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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

女神の見えざる手(V)

2020-01-07 16:52:38 | 映画(ま)
評価点:75点/2016年/アメリカ/132分

監督:ジョン・マッデン

社会派×ミスディレクションのドラマ。

エリザベス・スローン(ジェシカ・チャスティン)は税を専門とするロビイストである。
非常に優秀で、コンサルタント会社に勤めながらクライアントの要求通りに勝ち続けてきた。
あるとき、銃規制についての法案を潰して欲しいというクライアントが現れた。
銃規制に反対できないスローンは大物政治家からのその申し入れを断る。
あるパーティーに入り込んだスローンはそこで見知らぬ男から銃規制の法案を可決するためのロビー活動の申し出を受ける。
そのことは別のコンサルタント会社のCEOだった。
悩んだあげく、彼女はその申し出を受け入れ、元いた会社と対立することになる。

少し前に、いや、ずいぶん前にこのブログで見て欲しいと言われてそのままになっていた作品。
実は昨年中に二度レンタルしたのだが、どちらも見ずに返却してしまった。
三日遅れて返却したときには2000円近く延滞料金を取られた。
もう嫌だ、こんな見てもない映画でなんでお金を取られないといけないのか、という怒りもあって(理不尽)、Amazonに出てくるまで待っていた。

年末年始、見たいものリストにアップしておいたが、なんやかんやで見逃してしまい、今になった。

例によって全くの予備知識なしで、映画をスタートさせた。
この映画は何も知らないほうがおもしろいだろう。
ただ、タイトルからラストのオチが読めてしまうのが少し残念だが。

主演は「ゼロ・ダーク・サーティ」のジェシカ・チャスティン。
助演には「裏切りのサーカス」にも出ていたマーク・ストロング。
なかなか良作だが、あまり知られていない(私だけなのかもしれない)ようなので、時間がある人はぜひ。
趣向はちがうのだが、「ソーシャル・ネットワーク」などが好きな人にもおすすめだ。

▼以下はネタバレあり▼

登場人物が多く、また物語が本格的におもしろくなってくるまで時間がかかるので、映画慣れしていないと、ちょっと序盤で躓くかもしれない。
だが、序盤を過ぎると、この映画がいわゆる「ミスディレクション」型の映画であることが分かってくるだろう。
タイトルと展開が、明らかにラストでひっくり返されるという予感がされるからだ。

もちろん「女神」とはミス・スローンのことであろうし、彼女が好き放題していく様子からおそらく「裁判になった理由」がその手口のまずさであることは読めるからだ。
それでも「女神」が「見えざる手」を使うのだから、この裁判(聴聞会)がラストでひっくり返されるのだろうと読めるわけだ。
そして結末が示されると、「ああ、そういうことか!」と膝を打つ。
まさにミスディレクション型の映画だ。

ミスディレクションとは、観客に認識を誤らせるような情報を置いていって、最後にそれとは違う衝撃的な結末を用意するタイプの映画だ。
このブログでも数多く取り上げてきている。
オチが何かある、と分かっていてもそれがすぐに読めないようにできている。
これは予想する楽しみというよりも、だまされる楽しみを味わうものである。
だから、読めない人が勘が鈍いとか、センスがないとかそういうものではない。
だまされるのが楽しいのだが、リスクもあって、ミスリードと真相がきちんとかみ合わないと、釈然としない後味の悪さを残す。
この映画はその中でも優秀なほうだろう。

女神であるスローンは、全てのものを勝つための手段として利用する女性である。
ロビー活動で名声を得た彼女は、難敵である銃規制の法案を通すための仕事を依頼される。
そこで、すでにいた会社のチームの半数を引き抜き、元いた会社と対立することになる。

ここからの展開が見事で、初めは彼女の勝利していく巧妙なやり口が披露される。
だが、のこり数票の獲得、という雌雄を決する直前になって、銃規制反対派が巻き返しを図る。
一つは、広告塔として利用したエズメ(ググ・バサ=ロー)が銃規制反対の過激派に襲われてしまうということ。
そしてそれを救ったのが銃をもった「善意の市民」だったことだ。
さらに、議論はスローンの手口に不正があるという文書が前会社から発見される。
これによって冒頭から挿入される聴聞会が開かれることになる。

