写真は、ウルパン(ヘブライ語の学校)の階段で出会ったユダヤ人の子供たち
ヘブライ語とアラビア語は同じセム系の言語なので、姉妹関係にあると言えましょう。アルファベットはそれぞれ違うが、どちらも右から左に書くし、短母音を表記しない。文法構造も基本的には同じだが、ヘブライ語のほうがアラビア語よりずっとシンプルで覚えやすい。現代ヘブライ語は古代ヘブライ語をもとにして近代的に作り変えたものらしいが、アラビア語は昔のままなので、そのへんの違いかもしれない。似ている単語も多く、「私は日本から来ました」という文をアラビア語では「ANA MINA L-YABAN(アナー・ミナ・ル・ヤーバーン)」、ヘブライ語では「ANI ME YAPAN(アニー・メ・ヤパン)」である。これを習ったときは「おんなじやん!」と心の中で叫びました。アラビア語の挨拶は「サラーム(サラーム・アレイクムの略)」。ヘブライ語だと「シャローム」だしね。
アラビア語の俗語表現がヘブライ語にそのまま入ったりもしていて、イスラエル人が別れ際に「ヤッラー・バーイ!」と言うのを聞いたときは、この人イスラエル人なのに、なんで突然アラビア語(アーンミーヤ)使うのん、と驚いたが、実はアラビア語からの借用表現だと後から知った。ちなみに罵詈雑言もアラビア語から入った表現が多いらしく、「くそ!」はアラビア語もヘブライ語も「KHARA(ハラー)」である。使ったことないけど、入植者に言ってみたら撃たれちゃうかな。考えるのがコワい。
イスラエル人の友人によると、彼らは学校で2年間アラビア語を勉強するそうだ。でもそのあと忘れてしまう人がほとんどみたいで、アラビア語をぺらぺら喋るイスラエル人はめったにいない。アラビア語は2年くらい学校で週2,3回義務的に習ってマスターできる言語ではないし、普段パレスチナ人と接することもないので、練習する機会もなく忘れていくのはしょうがないのだろう。イスラエル人がアラビア語会話を出来るようになれば、この2民族の間の相互理解も少しは深まるのではないか、と思うのだが。人間は自分の知らないものを恐れ、この恐怖から開放されるために対象を取り除こうとする、とよく言われる。相手の喋っている内容が理解できるようになれば、相手も自分と同じ普通の人間であり、怖れる理由はなにもないと分かるものだ。
逆にヘブライ語を話せるパレスチナ人はけっこういる。イスラエル領内に住んでいるパレスチナ人はイスラエル人と一緒の学校に行って、ヘブライ語で全ての教科を習うし、西岸や東エルサレムの人たちの中にも、仕事で必要になって覚えたという人が少なくない。家の近所でも、パレスチナ人の子供たちが私に「シャローム!」と声をかけたり、ヘブライ語はしゃべれるか、と尋ねたりすることが結構あった。私を見て、彼らの頭の中で条件反射的に、「ああっ外国人だ外国人だ、しゃべりかけたい、うずうず。外国人だから外国語でしゃべりかけなきゃ、でも英語はわからない、ヘブライ語の挨拶なら知ってるぞ」というかんじに思考回路が働いて、その結果ヘブライ語でしゃべりかけてくるのだと推察される。ヘブライ語なんかわからんっちゅうねん、アラビア語で喋ってくれよ、ややこしいから、と思うが、顔には出さずにとりあえずニコニコして、ローマ法王のように鷹揚に手を振る私であった。
ウルパンでヘブライ語を習う前は、あのヘブライ文字がとてもいかつく見え、まるで威嚇されているような気がしたものだが、アルファベットが読めるようになってからは、視力検査表を眺めているときのような、ニュートラルな気分で見られるようになった。アラビア文字に比べて丸みがなくて可愛げがないし、発音もドイツ語っぽくてごつごつした音だが、慣れてみたらそんなに不快でもなくなった。そしてヘブライ語に慣れるのと同時に、イスラエル人の存在にも慣れてきて、西エルサレムを歩くときにあまり身構えなくなった。言語を理解する(ほんの少しでも)ということの大事さを改めて実感した次第である。
