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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

パーフェクト・ブルー(V)

2008-04-13 19:04:21 | 映画(は)
評価点:71点/1998年/日本

監督:今敏

「これがアニメの可能性だ」という監督からの狼煙だ。

アイドルグループの「CHAM」は、次第に人気グループになりつつあった。
だが、リーダー的存在の霧越未麻(岩男潤子)を売り出す際に、
アイドルとしてではなく、女優として売り出した方がいいのではないか、と事務所の田所(辻親八)は考える。
本人の意向もあり、女優に転身した未麻にきた最初の仕事は、一言だけの台詞だった。
二人になったCHAMは人気が安定し、CDもオリコンチャートに載るようになった。
だが、女優になった未麻は未だにポジションを確立できずにいた。
そんなある日、ファンレターに爆発物が仕掛けられて田所がけがをするという事件が起こる。
不安になる未麻はかつてアイドルだった自分の幻想に苦しみ始める。

今敏の初監督作品である。
パプリカ」の画質から考えるとどうしても見劣りしてしまうが、逆に言えば、十年足らずの間にそれだけ進化したということだろう。
アイドルや芸能界をモティーフにしているものの、内容はサスペンスだ。
しかも、夜九時から船越英一郎が出てくるような、安心感のあるサスペンスではない。
シリアスで、かつ、本格的なサスペンスだ。
千年女優」「東京ゴッドファーザーズ」「パプリカ」と大人向けのアニメ映画を
制作し続けているが、中でももっともシリアスな物語だろう。
予備知識なしで観た僕は正直、戸惑った。

だが、この映画は彼の今後の映画作品の方向性を示す最もよい作品だろう。
心して観てほしい。


▼以下はネタバレあり▼

パプリカ」に通じているところがある。
あるいは、「パプリカ」を、筒井康隆が映画化を了承した理由が、この「パーフェクト・ブルー」にあるのかもしれない。

この作品も、ほかの多くの作品と同様に、テーマはざっくり言って「アイデンティティーの乖離」である。
もちろん、それを統合し、確立するまでの物語だということだ。
違う言い方をすれば、アイドルから女優へという変化であり、少女から女へという変化でもある。
つまりは、「成長譚」ということがいえよう。

霧越未麻はアイドルから女優へという転身を図る。
だが、アイドルとして認められていた自分と、女優としては端役しかもらえない全くゼロの状態から再スタートしなければならないという落差に悩むことになる。
本当に自分はアイドルを辞めて良かったのか、女優に転身したのは正しかったのか。
悩む彼女に与えられた仕事は、アイドルからの脱却を鮮明にするための「汚れた」仕事だった。
ヌードを撮影したり、レイプ・シーンを撮影したりすることで、事務所としては転身を鮮明にしたいという一方で、元アイドルが脱ぐという話題作りをしはじめる。
話題をしっかりつくることができれば、その後の仕事も一時的には増える。
増えた仕事を確実にこなすことができれば、株も上がる。
チャンスを手に入れるための苦肉の策として、未麻に厳しい仕事を与えてしまう。

女優への転身自体に悩む未麻は当然とまどってしまう。
かつてアイドルとしてもてはやされた自分と冷遇されているとしか思えない女優の道。
この両者が乖離することによって、現在と過去の自分が見分けが付かなくなってしまう。

同時期に、ファンが作ったサイト「みまの部屋」で、克明に自分の行動が記されていることに気づく。
誰かに視られている、観察されているとしか思えないくらい詳細に正確に私生活が記録されていた。
不安に思う彼女の元に、いたずらの爆発物が届く。
さらに、彼女のアイドルとしての価値をおとしめる仕事をさせた人々が殺されていく。

彼女は自分の選択に悩み、さらに自分の身の回りに殺人事件が起こっていくことで、ますます過去の自分と現在の自分、殺人犯という役と、現実の自分、現実の殺人事件と、女優である自分、という区別がつかなくなっていく。

何度も反復されるシーンがある。
現実なのか幻想なのか、判断が付かないような撮り方がされている。
これはまさに、未麻が現実と幻想との間に線を引けなくなってきていることを
如実に表すものとして機能している。

事件の真相は単純だった。
マネージャーであるルミが、実は犯人だった。
彼女は元アイドルであって自分がなれなかったアイドルの道を、未麻に歩んでほしかった。
それは自分の成功であり、自分の夢だったのだ。
だが、女優への転身をしてしまった未麻が強要された仕事はアイドルとはほど遠かった。
なるべきアイドルの道を外れていく未麻の姿をルミは許せなかったのだ。
彼女は本来の未麻の姿を思い描きながら、「みまの部屋」に理想の自分(未麻)を描き始める。
そして、彼女は自分が未麻なのか、ルミなのか、見境がつかなくなっていく。
未麻も自分を保てなかったが、ルミも自分が乖離することを止められなかったのだ。

未麻自身が自分が犯人なのかどうかさいなまれるのは、真犯人であるルミの精神構造と一致していたからに違いない。

ともかく、未麻であるはずのルミが、次々と未麻として、アイドルの自分を損なう者たちを殺していったのである。

この映画がミステリーを押さえていると感じさせるのは、真犯人を隠すために、ミスリードしていくことだ。
見るからにストーカーちっくな、未麻のファン・内田(劇中では名前は登場しないが、設定ではこの名前らしい)が、異常な登場の仕方をすることで、観客は自然と彼が犯人だと考えてしまう。
(あからさますぎて逆に疑ってしまうけれども。)
そのミスリードが最後の最後まで隠される為に、ラストで明かされたときに、大きなカタルシスが得られる仕組みになっているのだ。
アニメという媒体で、これだけの本格ミステリを描いた作品は少ないだろう。

残念なのは、未麻のアイデンティティをモティーフにしておきながら、彼女の女優への転身の理由が一切明かされないことだ。
なぜ女優になりたかったのか、なぜ歌が好きで上京したのにアイドルを捨ててしまったのか、そこがわからない。
つなぎ合わせると、歌手として不如意な扱いだったということだろうが、そこを明確に描かないと、彼女の葛藤がわかりにくくなってしまう。
そして、その初心がきっとアイデンティティの確率には不可欠だったように思う。

映像として、ここまでテーマとしっかりと結びついた作品は珍しい。
単なるアニメではないことを示すために、レイプ・シーンをリアルに、長く設定したのだろう。
俺は単なるアニメーターではない、アニメは無限の可能性を秘めている、ということを訴えかけるような、今敏の狼煙のような作品だ。

彼ほど映画を知り尽くした日本人映画監督は少ないだろう。
その彼が選んだ媒体は、実写映画ではなく、アニメ映画だった。
アニメ映画でしか、彼の創造力と想像力を実現するメディアがなかったかのようだ。
それはひとえに日本の実写映画が様々な制限――技術・撮影制限・資金など――があることを、示しているように感じて仕方がない。
日本映画がもっと多くの天才を生み出せるような、そういう映画文化に明るい国になることを、切に願う。

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