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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

ザ・コア(V)

2008-11-24 10:44:27 | 映画(さ)
評価点:56点/2002年/アメリカ

監督:ジョン・アミェル

自己犠牲、確かにすばらしいことだが。。。

ロンドンで心臓のペース・メーカーをつけた人が同時刻に突然死した。
ある場所では、鳩が方向感覚を失い建物にぶつかり大量死した。
スペースシャトルは、計器の故障でロスのど真ん中に不時着。
事態の意見を政府から求められた大学教授のキーズ(アーロン・エッカート)は、地球のコアが回転する事によって生まれていた電磁波に原因があると推測する。
その推測によると、一年後、太陽風によって人類は絶滅するという事だった。
政府は緊急処置として、地球の核に降りていき、核爆発によってコアを再動させるという計画を打ち立てる。

デイ・アフター・トゥモロー」と同じように、これもディザスター映画の典型といっていい。
ただ、アイデアとして面白いのは、地球の外からの脅威ではなく、内の脅威を描いているという点である。
隕石、竜巻、低気圧、火山、津波とあらゆるディザスター映画が撮られてきたが、地球のコアをモティーフにしたのは、おそらく初めてだろう。

それほど日本で話題にならなかったのが象徴しているように、この映画は、やはりA級とはいえない。
スペースシャトルの操縦士、ヒラリー・スワンクが出ているが、それ以外にビックネームもいない。
全体的に中途半端な出来になっている。

▼以下はネタバレあり▼

ディザスター映画によくあるように、地球の異常にいちはやく気づいた学者が、その原因を取り除くため奮起するという大筋である。
いまさらそこにツッコミを入れる気にはならないが、もう少し違う展開を見てみたいという気もする。

さて、「デイ・アフター」と決定的に違うのは、きちんとその現象の説明をしてくれるという点である。
それが現実的で、科学的に正しいのかどうはかこの際どうでもいい。
やはり、どういう現象に巻き込まれているのかをきちんと説明してくれるので、臨場感や危機感が生まれる。
観客に迫ってくる恐怖が生まれるのである。
この作品においては、この点が肝になっている。
おそらくこの説明がなければ、この映画は成り立たなかっただろう。

なぜなら、それほどこの映画はわかりにくいディザスターを扱っているからである。
電磁波、電磁場、コア、コアの回転、マントル、内核、外核、、、様々な専門用語(?)が飛び出すが、殆んど日常では意識しない言葉やものばかりだ。
どれだけ説明されても、やはり難しいし、感覚的に捉えづらい。
丁寧に説明してくれたが、やはりそれでも難しかった。
さらに、「穴」を掘る機械の仕組みもまた難しい。
だから余計に説明的な台詞と観客が理解しなければならないことが増え、結果的に感情移入しにくい状況を生み出してしまっている。
この点は、丁寧な説明でも消化し切れなかった部分であろう。

穴を掘り始めた以降も、その難解さは続く。
掘り進む様子を外からのアングルで撮っているが、それがヴュジアルとして受け取りにくい。
はっきり言ってしまえば、「リアルかどうかわからない」のである。
必死にスワンクが障害物を避けていくが、それが実際どうなのか、よく分からない。
穴を開ける装置があるなら、それで無視して進めるのではないか、と疑問が沸いたりするのである。

また、水晶の空洞も、ブラウン管ではわかりづらかった。
それは仕方がないといえばそれまでだが、どうしても身に迫るような不安や期待がない。
その点はモティーフとの兼ね合いだが、やはり消化し切れていない感がある。

登場人物たちについてもわかりにくさがある。
多くの伏線により、任務のためには誰かを犠牲にしなければならない、という状況が生まれることは、予想できる。
もともと、こうしたミッションにはそれはつきもだし。
しかし、登場人物についての説明が少ないために、彼らの動機がわかりづらくなっている。
彼らの担当がどういうものか、程度の色分けしかされていない。
だから、自己犠牲で仲間を救ったとしても、感動できないのである。
特に、武器担当の彼(名前がちょっと。。。)が死んだときには、家族のことを話して死んでいく。
しかし、彼の家族構成があまりに説明不足だから、感動できないのだ。
登場人物として出しておけば、感動を呼んだかもしれないが、月並みな感情しか移入できない。

それでも、彼の死までは、まだ感動できる余地が残されている。
しかし、何度もそういう状況になり、残った二人が自己犠牲の精神で死んでいく姿を次々と見せられると、もう「おなかいっぱい」で、「また自己犠牲で死ぬんですか」というようなマンネリズムを覚えてしまう。
確かに自己犠牲の精神はすばらしいと思うが、キャラクターの色分け、住み分け、描き分けがしっかりと出来ていないのに、同じような展開で次々死んでいくと、感動はどうしても薄れてしまう。
同じ手口の連続では、後になればなるほど感動できない。
それなら、二人くらいの死を丁寧に描いた方が、よほど感動できただろう。

序盤に次々と名前のある人物が登場してくるという展開も、キャラクターを描くという意味においては、不利な環境を生んでいる。
惜しい点である。

細かいところを言えば、ラストのクジラネタとネットに流すというところも、不自然である。
僕が政府要人なら、クジラで見つかったとしても見殺しにするだろう。
秘密を握りすぎている人間を敢えて助ける必要は全くない。
見つかりませんでした、として見殺しにした方が、
政府にとってよほど「安全」か。そのあたりは、やはり映画的である。

また、ネットに流す、というのもリアルじゃない。
まず間違いなく、あのハッカーは特別刑務所に幽閉されている。
理由はやはり国家機密を知っているから。
ザ・ロック」のショーン・コネリーのように、何年も地上には出られないだろう。
「デスティニー」という地震発生兵器の存在を知っている人間、しかも、ハッカーを野放しにしておくはずがない。

鳩と人間の突然死など、冒頭の導入は非常にうまかったと思う。
原因不明な異常さというのは、恐怖をうむ。
しかし、その後の展開は消化し切れなかったという印象が強い。
アイデア勝負の低予算で、かなり頑張っていたとはおもうが、全体としては、作りが荒く、中途半端な映画である。
B級映画という印象はぬぐえない。

それにしても、アメリカ人はなぜにああも災害が好きなのだろうか。
コアなんていうわかりにくい災害までも持ち出すなんて。
そして、とにかく核兵器を良い方向に使おうとしている気もする。
核兵器の開発を必死に肯定したがっているかのようだ。。。

(2004/7/26執筆)

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