評価点:81点/2002年/アメリカ
監督:スティーブン・スピルバーグ
スピルバーグとトム・クルーズによるSF映画。
2054年、ワシントンD.C.。
トム扮するジョンは、未来の犯罪を事前に予知し、犯罪を犯す前に犯人を捕らえるという警察官。
しかし、ある日ジョンが殺人を犯すという予知が出る。
それを知ったジョンは、予知のミスであることを証明するために逃亡する。
「マイノリティ・リポート」という予知のミスが起こることを突き止めたジョンは、そのデータが収められているプリコグ(予知能力者)のアガサとの接触を試みる。
やがてジョンは、導かれるように殺人現場に向かうのだった。
2002年から2003年にかけての超大作のひとつと目される作品。
期待は裏切られないくらいの完成度は保っている。
万人がある程度は楽しめる、安心して観ていい作品だろう。
▼以下はネタバレあり▼
この作品が他の「時」を扱う作品と一線を画しているのは、結末と思われるところで「終わらない」ことだろう。
これによって物語の面白さが生まれている。
序盤、未来を予想する、ということで、誰もが「12モンキーズ」が頭をよぎり「結局何も変わらない」というタイム・パラドクス的な落ちを予想する。
もしくは本当に「マイノリティ・リポート」のどちらかか…。
しかし何度も何度も予知された映像を挿入するため、「これは予知が外れることはないな」と読める。
物語の着眼点は「いかにその状況に陥るのか」ということに絞られる。
これがいい伏線になり、少々説明的描写が増える序盤にアクセントを効かせる効果を発揮した。
そして、息子がさらわれるシーンを回想という形でいれることで「動機」も絞られる。
ここまではかなり綺麗な形で予想が立てやすく落ちも読めてしまう。
けれどそれは全て本当を隠すための伏線であり、物語がそこで「終わらない」というギャップを隠すためのものであったことに気づくのだ。
そして今度は仕組んだ犯人を捜すという新たな目的を得て、物語は佳境に入る。
実際は犯人は一人しかいないという状況なので、それほど物語の続きに惹きつけられるということはないのだけれど、「ここで終わらんのか」という面白さはある。
そのための伏線も実は張られていて博士が「システムを守ろうとしている」人を疑え、というような台詞もその一つであった。
一瞬真犯人の顔が浮かんだがあれでは気づかないでしょう。
ということで騙されるのである。
かなりまとまりのある展開で殆ど無駄がない。
要するにそれだけ集中を強いるわけで、観客が感じるストレスも大きくなりがちだが
そこを映像やカメラワーク、少しの笑いで、
見せてしまうあたりがスピルバーグといった感じ。
世界観も、スラムや未開発地域があるためリアリティがあった。
新聞紙やシリアルフードのパッケージが動くのは、コスト的に不可能だというようなツッコミもできるにしても、近未来を描いた作品の中でも上位ランクに位置づけられるだろう。
しかし、さすがにプリコグの設定には無理があった。
最後の落ちのためには、どうしても「人間」でなければならなかったわけだが、
それでもあれだけ文明が発達しているのに、超自然的なプリコグに頼っているような世界では、アンバランスさを感じざるを得ない。
予知される出来事が実際は外れてしまうことが多すぎるのも、説得力に欠ける。
少なくとも映画中では二度外れるわけだ。
最後のものは外れても仕方がない面があるが、ジョンの犯罪は外れてはいけなかった。
あれは外れずに状況の相違が起こったということにしておけば、もっとストーリーに深みが出たはずだ。
つまりは、数少ない予知の映像では、犯罪の真の姿は把握することができない、ということだ。
あの状況であの時間に起こったとしても、予知どおりということになる。
「グッバイ、クロウ」と言っているのだから。
いちいちタイムラグを設けなくても、それで良かったのではないか、と思えてならない。
タイトル「マイノリティ・リポート」はうまかった。
実は後半のことを指しているのであって、ジョンのことではなかったのだ。
落ちを読ませないタイトルだと思う。
長くなっているがまだ言いたい。
顔を変えて侵入するシーンは「ヴァニラ・スカイ」を髣髴とさせた。
六年前にもしあのシステムがあったとしてもジョンの息子はさらわていた。
なぜなら、あのシステムは殺人を主に扱うものであって、誘拐は無理みたいからだ。
ジョンの息子は生きているかどうかわからない。
樽に浮かべた、というのは、あのクロウがでっち上げたものだからだ。
画面がすこし青くぼやけた感じを受けた人はいるだろうか。
それはあなたの目が悪いのではなく、画面を加工しているからだ。
CGの出来が今ひとつであることを隠すためと、現代と近未来の差異をつけるためであろう。
CGはもう少し頑張ってほしかった。
薬の売人が「片目が支配する」というような予言めいたことを言う。
あれは片目を失う、ということであろうと、スパイダーが現れた時に読む。
しかし片目を利用してゲートを開ける、という意味のようだ。
うーむ、深い。
この映画はそういう深い部分も面白い。いい監督であることは間違いない。
(2002/11/24執筆)
この記事は、僕がもっとも公開したくないものの一つだ。
もう一つは「トレーニング・デイ」。
理由は上を読んでくれたのならわかったはず。
ものすごく〈読み〉が甘かったと我ながら思う。
「終わるはずのところで終わらない」というのは僕の完全な〈読み〉ミスだろう。
記念としてそのまま修正せずにこちらにアップすることにした。
今なら、もっとうまく書けるかもしれないが、それは別の機会に。
それまでは、恥ずかしい批評を書いていると哂ってください。とほほ。
監督:スティーブン・スピルバーグ
