「菊と刀」の著者ルース・ベネディクトは、日本文化を「恥の文化」と表現した。
これは大筋で当たっているだろう。
小さいころ何かおかしなことをして、親からから言われた言葉、
「人に笑われるぞ」、「体面を汚すなよ」、「恥ずかしくはないのか」
評価の基準は「世間」なのだ。しかしこれがあるから社会の規律が守られた。
ところがこのところ、指導的立場にあるべき人間の恥のひとかけらもない振舞が目に付く。
その筆頭が、ガーシー元議員だ。
日本に帰れば逮捕されるとばかり(恥もないが勇気もない)ドバイからリモートで発言。
とうとう国会で除名された。
「恥を知らねば恥かかず」
何が恥なのか知らない者は、恥を恥とは思わない。
高市早苗大臣の振る舞いもみっともない。
総務省は行政文書として認めたわけだが、それにもかかわらず高市大臣は自分に関する部分は「捏造」だと開き直った。
しかしこの問題は総務省が放送法第4条の見解を明確に示した(放送全体を見て判断する)段階で勝負あり。
現状はプロレス並みの場外乱闘だ。
高市大臣は靖国神社へ率先してお参りしたり、タカ派的発言も目に付く。
しかし中身はどうなんだろう?
「恥を知る人は勇に近し」
名誉を重んじ恥を知る人は、勇気のある人と言える。
自分の誤りを率直に認めるのは、勇気が必要だということ。
逆に言えば開き直る人は勇気がないということだ。