それだけではない。
彼女の横暴ぶりは、盗聴器やエスコートボーイのフォード(ジェイク・レイシー)との関係などが明らかにされていく。
彼女は重度の薬物依存症で、「眠れない」病に陥っている。
これは公聴会とリンクしているが、そのような彼女への「観客からの不信」を買うような展開になっている。
だから、「こいつすごいけど、やりすぎやな」という感情移入から遠のかせる効果がある。
「負けてもしかたがないな」というチームとの齟齬や人間性の部分で不信を募らせて、ラストでひっくり返すのだ。

この展開が見事だ。

しかし、彼女は最後になって「何か言いたいことがあるか」と問われて一気に人々の印象をひっくり返す。
これらのすべての展開は仕組まれたものであり、彼女がすでに予測していたことだった。
「ロビー活動は、相手の手を予測して、相手の切り札が出された後さらに自分の切り札を見せて勝つものだ」という冒頭の台詞をのたまう。
彼女は、聴聞会という公の場で、自分があえて残した文書を鼻で笑って、もっと大きな真相を突きつける。
それは、この聴聞会の議長である議員が、銃規制反対派のロビイストから買収されていた(脅迫されていた)事実を、盗聴によって暴く、というものだった。

すべては自分に疑いの目を向けさせ、相手の手の内をさらさせるための手段であったことが明らかにされるのだ。
連れて行くはずの腹心の部下が、引き抜きに応じなかったのは、スパイだったからだった。
そして誰にも手の内を見せなかったのは、聴聞会に立つ証人として偽証させないためだったとラストで明かされる。

また、題材が銃規制であったということも、観客の心を掴んだのだろう。
社会的な題材である方が、私たち観客は「一緒に闘う」ことができる。

見事な展開であるが、私はそこまで大きなカタルシスを得ることができなかった。
腑に落ちないところがあったからだ。

理由の一つは、彼女の内面が最後までわからなかったことだ。
なぜ「報酬ゼロ」でこの仕事を受けたのだろう。
なぜ銃規制についてそこまで固執したのだろう。
彼女はこの仕事を私費まで投入してやりとげようとする。

このやりかたでは、シュミットから提案された「有名になってオファーが殺到する」という目論見は通用しない。
逮捕されてしまってはキャリアを失ってしまうからだ。
(少なくとも保釈された後、ロビー活動に同じような手段は通用しない、破滅的な手段だからだ)

彼女がそこまでこの「大成功」にこだわった理由がいまいち見えてこない。
ただ、かっこよくて、頭が良くて、スーパーウーマンであるということしか描かれない。
弱さを見せているように描かれているが、その弱さを見せない強さがどこからくるのか、わからないとブラックボックス化してしまう。
彼女の悲哀をもっと描いてほしかった。
(そうでなければ、弱さもすべて演出のような、非人間的な印象を受ける)

また、映画として成立させるための不自然な伏線がある。
一つは、スパイのジェーン・モロイ(アリソン・ピル)との会議室でのやりとりだ。
「大学院に逃げるのは逃避だと思う」という女子トイレでの個人的なやりとりを、わざわざ会議室の場でいう必要はなかった。
これは映画を見ている観客にしかその意味が伝わらないし、無理に観客に向けてミスリードしようという意図から発せられた台詞だ。
これを言っても、周りの同僚たちは意味が分からないのだから。

情夫のフォードの偽証が証明されないのも不自然だ。
彼は事務所を通して派遣されていた。
それなら、スローンとの関係がどのようなものであるか、すぐに証明できたはずだ。
当然顧客情報を簡単に明かすとは思えないが、データが残っていないはずはない。

終盤、モロイに電話を入れた後、取り乱すスローンの描写も不自然だ。
相手方にやられたことに苛立ちを隠せない、と読めるわけだが、実際には「やったね、餌に餌にひっかかってくれたね」という場面のはずだ。
「やっぱり聴聞会を開かせるためのカードを切らないといけないのか」という苛立ちは彼女にはなかったはずだ。
そのためにスパイまで用意したのだから。

この映画はアメリカでは大きな評価を得られなかったらしい。
その理由はこのあたりにあるのではないか。
また日本ではロビイストはまだまだ市民権を得ていないが、アメリカでは半ば常識だ。
目新しさを感じた日本の観客(私を含めて)は、楽しめる要素があるが、本国ではそこまで高評価にはならなかったのだろう。

まあ、良い映画であることは確かだと思うが。

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