日本の歴史を考える場合、中国大陸からの影響を抜きにして語ることはできない。
その中で「漢字」の受け入れは、最初にして最大の文化的な事件だった。
日本人の文化の骨格には、「漢字文化」がある。
ところがこの数十年来パソコンやスマホの出現で「得体のしれない日本文化」に変わって行くような気がする。
時代の流れと言えばそれまでだが。
白樺の木で一休み。アカゲラが良くやって来る。
私の好きな和歌
東(ひんがし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ 柿本人麻呂
697年12月31日前後に阿騎野にて
いつもより早く起きて、晴れていれば人麻呂とおなじ感動を味わえる。
万葉集の和歌が生まれたころが「和漢の境をまたいだ」時期だったのではなかろうか。
2008,1,19
閑林に独座す草堂の暁、三宝の声 一鳥に聞く。
一鳥声有り人に心有り、声心(しょうしん)雲水 倶に了々。 空海
しずかな林の草堂に独り座して暁をむかえる。(仏・法・僧)三宝の声が一羽の鳥から聞こえる。
一羽の鳥に声があり人には心があるから、その声とその心 行く雲も流れる水も 倶に明らかなのだ。
空海(774~835)は真言宗の開祖、儒・仏・道三学に通じ、漢語を使いこなした。
和漢の境をまたいだ一人であろう。
2017.12.18