ヘブライ語とアラビア語は同じセム系の言語なので、姉妹関係にあると言えましょう。アルファベットはそれぞれ違うが、どちらも右から左に書くし、短母音を表記しない。文法構造も基本的には同じだが、ヘブライ語のほうがアラビア語よりずっとシンプルで覚えやすい。現代ヘブライ語は古代ヘブライ語をもとにして近代的に作り変えたものらしいが、アラビア語は昔のままなので、そのへんの違いかもしれない。似ている単語も多く、「私は日本から来ました」という文をアラビア語では「ANA MINA L-YABAN(アナー・ミナ・ル・ヤーバーン)」、ヘブライ語では「ANI ME YAPAN(アニー・メ・ヤパン)」である。これを習ったときは「おんなじやん!」と心の中で叫びました。アラビア語の挨拶は「サラーム(サラーム・アレイクムの略)」。ヘブライ語だと「シャローム」だしね。
アラビア語の俗語表現がヘブライ語にそのまま入ったりもしていて、イスラエル人が別れ際に「ヤッラー・バーイ!」と言うのを聞いたときは、この人イスラエル人なのに、なんで突然アラビア語(アーンミーヤ)使うのん、と驚いたが、実はアラビア語からの借用表現だと後から知った。ちなみに罵詈雑言もアラビア語から入った表現が多いらしく、「くそ!」はアラビア語もヘブライ語も「KHARA(ハラー)」である。使ったことないけど、入植者に言ってみたら撃たれちゃうかな。考えるのがコワい。
イスラエル人の友人によると、彼らは学校で2年間アラビア語を勉強するそうだ。でもそのあと忘れてしまう人がほとんどみたいで、アラビア語をぺらぺら喋るイスラエル人はめったにいない。アラビア語は2年くらい学校で週2,3回義務的に習ってマスターできる言語ではないし、普段パレスチナ人と接することもないので、練習する機会もなく忘れていくのはしょうがないのだろう。イスラエル人がアラビア語会話を出来るようになれば、この2民族の間の相互理解も少しは深まるのではないか、と思うのだが。人間は自分の知らないものを恐れ、この恐怖から開放されるために対象を取り除こうとする、とよく言われる。相手の喋っている内容が理解できるようになれば、相手も自分と同じ普通の人間であり、怖れる理由はなにもないと分かるものだ。
逆にヘブライ語を話せるパレスチナ人はけっこういる。イスラエル領内に住んでいるパレスチナ人はイスラエル人と一緒の学校に行って、ヘブライ語で全ての教科を習うし、西岸や東エルサレムの人たちの中にも、仕事で必要になって覚えたという人が少なくない。家の近所でも、パレスチナ人の子供たちが私に「シャローム!」と声をかけたり、ヘブライ語はしゃべれるか、と尋ねたりすることが結構あった。私を見て、彼らの頭の中で条件反射的に、「ああっ外国人だ外国人だ、しゃべりかけたい、うずうず。外国人だから外国語でしゃべりかけなきゃ、でも英語はわからない、ヘブライ語の挨拶なら知ってるぞ」というかんじに思考回路が働いて、その結果ヘブライ語でしゃべりかけてくるのだと推察される。ヘブライ語なんかわからんっちゅうねん、アラビア語で喋ってくれよ、ややこしいから、と思うが、顔には出さずにとりあえずニコニコして、ローマ法王のように鷹揚に手を振る私であった。
ウルパンでヘブライ語を習う前は、あのヘブライ文字がとてもいかつく見え、まるで威嚇されているような気がしたものだが、アルファベットが読めるようになってからは、視力検査表を眺めているときのような、ニュートラルな気分で見られるようになった。アラビア文字に比べて丸みがなくて可愛げがないし、発音もドイツ語っぽくてごつごつした音だが、慣れてみたらそんなに不快でもなくなった。そしてヘブライ語に慣れるのと同時に、イスラエル人の存在にも慣れてきて、西エルサレムを歩くときにあまり身構えなくなった。言語を理解する(ほんの少しでも)ということの大事さを改めて実感した次第である。