スピルバーグとトム・クルーズによるSF映画。
2054年、ワシントンD.C.。
トム扮するジョンは、未来の犯罪を事前に予知し、犯罪を犯す前に犯人を捕らえるという警察官。
しかし、ある日ジョンが殺人を犯すという予知が出る。
それを知ったジョンは、予知のミスであることを証明するために逃亡する。
「マイノリティ・リポート」という予知のミスが起こることを突き止めたジョンは、そのデータが収められているプリコグ(予知能力者)のアガサとの接触を試みる。
やがてジョンは、導かれるように殺人現場に向かうのだった。
2002年から2003年にかけての超大作のひとつと目される作品。
期待は裏切られないくらいの完成度は保っている。
万人がある程度は楽しめる、安心して観ていい作品だろう。
▼以下はネタバレあり▼
この作品が他の「時」を扱う作品と一線を画しているのは、結末と思われるところで「終わらない」ことだろう。
これによって物語の面白さが生まれている。
序盤、未来を予想する、ということで、誰もが「12モンキーズ」が頭をよぎり「結局何も変わらない」というタイム・パラドクス的な落ちを予想する。
もしくは本当に「マイノリティ・リポート」のどちらかか…。
しかし何度も何度も予知された映像を挿入するため、「これは予知が外れることはないな」と読める。
物語の着眼点は「いかにその状況に陥るのか」ということに絞られる。
これがいい伏線になり、少々説明的描写が増える序盤にアクセントを効かせる効果を発揮した。
そして、息子がさらわれるシーンを回想という形でいれることで「動機」も絞られる。
ここまではかなり綺麗な形で予想が立てやすく落ちも読めてしまう。
けれどそれは全て本当を隠すための伏線であり、物語がそこで「終わらない」というギャップを隠すためのものであったことに気づくのだ。
そして今度は仕組んだ犯人を捜すという新たな目的を得て、物語は佳境に入る。
実際は犯人は一人しかいないという状況なので、それほど物語の続きに惹きつけられるということはないのだけれど、「ここで終わらんのか」という面白さはある。
そのための伏線も実は張られていて博士が「システムを守ろうとしている」人を疑え、というような台詞もその一つであった。
一瞬真犯人の顔が浮かんだがあれでは気づかないでしょう。
ということで騙されるのである。
かなりまとまりのある展開で殆ど無駄がない。
要するにそれだけ集中を強いるわけで、観客が感じるストレスも大きくなりがちだが
そこを映像やカメラワーク、少しの笑いで、
見せてしまうあたりがスピルバーグといった感じ。
世界観も、スラムや未開発地域があるためリアリティがあった。
新聞紙やシリアルフードのパッケージが動くのは、コスト的に不可能だというようなツッコミもできるにしても、近未来を描いた作品の中でも上位ランクに位置づけられるだろう。
しかし、さすがにプリコグの設定には無理があった。
最後の落ちのためには、どうしても「人間」でなければならなかったわけだが、
それでもあれだけ文明が発達しているのに、超自然的なプリコグに頼っているような世界では、アンバランスさを感じざるを得ない。
予知される出来事が実際は外れてしまうことが多すぎるのも、説得力に欠ける。
少なくとも映画中では二度外れるわけだ。
最後のものは外れても仕方がない面があるが、ジョンの犯罪は外れてはいけなかった。
あれは外れずに状況の相違が起こったということにしておけば、もっとストーリーに深みが出たはずだ。
つまりは、数少ない予知の映像では、犯罪の真の姿は把握することができない、ということだ。
あの状況であの時間に起こったとしても、予知どおりということになる。
「グッバイ、クロウ」と言っているのだから。
いちいちタイムラグを設けなくても、それで良かったのではないか、と思えてならない。
タイトル「マイノリティ・リポート」はうまかった。
実は後半のことを指しているのであって、ジョンのことではなかったのだ。
落ちを読ませないタイトルだと思う。
長くなっているがまだ言いたい。
顔を変えて侵入するシーンは「ヴァニラ・スカイ」を髣髴とさせた。
六年前にもしあのシステムがあったとしてもジョンの息子はさらわていた。
なぜなら、あのシステムは殺人を主に扱うものであって、誘拐は無理みたいからだ。
ジョンの息子は生きているかどうかわからない。
樽に浮かべた、というのは、あのクロウがでっち上げたものだからだ。
画面がすこし青くぼやけた感じを受けた人はいるだろうか。
それはあなたの目が悪いのではなく、画面を加工しているからだ。
CGの出来が今ひとつであることを隠すためと、現代と近未来の差異をつけるためであろう。
CGはもう少し頑張ってほしかった。
薬の売人が「片目が支配する」というような予言めいたことを言う。
あれは片目を失う、ということであろうと、スパイダーが現れた時に読む。
しかし片目を利用してゲートを開ける、という意味のようだ。
うーむ、深い。
この映画はそういう深い部分も面白い。いい監督であることは間違いない。
(2002/11/24執筆)
この記事は、僕がもっとも公開したくないものの一つだ。
もう一つは「トレーニング・デイ」。
理由は上を読んでくれたのならわかったはず。
ものすごく〈読み〉が甘かったと我ながら思う。
「終わるはずのところで終わらない」というのは僕の完全な〈読み〉ミスだろう。
記念としてそのまま修正せずにこちらにアップすることにした。
今なら、もっとうまく書けるかもしれないが、それは別の機会に。
それまでは、恥ずかしい批評を書いていると哂ってください。とほほ。
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