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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

ジュラシック・ワールド 新たなる支配者(V)

2023-08-18 18:23:01 | 映画(さ)
評価点:51点/2022年/アメリカ/147分

監督:コリン・トレヴォロウ

旧態依然、同工異曲、大同小異の傑作。

ジュラシックワールドの崩壊によって、全世界に太古の生物があふれかえっていた。
オーウェン(クリス・プラット)と、クレア(ブライス・ダラス・ハワード)は、ジュラシックパークの遺伝子科学者の一人、シャーロットのクローンであるメイジー(イザベラ・サーモン)をかくまうために、ひっそりと山奥で暮らしていた。
しかし、思春期になったシャーロットは自分が何者かを知りたがり、頻繁に町へ出かけるようになっていた。
そして、彼女の元に、追っ手が迫っていた。
一方、エリー・サトラー(ローラ・ダーン)は、異常な繁殖力を持つ巨大な昆虫が各地で蝗害をもたらしている原因を調べていた。
新興企業のバイオシンが開発者であることを知った彼女は、かつての相棒アラン・グラント(サム・ニール)を誘い、バイオシンの研究所を訪れる。

ジュラシック・ワールド」から続く、シリーズ完結編。
世界に恐竜があふれるようになって、どのように収束させるかという集大成となる作品だ。
主人公は、オーウェンとクレアだが、前シリーズの主人公だったイアン、アラン、エリーら三人も登場し、いかにも有終の美を飾る作品になっている。

私は最初の作品「ジュラシック・パーク」以来恐竜へのリスペクトが一切なくなってしまったことに批判的な意見を書いてきた。
この作品も見に行かずに、アマゾンプライムで鑑賞した。
まったく期待せずに観たが、やはりその予感は的中したので、まったく驚きもがっかりもない。

ただこういう作品が評価されて、もっとおもしろい映画が観客動員数を稼げなかった理由で打ち切りになっていくのはやはり不条理さを感じざるを得ない。

▼以下はネタバレあり▼

嫌な予感はしていた。
前シリーズの人気キャラクターを出場させるということは、これまでの流れをそのまま踏襲させるということを意味しているからだ。
つまり、集大成といえば聞こえは良いが、新しい何かを見せるつもりがない、ということでもある。
そういう映画だから、といえばそのままだが、そして、その通り、新しい何かは何もなかった。

有り体に言えば、観客が望んでいるだろうことを、そのまま映像にしました、という観客のニーズに寄り添うような内容になった。
だから、まったくおもしろくない。
そこには、SFであるはずの警句も、私たちへの新しい提案も、未来へのわくわく感もない。
「あなたたちはこういうジュラシックワールドを望んでいたのでしょう? ほれ、あげますよ」というような上から餌を与えてくるような安定した作りだ。

すべてが予定調和の中で進み、そのまま終わる。
その最たるところが、サトラーとグラントが「一緒に行こう!」とくっついてしまうところだ。
安易にもほどがある。
それまでの二人の人生がまるで見えてこないし、年を重ねたのに、まだあのときの出来事を引きずっているというほうが悲しい。
それは、結局私たち観客を反照するからだ。
「おまえたち観客もまた、あの1992年の映画をそのまま引きずっているのだろう」ということを示すのだ。
そこからの知見がまったく進んでいない。

いただけないのは、ワールドになったのに、まだ閉鎖的な空間での脱出劇で映画を構成してしまったことだ。
なぜ世界中に散らばったのに、それを映画に生かさない。
なぜそれを意識したシナリオにしない?
ぜんぜんワールドじゃなくて、小さな世界観になっている。

もちろんそれだけではない。
シャーロットとメイジーの関係も希薄きわまりない。
この二人の関係が、この映画の軸になっていたのに、単なる母子の愛に留まっている。
なんなら二人は実はクローンではなく、父親がいた親子だった、くらいのほうがおもしろかった。
サトラーが白々しく「あなたのことを大切に思っていた」とか言うのが本当に興ざめである。
しかも、ばっちばちの美人の女の子を起用して、物語をルッキズムで支配して同情を書こうとする。
(どうせなら俳優をめっちゃぶっさいくにしたほうがまだいい)

貫く哲学、テーゼがあまりにも弱いということだ。
CG技術が進歩したから新しく描き直したい、というところは理解できる。
またパークからワールドへという広がりも、おもしろい。
しかし、そこにあるのは過去の遺産をただほじくり続けて、観客からお金を巻き上げているにすぎない。

繰り返すようだが「ジュラシック・パーク」は新しかったのだ。
それは恐竜が登場してくるという意味に於いての新しさではない。
DNAがもたらす新しい時代に、不安と期待が入り交じっていたのだ。
だからおもしろかった。

ただ「パーク」の話を模すように、エリマキトカゲ恐竜に黒幕を襲わせるとか、そういう表層的な見せ方ではないのだ。
私はこれを観ながらやはり既視感に襲われていた。
それは「ターミネーター」であり、「インディ・ジョーンズ」である。
結局古い作品をリブートしているようにみせて、老人ホームの思い出話に花を咲かせるだけの映画だ。
これでは、イマジネーションの枯渇だし、観客への愚弄だと思う。

予想はしていたけれど、本当に眠さしかない映画だった。

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