父親は町の安全を守ることに誇りを持っている。
けれども、妻の事故の真相に深く関わっているルイスについては毛嫌いしている。
ルイスはアリスの父親でもあり、アリスとジョーの関係はロミオとジュリエットのように対立関係にある息子と娘という構図だ。
小さい町なのでその対立による障害は易しいものではない。

父親二人の関係がなぜ悪いのか、その謎は物語後半まで小出しにされながら、明かされる。
その明かされるシークエンスも素晴らしい。
幼少の頃のジョーの8ミリビデオを見ながら、アリスが告白する。
「事故の日父親が行くはずの仕事に、ジョーの母親が代わりに行ったの。
それで事故にあった。
だから父親はそれをずっと後悔している。
自分が行けば良かったって。私も時々そう思う…」と。

このカットは、ビデオを二人が見ているという設定だ。
だからアリスの表情は観客から見えるがジョーには見えない。
アリスは泣く姿を、告白する姿をジョーには見せられなかったのだ。
その1カットだけで彼女がどれだけジョーに負い目を感じていたか読み取れる。
友だちの母親を奪ってしまった後悔を、娘までが背負っているというこの重みを、さりげなく しかししっかりと描いている。

映画製作のメンバーもまた個性豊かだ。
実際には登場シーンはそれほど多くないはずなのに、監督から俳優などきちんとキャラが描き分けられている。
監督のチャールズの姉に興味があるカメラ屋の店員とのやりとりは、最終的に車を運転させられるあたりまでの流れがうますぎる。
チャラチャラしていた町のカメラ屋店員が、ラストにはちょっと頼もしく見えてしまう描き方には脱帽だ。
憎めない、けれども面倒くさい、そしてどこにでも居そうなキャラクターを見事に描いている。

とにかく、映画作りの基本を見ているようなキャラクターの造形だ。
町中の人間が誰も憎めない、自分とつながりがあるように感じられる。
地元と、空軍という対立や、地球外生命体を蹂躙しようとする近代西欧主義の典型、誰もが昔憧れた8ミリカメラでの映画製作など、どれもがお約束でありながら、きちんと新しい。
あの頃のアメリカなら、これくらいの出来事があったかもしれないという説得力もある。

見せる、見せないのギリギリを狙う当たりも、職人芸だ。
ラストで母親のネックレスを初めて観客に見せて、そのまま放す場面は涙無しには見られない。
そこには父親の和解と、母親の死を乗り越えた成長と、これから旅立つ宇宙人への餞別がある。
「もう僕は大丈夫だよ」という声が誰にもはっきりと聞こえてくる。

新しい映画ではない。
けれども、教科書通りに作る映画はここまで素晴らしいのだと教えてくれる、そんな映画だ。

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