外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

外国帰りの戸惑い(1)湿気攻撃

2011-07-09 18:22:20 | 日記
おひるねタイムの江の島の猫。


久しぶりに日本に帰ってきて、まず何にびびったかっていうと、そりゃ湿気の高さである。

私が帰国したのは5月半ば。内側から柔らかな光を発するような、みずみずしい新緑が目に眩しい頃であった。久しぶりに目にした初夏の日本は、文字通り言葉を失ってみとれてしまうほど美しかった。山も田んぼも畑も林も民家の庭も、さまざまなトーンのみどりに包まれており、水を含んだ植物たちの清冽な気配が静かに空気を満たしていた。

しかし緑が多いということは、その前提として降雨量が多いということを、そして降雨量が多いということは、むろん空気中の湿度が高いということを意味するのだ。

なんなの、この雨の多さは!それにこの湿気!身も心もくさっちゃう~。
梅雨ということもあるが、来る日も来る日も雨である。それにこの湿気の多さ、ただごとではない。空気がもったりと重くて、呼吸しにくいではないか。久しぶりの温帯湿潤気候は、ここ数年の中東暮らしで砂漠性気候に慣れきった身には、一種の拷問のようなものである。「これでもか、これでもかの湿気攻め」である。

私はカイロに半年滞在したが、雨が降ったのは1回だけで、しかも5分でやんでしまった。
こどもが気まぐれに霧吹きでシュっと吹いたような小雨であった。ダマスカスに住んでいるときも、一年半のあいだに雨なんて数えるほどしかお目にかからなかった。だいたいが中東は恒常的に水不足に悩んでいるので、雨は貴重な「神の恵み」なのである。現地の人は水不足に困って雨を待ち焦がれており、雨が降ったら小躍りしておもてに飛び出すんである。一方外国人の私は雨の降らない生活を満喫していた。なにしろ洗濯物がすぐ乾くし、毎日同じ天気(快晴)なので天気予報を気にする必要がないし、お風呂場がカビたりする心配がないのである。そりゃお肌も乾燥するけどね。

私は前々から、湿気は諸悪の根源だと思っていた。室内に干した洗濯物が臭うのも、パンが青くかびるのも、天パの髪の毛がみっともなくくるくるになるのも、うつになって生きるのがイヤになるのも、仕事が見つからないのも、なにもかも湿気のせいに違いない。いや、仕事が見つからないのは努力してないせいなので、単なる八つ当たりですが。

雨が多くて緑の豊かな国がいいか、雨など降らない砂と岩だらけの国がいいか、それは好みの問題であろう。私はなぜか昔から後者の方に強く心が惹かれる傾向がある。どこまでも続く茶色い岩砂漠、情け容赦なく照りつける強い日差し、雲ひとつない青い空・・・ああ考えるだけでうっとり。

こんなに毎日雨ばっかりだと何をする気もしないので、家に引きこもってしんなりしている。窓を開けてしっとりとしめった空気を吸い込み、雨にけぶる、色のない風景を眺めながら、砂まみれの乾いたカイロの街を想う。いつかあそこに帰りたい・・・って、私は一体誰なんだ?

* この文章は数日前、窓の外の執拗な雨音を聞きながら書きました。昨日今日は晴天だけど、やっぱり湿気は健在。巨大な除湿機で空気中の湿気を全部集めてまわりたいくらい。集まった水分はシリアの人たちにプレゼントしたら喜ばれるかも。
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