では、人は何によって感動を示すのだろうか。
これは新たな問いになる。
僕はここで、一つの考えを提出したい。
それは、「事実」ということばと、「真実」ということばの違いだ。
「事実」は言ってみれば、実際に起こったこと、客観的に(それもありえないと言えばありえないのだが)、とりだせるもの、ことを指す。
「真実」とは、それが人の心に映ったときの、もの、ことを指す。
つまり、人は「事実」を「真実」とし . . . 本文を読む
では、「表現」である以上完全な「事実」でないということはどのようなことを示しているのだろうか。
それは、事実に基づく話でも、多かれ少なかれ「脚色」されている、ということである。
日本ではあまり問題にならないようだが、脚色は、シナリオや作品そのものに、大きな影響を与えている。
主人公の心理を中心に描きたいなら、とうぜん、そのようなシーンや描写が増えてくる。
逆に事実をまさにドキュメンタリータッチ . . . 本文を読む
「この話は真実に基づいて作られています」
「この映画、実話だから感動できた」
……よく、映画や本、マンガなどのメディアで、このような言葉をよく聞く。
彼らの話を聞くと、「真実」や「実話」であることが、最上のことであるかのように思っているように、感じる。
おそらく、日本人(だけかどうかはわからないが)にとって、「実話」であることは、感動を呼んだり、涙を誘ったりする代名詞とも言えるのではないか。
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昔、高校の国語の授業で、古文とは昔の言葉だと教えられた記憶がある。
それを〈話しことば〉と先生が言ったのか、そこまでは覚えていない。
おそらく古文で習うことばは、当時(中古以前)の時代には〈話しことば〉ではなく〈語りことば〉だったはずだ。
「物語」とは「物」が「語る」話であり、「物」とは「物の怪」を指す。
つまり、物の怪がヒトの体に乗り移って、人間でない話を聴かせることが、「物語る」だったわけだ。 . . . 本文を読む